「集団においていちばん問題になるのは、
無能なリーダーをどのようにして排除するかということです」
と
精神分析研究者の岸田秀は
『日本と「日本病」について』の中で書いていた
いまでも
どこの集団においても
この問題は全くかわっていないが
私は「集団」を「世界」や「時代」と読み替えたり
「リーダー」を「国家」や「体制」や「習俗」や「風潮」
目の回るような大問題の渦の中に
自分の意識が流され続けているのを感じる
岸田秀が「リーダー」と呼んだものを
安部公房は「ボス」と呼んで
次のように語っていた
小林恭二にインタヴューされた際のことで
東北で起きたホテル火災が
多くの被害者を出したことをネタとして語っている*
安部 火災について、なぜあんなに被害が大きかったのか、
小林 つまり集団化による緊張解除というか……即席の共同体ができちゃったわけですね。
安部 そうなんだ。でもまだ先があるんだよ。
ボスというのは、ふつう考えられているように、
ところでその内圧が、
小林 その場合どうだったんですか。
安部 だから、忘れ物して二階へ駆け戻った慌て者が、
小林 すごい話ですね(笑)。
安部 でも、なんとなく思い当る節もあるだろう。
安部は多くのテーマの重なり合うポイントを
フィリップ・K・ディックに負けないSF手法の名手として
非常口近くで重なりあうように焼死した複数の被災者たちに触れな
みごとに提示している
偶然の「群れ」が形成された瞬間に
全員ほっとしてしまって
集団化による緊張解除が発生し
「即席の共同体」ができてしまう
この「即席の共同体」は
死から逃れる必要さえも忘れさせるような
とほうもなく効果的な麻痺作用で
人びとを幸福に停滞させてしまう
社会生活とか
人づきあいとか呼ばれるものが
ほぼ
この「即席の共同体」による麻痺作用の受容によって
地味に
しかし強力に維持されているのを周囲にみれば
安部公房の指摘は
人間という症例における発見と言ってよいほどだろう
「忘れ物をした」と言って
いきなり二階に駆け戻っていく男を
火災の炎が迫るなかで
「待たざるを得ないような気分にさせられて」しまう経験も
世界中の個々人が
どれだけ
させられてきたことか
そうして
いつのまにか
そういう「忘れ物」男が
集団のボスに選ばれてしまっていったりするのは
「集団のなかにボスを求める内圧のようなものが」
あらためて
幾重にも
「集団」に絶望しておかねばならない
という結論に
このつかの間の地上滞在者は行き着かねばならない
私はもちろん
「即席の共同体」として
現代世界を見ているのだし
アメリカ合衆国を見ているのだし
EUを見えているのだし
イスラエルを見ているのだし
「日本国憲法下の日本」を見ているのだし
「神国日本」も見ている
*安部公房 『死に急ぐ鯨たち』(新潮文庫、1986)