幾人か思い出す
病んで死んでいった人たちを
最期が近づくと
御たいそうなものは
要らなかった
テレビであれラジオであれ
音の出るもの
絵の動くものは
うるさ過ぎ
小さな本の数冊もあれば
よかった
便の世話をしてくれて
ちょっとの水
ちょっとの食べ物
それさえ貰えて
そうして
ときどき体を
拭いてもらいさえすれば
後はどうでもよかった
外がよく見えなくても
朝から夜にかけての
ひかりの移ろいが感じられれば
それでよかった
もう頭が朦朧としているのか
精神が薄まってきているのか
そんなことを
傍の者たちは思ったりしがちだが
たくさんの思い出が
とめどもなく湧き出てきて
オールナイトの映画が
何十本も同時に上映されているようで
頭はとてもとても忙しかったらしい
わかりきったつもりでいた
出来事の数々を
たゞ思い出すだけでなく
アングルを変えて見直したり
こんな意味でもあったろうかと
思い直したり
たゞベッドに横になっているだけでも
意識はひどく忙しかったらしい
しずかな
しずかな死を
迎える直前
そのうちのひとりから言い残されたのは
こんなこと―
「ひょっとしたら
「私は死ぬのかもしれない
「私が私を私だとわからず
「私を私と呼べなくなるのかもしれない
「…まあそれはどうでもいい
「とにかくこんなに弱々しくなってしまって
「今になって思うのは
「人生にはほんとに
「なんにもいらなかったということ
「当座当座にあれこれ必要だったけれど
「たゞそれだけのこと
「あれもこれもいらなかった
「変に聞こえるかもしれないけれどね
「人生なんてものも
「いらなかった
「私なんていうのも
「まったくいらなかった
「生まれてよかったとか
「悪かったとか
「そんなことを
「無理して思ったり
「言ったりする人たちがいるが
「よかったも悪かったもない
「生まれる必要なんてなかった
「生き続ける必要もなかった
「進んで死ぬ必要もなかったように
「どれもこれも
「どんな考えも思いも
「どんな感情も感慨も
「みんな
「どうでもよかった
「なにもかも
「要らなかった
「要らないと強く言うことさえ
「要らなかった…
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