地獄の小径は希望でいっぱいだという。
よかれとの願い、希望、夢、虹、理想などで。
それに比べ、天国の小径ときたら、まったくの空っぽだ。
ラージニーシ(OSHO)
いろいろなことが
つぎつぎ起きているようだが
どれも
すぐに
忘れられていく
仕組まれた事件の
数々など
真性の事件なるものの備えているべき
オーラのようなものが欠けすぎているせいか
ひとびとの心を
すぐに惹かなくなっていく
それら
テレビの知ったかぶりのキャスターや
専門外もいいところの
芸人やおしゃべり役のなんやかや
弁護士だか
もとはなにかの医者だったようなのや
タレント
といっても
もう新作映画の主要な役には
とうに呼ばれなくなった型落ち品たちが
わあわあわあと
ああだこうだと見え透いた対立を演じたりして
プレゼンしてみせる
例の
オジイチャンの頃からしーあいえー作成の
人民誘導用小細工ニュースで
扱われるものの
あれやこれや
よりも
たとえば買い物に行った時に
どの店でも
平気で持ち帰り袋を出してこないで平然としていることのほうが
くさくさし
むかむかし
手製の二砲銃でも作って
ぶっ放したろか
と思わされ続けている
ワンランク上の店は
ちゃんと今でも紙袋に入れてくれたりするが
低レベル店ほど
持ち帰り袋平然とナシ度
はひどい
なんといっても
いちばんヒドイのは100円ショップで
こちらのトートバックをいっしょに差し出して
ここにいれて!
と言っても
平然と入れないで黙ってほったらかしているバイトが多い
レジ袋廃止を決めたことと
店員として客の袋に入れないこととは
当然ながらカテゴリーが違うので
買ったものの袋入れをしないほうがおかしいのだが
見るからにノータリンの女子高生や女子大生っぽいのは
レジ台の上の商品を
いつまでも黙って見ている
うしろに客が並んでしまっていても
まずは釣りとレシートをていねいに財布にしまってから
こちらもわざとのんびりとトートバックに入れるようにするので
時間が掛かりまくりなのだが
ノータリンの女子高生や女子大生っぽいのは
まるで知らん顔である
こちらも輪をかけて知らん顔で
10品目近いものを買った時なども
ゆっくりとバックに入れたりするので
なんだか悠久の時が流れる一端に触れているような気になる
100円ショップのレジを
わたくしは最近
ガンジス河と呼ぶようになってきた
バビロンの流れのほとりにて
などと
懐かしい呼び名も
そのうち使いたくなるかもしれない
フランスのスーパーのレジは
だいぶ前からベルトコンベア式で
本当にゴムのベルトコンベアがまわっていて
支払いが終わると
レジ係はベルトコンベアを動かして
客の買い終わった商品の山を
情け容赦もなく外へと追いやっていく
完全セルフサービスもいいところだ
客はぜんぶ自分で袋詰めしないといけない
ぐずぐずしていると
次の客の買い終わり商品が
同じようにベルトコンベアで流されてきてしまうから
支払いが終わった瞬間から
老若男女の客たちは大慌てで
たくさんの買い物をレジ袋に入れはじめる
おフランスといえばなんであれ優雅だと
バカのひとつ覚えのように思うニッポンジンに
あれをぜひ見せてやりたいと
もう数十年前から思ってきたが
あそこまで即物的に分業になっている国に生きてみれば
それはそれ
諦めもつくというもの
ニッポンのように中途半端にサービスっぽさが染みていると
いちいち心には荒波が立ちがちで
どうせなら
アウシュッビッツにしちゃえばいいのに
と思ったりする
ま
アウシュッビッツに
ほんとに
なっちゃったけどね
いや
なに
ヘンなお注射の
こと
だけど
ね
ご愁傷さま
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