物を云ふことの甲斐なさに
わたくしは黙して立つばかり
宮澤賢治 『野の師父』
ごく稀にだが
話のわかりそうな人には
わたしは宮澤賢治に会ったことがある
と言ってみたりする
もちろん
時代が違いすぎるので
生前の
本物の宮澤賢治に会ったわけではない
わたしの書斎のソファーに
ふいに現われ
座っていたのを
見たのだ
1995年の3月のことだった
1月17日に
阪神・淡路大震災もあった年で
日本の日常の空気に
いつもとは異なる亀裂のような微細な乱反射が
恒常的に起こり続けていた
わたしは当時
世田谷区代田1-7-14の1階に住んでおり
そこから五分ほどの世田谷区代田1-1-5のワンルームマンショ
ホース115-205に書斎を持っていた
毎日そこに通い
深夜まで読み書きをしていることが多く
時には夜明けまでいることもあった
いまでも使っている
カリモク製の大きな木製机の右脇に
ソファーベッドを置いてあり
ふつうはソファーとして使用していた
赤や茶の系統の色づかいの混ぜられた模様のカバーを
ソファーには掛けていた
冷え込む夜だったが
長いこと机に向かって書き物をしていて
少し疲れ
椅子に背を委ねて
目を瞑り
反り返るようにしばしの休息を取った
目を開けると
右側のソファーのむこう端に
宮澤賢治が座っていた
いろいろな写真で見たような顔で
あっ、
宮澤賢治だ
と
思った
ただこれだけのことで
妄想
といえばそうだし
夢
ともいえる
椅子に反り返って
瞑目して休んでみているうちに
半睡の状態に陥った
といえば
いちばんもっともらしい
しかし
宮澤賢治を
その日々
読んでいたわけでもないのに
なぜだか
宮澤賢治が現われて
ソファーに座っていたのだった
これだけなら
じぶんでも
ただの妄想や
寝ぼけのようなものと思って
済ましていたに違いない
だが
翌日に起こったことが
宮澤賢治の出現を
わたしに
刻印するようになった
翌日
1995年3月20日
オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり
前夜の宮澤賢治の出現は
なにごとかをわたしに告げに来たのではないか
と
どうしても
思われてならなくなったのだ
たしかに
さびしくわびしいばかりの
この日本で
さらに
さびしい
さらに
わびしい
長い
長い
薄闇の時代のはじまりではあった
『銀河鉄道の夜』 の
こんな一節がいっそう切実に迫ってきた
どうして僕はこんなにかなしいのだらう。
僕はもっとこゝろもちをきれいに大きくもたなければいけない。
あすこの岸のずうっと向ふに
まるでけむりのやうな小さな青い火が見える。
あれはほんたうにしづかでつめたい。
僕はあれをよく見てこゝろもちをしづめるんだ。
そうして
また
こんな一節も
カムパネルラ、
また僕たち二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一諸に行かう。
僕はもうあのさそりのやうに
ほんたうにみんなの幸のためならば
そしておまへのさいはひのためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。
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