2012年6月3日日曜日

ヴァランティーヌ(1925) [翻案・翻訳]

   By   HAWLEY, RICHARD WILLIS
 [歌]  モーリス・シュヴァリエ(1888-1972)


      [Valentine (Maurice Chevalier)の翻案・翻訳]




最初の恋人ってのはよく思い出す。
ぼくのも一生忘れがたい。
ある日雨降り、その子とぼく、
ふたりお互い気があって、
ずんずん仲良くなってった。

名前を聞くと「ヴァランティーヌ」。
毎日キュスティーヌ通り行く彼女、
おんなじ通りをぼくも行き、
そうこうしながら手も握り、
ようやくキスをしたわけさ。

彼女はちっちゃな足してた。
ヴァランティーヌ、ヴァランティーヌ、
ちっちゃな鼻先、
よく触ったな。
あごもとってもちっちゃくて。
ヴァランティーヌ、ヴァランティーヌ、
ちっちゃな足に、
ちっちゃな鼻先、
ちっちゃなあご、
羊みたいに髪カールして。

きのう大通り歩いてたら
太っちょオバサンに出くわした。
でっかい足に、犀の胴。
ぼくの首にと飛びついて、
「あらら、こんにちは、わたしの狼ちゃん!」
「失礼、奥さま、どちらさま?」
「なに言ってんの、ヴァランティーヌよぉ」。
二重あごと三重胸を目の前に
恐れおののき思ったもんだ、
変わったな、こりゃ。むかしとは、
まったくもって大違い。

彼女はちっちゃな足してた。
ヴァランティーヌ、ヴァランティーヌ、
ちっちゃな鼻先、
よく触ったな。
あごもとってもちっちゃくて。
ヴァランティーヌ、ヴァランティーヌ、
ちっちゃな足に、
ちっちゃな鼻先、
ちっちゃなあご、
羊みたいに髪カールして。



◆モーリス・シュヴァリエの歌う『ヴァランティーヌ』がYoutubeに出ているのには驚いた。さすがに世界は広く、シャルル・トレネにならぶ、この古いシャンソン歌手にしてエンタティナーを好む同好の士がいまだにいるのだ。
 作詞や作曲はシュヴァリエによるものではないようだが、世界的には彼の名といっしょに記憶され続けている。

・映画の中での舞台上での歌唱
・レコードから
・ショーでの歌唱

◆フランス人としては珍しく、ハリウッドに行って大人気を博した彼は(そこでエルンスト・ルビッチに会ったり、マレーネ・ディートリッヒと恋愛したりしている)、歌手や俳優というより歌い手・芸人と呼んだほうがふさわしい、良き時代の手作り感のある人物に思える。
軽快なシンプルなダンスに乗って(というか、音楽に乗って身体をくねらすサンタクロースの人形さながら、ほとんど踊ってはおらず、リズムにあわせて身体を動かし続けているだけなのだが…)ユーモアに溢れた歌を歌うシュヴァリエを見ていると、ピアフ系やバルバラ系の哀切・悲愴な歌い上げシャンソンがなんだか阿保らしくさえなる。自分の葬式にもし音楽をかけるなら、トレネやシュヴァリエの歌でいってほしいものだと思う。
トレネといい、シュヴァリエといい、古い時代のフランスのシャンソン歌手はユーモアと余裕とやわらかさに富み、みなジェントルマンだった。舞台での若い踊り子たちとの、ゆったりした笑顔の振舞いがすてきだ。
時代が下ると、歌の内容も、歌い方も、表情も、切羽詰まったふうに見せるのが流行るようになったが、やはり第二次世界大戦の影響だったというべきなのだろうか。アウシュビッツの後で詩は書けないと言ったのは哲学者のアドルノだったか忘れたが、喜劇が失われるのはやはり、それはそれで異常事態であろう。
サルトルが、「どうして悲愴な調子で実存主義のものを書いたのか?」とインタヴューされた時に、「あの頃は悲劇的なのが流行っていたんだよ」と答え、哲学さえもが流行に乗って書かれるにすぎないかのような、大がかりな冗談を投じたことがあったが、その伝でいけば、《狂った時代les années folles》と呼ばれる第一次大戦後から経済恐慌勃発の1929年頃までの時代の雰囲気は、本当にこの『ヴァランティーヌ』のようなものだったのかもしれない。

◆シュヴァリエのこの歌は、フランスの田舎でのヴァカンスの時にさんざん聞かされたり、鼻歌したりして、懐かしい。インテリでもないフランスのふつうの男たちは、生まじめなシャンソンなどはあまり好まず、こういう歌やジョルジュ・ブラッサンスの人生論的エロおやじ歌などを口ずさむのを好むように思うが、田舎道を自転車で走る時や、釣りをしている時や、納屋の片づけをしている時など、お伴になるのはたいていこの類の歌なのだった。




[原詩]
*いくつかヴァージョンがあり、相互に若干の歌詞の違いがある場合もある。


Valentine
Maurice Chevalier


On se rappelle toujours sa première amie
J'ai gardé d'la mienne un souvenir pour la vie
Un jour qu'il avait plu
Tous deux on s'était plu
Ensuite on se plut de plus en plus

J'lui d'mandais son nom, elle me dit Valentine
Et comme elle prenait chaque jour la rue Custine
Je pris le même chemin
Et puis j'lui pris la main
Je l'embrassai enfin

Elle avait de tout petits petons,
Valentine, Valentine
Elle avait un tout petit piton
Que je tâtais à tâtons,
Ton ton ton taine
Elle avait un tout petit menton
Valentine, Valentine
Outre ses petits petons
son petit piton
son petit menton
Elle était frisée comme un mouton

Hier, sur le boulevard, je rencontrai une grosse dame 
Avec de grands pieds, une taille d'hippopotame
Vivement elle m'saute au cou
Me crie bonjour, mon loup
Je lui dis pardon, mais qui êtes vous ?

Elle me répond, mais c'est moi, Valentine
Devant son double menton, sa triple poitrine
Je pensais, rempli d'effroi
Ce qu'elle a changé , ma foi
Dire qu'autre fois

Elle avait des tout petits petons,
Valentine, Valentine
Elle avait un tout petit piton
Que je tâtais à tâtons,
Ton ton ton taine
Elle avait un tout petit menton
Valentine, Valentine
Outre ses petits petons
son petit piton
son petit menton
Elle était frisée comme un mouton



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