無意味の只中にどんどん入っていく
錯乱を装い(19世紀からの軽佻浮薄な流行)
そこから生じうる効果を狙う(“私を見て見て”症候群)
まるでなにかの探求をしているかのように見える
これは児戯だが
大の大人がやり続けていると(20世紀詩人の常套)
なにか他人にはうかがい知れない意味が
その行為や信念にはあるのではないかと見える
ここから離れる時(文芸的・芸術的“転向”)
近代の“詩的なもの”(文化的“統一教会”手法)
「私が求めるのは“詩的なもの”ではなく”詩“だ」
ジャン・コクトー
「詩人たちが書くものを見ると
連中はなにか知っているかのように思えてくる
しかし連中は一切なにも知らない」
ラージニーシと呼ばれた覚者OSHO
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