「だれが仏なのですか だれが仏でないのですか」
映画『達磨はなぜ東へ行ったか』
(ペ・ヨンギュン)
コーヒー半額の噂
誘われて
半島の半透明の冬、見当たらぬ
焚火すべき枝
恋文を緘する糊
または
貴重な臓器からの血
水筒の中の冷えた紅茶を啜る
イルカの胎児
見エナイトコロヘ
見エナイワタシノ
見エナイココロヲ
見エナイモダエガ
見エナイオシリト
こおろぎの長老と
イルカの非嫡出児
腹の奥が冷えてくる感覚が寄ってくると
やばいよ
時代がひたひた
染み寄ってくるようだものナ
やばいよ
はじまらない詩のように都市がふいに遠い
その中にいるのに
いるつもりなのに
戦争の中にさえいないわたし
絶えたことのない戦争だというのに
若者よ
と呼ばれた時にいつもソッポをむいていたバチか
後ずさりしながらみんな老いていってしまって
老師よ!
手紙を差し上げたいのに
あなたの御住所さえをもう知らないのです!
老師よ!
古過ぎる若布しか手元に残っていない気持ちで
毛のまばらになった筆を
ひさしぶりに硯に落とすと
しぼしぼと
それでも墨は毛に上る
竹の人工林が霜雨になり
風ばかりはいつも自然からのように吹き
ちらちら
涙でできている大気
むこうでは高層ビルのあかりが揺れ心が揺れ
これからどちらに行こうかわたしは
ああ
老師よ!
どちらに行ったらよろしいか
わたしは
見えない海で
わたしの帆がいよいよ盛んに上がる
世界はどれも象徴の森
象徴の海
わたしとは誰ですか
誰とはわたしですか
まだ統御されている言語中枢が
寒い宇宙の中で
そろそろ美しく軸を失っていきます
暖かいところで
温かいものを啜りたい
わたしのささやかな文明は
それでしたか
ちっちゃな庭で
短い歩幅で
まだ尻尾の生えたままで
言葉も色もかたちも
音も匂いも触覚も使うな、との
お達しでしたね
そうして突き抜けて来い、と
からだを捨てる
という通俗的なイメージ
からだこそが霊でしょ
だからからだにいっそう成れと
老師よ!
ワタシ、言う
霊なんてくだらない
そういう二元論を実体論的にやめようよ
ほら、
あそこに素敵な色あいのヴィヴィッドブルーの車が行く
あのようになろう
一瞬ののちには
ならなさに
なろう
(…と言うのは
(だあれ
(イルカの胎児が
(まだ人間になるまでの距離を
(ゆっくりと泳いでくる
(間違っていたかもしれない
(みんな間違っていたかもしれない
(あんなものはなかったかもしれない
(こんなものもなかったかもしれない
(ほんとうの道を歩んだのは
(だあれ
(ほんとうも嘘もないなんて
(言えるのは
(だあれ
(方向を持たないでいられたのは
(だあれ
(留まって動かないでいられたのは
(だあれ
(行く
(行かぬ
(動く
(動かぬ
(ある
(あらぬ
ナラナサ、……
ナラナサ、……
雨降るといいね
いい、雨が、
ね、……………
………
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