2021年5月8日土曜日

ある知りあいへの返信

 

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そんなわけで、格別、変化があるわけでもありません。

もう初夏なのだなあ、と例年通りに思うとともに、例年通りにつまらない雑事に追われ続けています。

 

コロナですか?

テレビや御用医師たちの洗脳情報とは別にいろいろな情報を調べ続けている結果、個人的には、いわゆる新型コロナ・ウイルスは存在しないと結論しているので、べつになんとも思っていません。

(行政に問い合わせると、ウイルスの存在は証明されていないとの行政文書が返ってきますよね?)

ウイルスに対しては個人的にはなんの恐れもなく、昨年同様、マスクなどつけずに外出していますし、あえて手の常在菌を殺さないよう意識して、アルコール消毒などしないようにしています。

ちなみに、治験の終わっていないmRNAワクチン投与なんて、科学的にも人道的にも本来あり得ないことですから、どんだけ巨大な世論誘導が行われているか、歴然としていますよね。ほっておくと、そのうち、みんな黄色い星を付けさせられるようになりますよ。でも、日本人って、絶対にほっておくんですよね。必ず、原爆投下されるみたいな被害を受けるところまで行きますよ。見ていてください。

 

店に入ったりするとマスクを求めてくるところがありますが、そういうところでは平気でマスクを取り出して付けますから、べつにマスク脳たちと衝突するわけでもないです。

マスク脳たちを馬鹿にしくさってやるためにわざと目立つショッキングカラーのマスクを買ってあるし、数千円出して買ったファッションマスクなどもありますから、それらをたまに使える機会が出てくるのは、それはそれで楽しいことです。

 

正直なところ、街に人出が少なくなるのは嬉しいし、街が人で混んでいるのは以前から大嫌いだったのでそれが緩和されるのは喜ばしいし、スーパーなどに行く時もいつも夜8時以降にしか行かないので、コロナ脳のジジバナなんかはもうおらず、他の人たちもほとんどおらず、いい感じだと思います。

 

ただ、公園が閉鎖されたり、よく行く北の丸公園なども、迷惑で馬鹿らしい、復興なんとかと呼ぶことで馬鹿な民衆の耳目を騙して金儲けの一大機会としてでっち上げられたオリンピックのための資材置き場にされ、塀を作られて、あちこちが閉鎖され工事現場みたいにされてしまっているのが不愉快ではあります。

せめて、オリンピックさえはやく中止が決まってポシャってくれれば、散策の際の景観が取り戻せて嬉しいのだが……と思っています。

しかし、しかし、閉鎖柵や塀をかいくぐって、けっこう地元の人たちは林や芝生のところまで行って家族づれで憩っているので、声なんて張り上げないながらも庶民の抵抗っていうのは、けっこう半端じゃないな、と感じます。

 

そういえば、あえて4月の最後のほうの2日間に見ようと、選びに選んだ席の歌舞伎のチケットを買って置いたというのに、緊急事態宣言とやらでキャンセルになってしまったのは残念でした

78歳ぐらいの松本白鷗が『勧進帳』の弁慶をやっていたので、さすがに年齢から言ってこれは見納めだと思ってチケットを買っていたし、玉三郎と仁左衛門の『桜姫東文章』も近ごろでは珍しい顔合わせで、彼らももう歳ですから最後になるかもしれないと思って、わざと千秋楽のものを買って置いたのに、かなり残念でした。

 

変異種なるものは無限に出続けるわけだし、しかも変異種は、広がる力が基本的に強いわけなので、ウイルスが本当にあるにせよ無いにせよ、今後、緊急事態宣言とやらは、ほぼ永遠に出され続けると思います。

まったく、製薬会社や国際資本マフィアの思うつぼで、彼らが徹底的に儲けて、人間の世界に完全な格差を作りあげるためのフェイク事件が今回のウイルス騒ぎなので、まあ、短く見積もっても10年はこのまま続くでしょう。

 

コロナ以前から、風邪やインフルやいろいろな原因による肺炎での重症化や死亡は年間に多く出続けるのが人間社会で、そうして死んでいってもらわないと溢れてしまうのがそもそも地球環境というものなわけですから、数字上の虚偽を、まあ、なんと平気で医療界がやり続けているかと、呆れてしまいます。まったく、なにもかも金、金、金…のため、そして、他人や他人のグループにちょっとでも格差をつけようという欲望のためで、いやあ、ほんとに井原西鶴は永遠ですね。

 

インドが大変大変と、現在、国際資本に買われているメディアはイラク戦争の時や湾岸戦争の時のように捏造ニュースを流し続けて騒いでいますが、もともとインドでは一日に25000人ほどははなんらかの理由で死ぬ国ですから、昔から毎日死に続けてきている死者に「コロナ」のレッテルを貼れば、いくらでも死者数は増やせます。そういうところをちゃんと見れば、メディアの煽りを信じて騒ぐ人びとは、大本営発表にそのまま動かされて戦争翼賛に流される人びとそのままです。

 

だいたい、コロナ陽性反応はコロナ感染とは違うのに、製薬会社から金を貰ってテレビに出て来る医者たちが、そんな基本のところから嘘を平気でついている始末です。陽性反応=感染、などと答えたら、医学部の小テストで0点ですし、そもそも高校の生物の授業の試験でもです。メディアの馬鹿ぶりはなにをやっているんだろうか?と思わされますが、それほど一般人を馬鹿に仕切っているということなのでしょう。

病院でも、風邪や肺炎患者を「コロナ」と呼べば、それだけで患者ひとりあたり24万円から42万円が病院には支払われるのですから、そりゃあ、なんでも「コロナ」にしちゃうわけですよね。愛知県などはひとりあたりに400万円を支払っていて、医師に「コロナ」と書かせる奨励金は、もう、ひとつの病院で2億円に達している計算にもなるそうです。

 

世間の表面でわあわあ騒ぎを煽り続けている裏では、地球全体の人口削減計画がもう何十年前から進んでいて、今回のワクチン(内実を調べれば殺人ワクチンだとわかります)を大人数に投与しようとしています。

頭のよろしくない人たちが、我先にと進んでワクチンを打とうとしているのは、アウシュビッツが住みよい場所だと言われて我先に列車に乗り込もうとするユダヤ人たちのようで哀れですが、自分の力で情報をさんざん求めていかないといけない情報戦争の時代に入っている現代では、そうした人びとは、どうぞ御勝手に、と見ているほかありません。せめて、今回のワクチンが内蔵している大問題をよく調べて認識してから、大死一番という覚悟をきめて打ったらいいのだけれど…、と他人事ながらに思います。

こんなふうに他人事と見ていられなくなるようなぐあいに、ワクチン接種が強制されるようになったら、その時は処刑されるのが決まったということなので、こちらも身辺を整理して死ぬ準備をするつもりです。それほど危険なワクチンです。せめて、自分がなにで殺されるのかはちゃんと認識しながら死んでいきたいですね。パスカルのあれです。

「人間は一本の葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。コロナ捏造世論誘導や一滴の水やmRNAワクチンでも彼を殺すのに十分である。だが、たとえ国際資本製薬マフィアが彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、無辺の大宇宙の中の素粒子なみにちっぽけな地球のこの世に執着し続ける国際資本製薬マフィアより自分が優勢であることを知っているからである。国際資本製薬マフィアは何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」

いやあ、パスカルはすごいですね。17世紀から国際資本製薬マフィアの陰謀を予言していた。

 

あのコロナワクチン、実質はワクチンではなく、体内の免疫機能を破壊する薬剤です。ファイザーは、一度打ったら、毎年打たないといけない、と言い始めましたよね。そのうち、年に四回必要とか、毎月必要とか言い始めるはずです。Windows365と同じような、永遠に大衆から金を巻き上げるための商売であることが、はっきりと露呈してきていますね。

 

それに、あのアルコール禁止。

いくらでも飲めるけれど、全く飲まないでもぜんぜん平気な私から見れば、まあ、どうでもいい話ではありますし、しかも、世の飲食店というのは、質の悪いものを出してぼろ儲けをしようとするボッタクリの典型だと思っていますから、自分から進んでいくことはまずないし、人と話すのにしぶしぶ行くのも年に数回という感じなので、どうでもいいことではありますが、本来、口腔の消毒になるアルコールの禁止っていうのは、ウイルス対策としては不条理の極みのはずです。

どんなアルコールも口腔に入れるとウイルスも減少・死滅するわけだし、だいたい、ウオッカなどの高濃度のものまで禁止するっていうのは完全に論理破綻している。

でも、あれって、ウイルス検査をした時にウイルスが口腔内で死滅していると煽り維持に差し支えるから、禁止しているわけで。ウオッカやイソジン・チューハイ飲んでからPCR検査すれば、検査なんてイチコロですよね。

 

 

飲食店への度重なる抑圧も、小中規模の店舗の破壊を明らかにもくろんでいるものなのが、そろそろ、ふつうの人たちにも判ってきていると思います。

商業破壊→国家財政弱体化→国際資本の連合体(ビルダーバーグ会議参加者たち)による諸国家や諸地域の乗っ取り→国際資本に属する者たちの王侯貴族化の確立…というのが、現代起こっていることのアウトラインです。

彼らは地球上で自分たちの血統だけにいい暮しをさせたいので、世界人口をとにかく12億人程度に削減し、地球環境をよく整備された別荘のようにしたがっています。

たしかに、いずれにしても、人口は数十億人程度早急に減らさないと地球環境が維持できなくなってきているので、どこかの時点で大幅な「間引き」や「殺処分」をやらないといけないのですが、それが遂に始まったというわけです。

 

なんでそんなことを…とか、またまたご冗談を、などと思いますか?

 

新貴族制確立側のイデオローグ、ジャック・アタリが80年代に書いた文章にこんなところがありますよ。

平然とこんなことを書いていて、あれあれ、ポストモダンの一変種として図に乗ってカマシてるなあ、とあの頃は読んでいましたが、現在、この通りになってきています。

 

将来的には人口削減の方法を見つけることが課題になってくるだろう。もちろん、我々は人を処刑したり収容所に送ったり、などという露骨なまねはできない。「そうすることが彼ら自身のためなんだ」と信じ込ませることで、上手に彼らを間引いていくことになる。

そのために、何らかの事象、たとえば一部の人を標的にしたパンデミックを起こしたり、経済崩壊を起こしたり、高齢者に悪影響を与えるウイルスをまいたり、といったことが考えられるが、まぁ方法は大して重要ではない。とにかくこういう事件を起こすことで、弱い者や恐れる者はこれに屈服するだろう。

愚か者はこの事件を信じ込み、何とかして欲しいと嘆願する。そこで我々の出番。「これが治療法だ」と救いの手を差し伸べる。こうして、愚か者の自然淘汰が行われることになる。屠殺場に自ら進んで向かうようなものである。》

 

 

問題なのは、生き残って地球を支配する側に立つか、それとも削減される側、間引きされる側、殺処分される側に立つか、なわけですが、それなりに技術と知識があって新貴族の生活を支える仕事ができる者たちを除いて、一般の庶民は削減される側にまわされますよね。鳥や豚のインフルなどが発生した時に、病気に罹ってもいない鳥や豚も処分される、あの通りの光景です。昨年からはっきりと起こってきたのは、これですよ。今後、もっと酷いことが、あたかも「多くの人びと」の「命を救う」ためであるかのように喧伝されながら、起こっていくはずです。

 

ディストピアのSFのような世界に入りましたが、もう戻ることはあり得ません。

残念なことですね。

もう、だれもが、この世への執着を捨て、人間を捨てて生きていくほかありません。

 

だいぶ前に、「さあ、ゲームのはじまりです」と書いていた子がいたなあ。

あれですよ。

大がかりなゲームのはじまりです。






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