いちばん近いスーパーマーケットは
住まいから
七分ほどのところにある
無料で4ℓまでの浄水がもらえるので
遠出をしていない時や
遅く帰宅する時でないならば
買うべきものがなくても
浄水をとるだけに毎日行く
夜11時までやっているので
夜の10時以降に行くことも多い
ついでに売り場もまわるので
安くなっているものがあれば買う
昨夜ふと思ったのは
レジ係の店員たちのことである
いま通っているスーパーマーケットでも
何人かは忘れがたい人がいた
話したりもしなかったが
毎日のように会う人たちなので
本当なら知人たちよりも時間を共有している
ちょっと挨拶ぐらいしてもいいのに
とは思うのだが
いまの日本の都市の習慣のさびしさで
店の人たちとあまり言葉も交わさないし
挨拶もしないで済ます
幼い時にはスーパーマーケットでも
よく行く小売店でも
おじさんやおばさんに挨拶したし
されたものだった
そういう点が希薄になったというより
希薄であることが強いられるようになった
日本の社会はさびしいとつくづく思う
これまでいろいろなところに住み
いろいろなスーパーマーケットの馴染みになり
いろいろなレジ係に出会ってきた
それらの人たちをどれだけ覚えているだろうか
とふと思ったのである
数人はすぐに頭に蘇る
ママさんバレーをやっていたらしい
三軒茶屋のサミットの大福さんは
テキパキとしていて滑舌もよく
しかもたいていの客も覚えていて
レジで出会うとちょっとおしゃべりもした
三軒茶屋といえば
西友でも毎日のように買ったが
地下のレジ係のおばさんたちとは
しゃべりこそしなかったものの
けっこう個性のある人たちで
顔やしぐさは忘れがたい
それに比べると
駅地下の東急ストアーのレジ係たちは
若い人が多かったが印象が残っていない
王子神谷ではかつて
タジマというスーパーマーケットがあって
そこのレジ係のおばさんたちは
さらに個性的だった
世田谷から引っ越してみた者としては
いちいちの動作がのろくて
最初のうちはいらいらしたのだが
東京のなかでものんびりした土地なのがわかると
レジで待たされるのにも慣れた
ちょっと調子をはずした甲高い声で
「いらっしゃいませえええ」というおばさんは
ときどきボケているが名調子で
レジに行くたびにちょっと楽しんでしまった
どうみてもアタマのよくなさそうな
おかっちゃんがパートをしている感じの
愛想もそうよくないがていねいに仕事する人にも
レジを打つのを見ているうちに馴染んだ
長く住んで数えきれないほど使った
下北沢や代田のスーパーマーケットについては
ほとんどレジ係の人たちが思い出せないのは
どうしたわけだろうと思ってしまう
下北沢のピーコックや忠実屋のレジ係たちが
まったく思い出せない
下北沢といえばナチュラルハウスでよく買ったが
そこの一時期の店長の女性はよく覚えている
わたしとエレーヌは米をまったく食べず
そこで買うフランス田舎風パンやドイツふうパンのみで
10年以上は過ごしていたので
品数の仕入れが少なめなライ麦パンや全粒粉パンを
毎週取り置いておいてもらっていた
パン製造が休みになる年末年始などはたいへんで
それらのパンを10袋ほど頼んでおいて
30日か31日に引き取りに行った
そういうつき合いができていたので
店長は新商品などのプロモーションがあると
買ってみてくれと頼んできて
こちらもものの試しにいろいろ買ってみた
必要のないおせち料理なども
毎年つき合いから買ってみていた
こんな過去の店員さんたちを思い出しながら
どこの店のレジに並んでも
レジ係の人たちともつき合いの多寡などを
いつも思っているのだ
幼稚園の年長の頃や小学1年生の頃の
スーパーマーケットや小売店に
ひとりで買い物に行くようになってからの
レジ係や店員さんたちを
意外とつよく覚えていたりもする
その頃は愛知県の岩倉に住んでいて
できたばかりの岩倉団地が住まいだった
わたしは東京人だけれどもわたしの故郷は岩倉で
冷戦時代のベルリンでケネディ大統領が行った演説のあの名文句
Ich bin ein Berlinerをもじっていえば
Ich bin ein Iwakuranerとでもなるのかもしれない
岩倉団地38棟105号がわたしの住まいだった
その棟のすぐ近くに「やなぎや」というパン屋があった
近いのでよくパンを買いに行かされ
ヒッチコックの映画によく出てくるような女性眼鏡のおばさんとは
すっかりお馴染みだった
日曜日には朝はやくに食パンを買いに行き
朝食にはそれをトーストしたものにあわせて
母がつくるコーンクリームスープを飲む
ただ缶詰を開けて出したものを温め味を調えるだけなのだが
これに牛乳が加わればこの三品だけで
わたしにとってはこの上ない幸福の出現となった
10年ほど前に名古屋に行った際
気まぐれから岩倉を再訪してみたことがあった
団地はすっかり古びていて改修も施され
棟の配置などは昔のままだったが
南米の人たちらしい外国人が多く住むようになっていた
それはそれでべつにかまわないが
あの「やなぎや」のあったところはどうなっているか
と思いながら行ってみると
なんとまだ店は続けられていて驚いた
「やなぎや」から数軒行ったところにある小さな書店の「
並んでいる本の数はごくわずかだったがまだあって
幼稚園時代から小学校低学年の頃に
ここでほとんどの漫画雑誌や
特製漫画ムックなどを立ち読みしたのが蘇った
雑誌の棚にあった若者向きの「平凡パンチ」や「
子どものくせにほぼ毎週ぱらぱら見て
オネエサンたちのヌード写真をかかさず見ていたものだった
この時の気分や岩倉をいまでも思い出して感じる思いは
奇妙なことに
日本のあれこれの歌や小説などには十分は見出せず
フランスのシャルル・トレネのシャンソンなどのほうにこそ
たっぷりと感じとれたりする
「メニルモンタン」など最たるものだ
フランソワ・トリュフォーが映画に使ったのも
よくわかるというもの
Ménilmontant, mais oui madame
C'est là, c'est là, c'est là
Que j'ai laissé mon cœur
C'est là que je viens retrouver mon âme
Toute ma flamme, tout mon bonheur...
メニルモンタン、そうですとも、マダム
ここにぼくは心をとどめている
ここにぼくはまた逢いに来る 自分の魂に
ぼくの情熱のすべてに ぼくのしあわせのすべてに…
https://www.youtube.com/watch?
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