2013年8月28日水曜日

身を以て身体のなさが〈わかった〉こと








…..he was telling them that what they are experiencing here is not life, while showing them the way to life.What you are experiencing here is destruction, but Jesus knew the way out.That’s why he said, “Be of good cheer, for I have overcome the world”.

Gary R.Renard The Disappearance of the universe





ふつうの感覚を外れた経験が続いている

エジプトでの衝突での死者たちの映像や
シリアでの神経ガスで死傷した人たちの映像の中に
たくさんの踊り浮かれる陽気な人々の影が
押しよせる透明の風船のように見えたり
洪水で大きな被災をする地域の名が
何日も前から頭を横切り続けたり

布団を干したまま家事を続け
夕暮れが迫っていた頃
ふっと疲れに煽られるようになって
畳に寝転んで
ひろびろと手足を伸べて
数十分
ひさしぶりの身体のひろがりを味わっていた
ベッドや布団の上に寝るのでなく
こんなふうに畳や板の上に横たわって
ひろびろと手足を伸べて
全身をくまなく意識で透視し
まさに意識だけでクリーニングし
メンテナンスするのこそ誰にも大切だと〈わかった〉

そろそろ起き上がろうかと思った時
ふいに強く〈わかった〉のは
わたしはここにいないどころか
さっきまで伸ばしていた身体など
どこにもないのだということ

奇妙な体感だった
身体などないことを〈体〉感したというのだから
しかし身を以て身体のなさが〈わかった〉
身体を以て身体のなさが〈わかった〉
しかもわたしはここには居らず
身体になど居らず
そうしてわたしは居る!

このように書いても
奇妙な記述と受け取られて終わるか
詩的な形式によるご愛嬌と受け取られて終わるだろう
近代の自我の表白形式として詩形を使わなくなって久しいが
詩形が自我に囚われた人々の場であるかぎり致しかたない
しかし近代的自我の現われる前から詩形はあり
盛られたのはつねに魂の導きや死後への助言
また書き手の自我を超えて下りて来る預言の言葉だった
再びそのように詩形を使い始めている人々が現れてきている

耳を傾けてもらう必要はないが
―というのも知るべき人たちには伝わるよう
配慮されているのが霊的なもののさだめ
聞く人たちは聞き
わかる人たちはわかり
なにか〈わかった〉と思う人たちは思うだろうし
そう思わなくても黙って修正していく人たちもいる

かなり前から来ている重要な示唆だが
助言や教えは今後さらに
偶然とみえるかたちで個々人に示され
ときには思いつきや啓示のように与えられるだろう
それらは世の中の力から発せられることはないし
報道網を流れることはない
人のうわさの網も流れないだろう
すべては毒されているから
ただ小さな糸や流れを伝わることはある
もし個々人の直観がうなずくならば
それらは大きな方向変更を一瞬で起こすだろう
気づきは感知できるかどうかという小ささで来るが
気づいた時にはその大きさにたじろぐ
他の人びとにも伝えなければと思うだろうが
ほのめかし程度でやめておくのがよい
気づく人たちは同じように気づいているから
家族や親友たちであってもつよく伝えるのは無意味だろう
聞く耳を持っている人たちは言う前から知っており
聞く耳を持たない人たちは何度言っても聞くことはない

ただひとり安寧してあれ
ひろびろとした畳や板の上で
手足を伸ばして身体すべての詰まりを定期的に除き
それとともに精神と魂の詰まりが消えるのを確かめ
同時に
身体などないこと
ここになどいなかったことを
把握しなおすように

すべてはそこから
ひとまず
知や情報や思考は

わきに置いておくように








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