あたまの良し悪しをうんぬんしてもむなしい
あることにあたまを使い続けて専門家になっても
そのことの専門家になった分だけ
ほかのあれこれについての無知はひどくなる
あることについて使い続けたあたまがよくなったとはいえ
ほかのあれこれにも十分にあたまを使う時間と力はないのだから
けっきょくのところせっかくのあたまのよさを
ほかのあれこれに十分に生かすことはこの世ではできない
いろいろなことにひろく役立つあたまのよさは
なにかひとつに打ち込んだあたまのよさではないから
なにかの専門家になるような時間の使い方をしてきてはいけないの
そういう一所集中をやってきたひとたちは
じぶんこそあたまがいいと自負しがちで
そうでないあたまの使い方をしてきたひとたちは
じぶんはべつにあたまがいいわけではないと思っている
他人にとって専門家のあたまのよさというのは
なにかで必要になればそれを発揮してもらうべく
お金を出してちゃんと頼めばいいようなあたまのよさで
毎日朝から晩まで身近にいてもらいたいようなものではない
なんの専門家でもないしあたまのよさを誇りもしないが
いろいろなことにひろく役立つあたまのよさを持つひとの場合は
しかしいつも身近にいてもらっていいようなあたまのよさで
ふつうの日々の生活にはこちらのほうが役に立つし
いっしょに身近にいてずいぶんと気持ちもいい
いっしょにいて気持ちがいいというのはだいじなことで
これ自体があたまのよさのいいあり方だと思うが
こういうひとはとにかくなにかの専門家ではないから
どこにいるのかいないのか電話帳でもネットでも調べようがない
ぐうぜん見つけたらそれこそメッケモノで
うまく関わっていけるようにだいじにつき合うに限る
そういうひとは急な入院の際にも適切な買い物をしてくれるし
どんな機械の専門家でもないのにちょうどいいパソコンを選んでく
あの医者とこの医者とを比べる時のアドバイスも適切だし
健康法に深入りしすぎるような場合にもそれとない注意をくれる
法的紛争の際にやり手だったひとが
なんでもない病気に驚くほど下手な対応しかできずに
ころりと死んでいったのも見たし
専門分野の臨床では腕のいい医師が
じぶんの家庭の内紛で身を持ち崩していったのも見た
博士号を持っている文学の先生なのに短歌ひとつ作れないひとも多
漱石や鴎外について独自の感想も持っていないことも多い
社会学のどこかの細かなことをうるさく言うわりには
ミクロ経済学もドラッガ―経営学も覗いたことさえなく
大仰な人生論をひろげて世間をごたいそうに批判する癖を持つわり
どこでも目にするような季節季節の花の名前をまったく知らないひ
あたまがよくても悪くても
だれもがとにかく生きていくほかないのだから
じぶんのあたまがいいことに自負を持ったり
他人のあたまがじぶんより鈍いことを喜んだりごたごた言ったりす
生きていかねばならない人類のひとりひとりに
しっかり対処しているとはとにかく言えない
じぶんよりあたまが悪そうに見えるのなら助けてやればいいのだか
そういう時にはじぶんのあたまのよさへの自負も役に立つだろう
役に立たないことを自我の称揚のためにやり続けるというのは
自我の用い方や時間やエネルギーの用い方の点で
あたまがひどく悪いということで
そんなことも即座にわからないひととつきあい続ければ
とにかくもろくなことにはならないことぐらい
ぼくのような愚か者にもよくわかっている
それがわかるぐらいには
ながく
ながく生きてきたのだからね
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