2017年11月9日木曜日

『シルヴィ、から』 全編 117,814字

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第一声から第二十五声) 

 
2017年版の補訂・改訂協力者による序

作者がジェラール・ド・ネルヴァルの『シルヴィ』を知っていたのは明らかであるし、それを証拠立てる箇所は、これから読まれようとしている書きもののうちにも見出される。
だが、作者がネルヴァルの名作を意識しつつ、模倣じみたことを企ててこの書きものを成したのだとは即断しないでおいたほうがよかろう。そもそも、内容もテーマも、形式も、ネルヴァルの作品とはまるで異なっている。作者にとっては、(彼がいささか不用意な用語で私に語ったところによれば)“問題”や“宿命”や“生”が、たまたま「シルヴィ」という名前をとって現われたにすぎず、この書きものの中で、彼はそれをそのままの名で用いたのである。
1980年から1982年にかけて書かれたこの作品は、当初は小説として創作された。ホメーロスからミルトン、さらにはシャトーブリアンの『ナッチェ族』や『殉教者たち』に連なる叙事詩形体の選択は、1978年に発表され1979年に初演された木下順二の『子午線の祀り』の群読形式に刺激されたものだろう。作者は当時、西洋音楽のオラトリオや教会カンタータにさほど通じていなかったようなので、そちらのほうから刺激を受けたとは思われない。ただ、ダンテの『新生』は意識の奥底にあったのではないかと思われる。
書かれてから35年ほどが過ぎた2017年現在の時点で見ると、すでに言語表現の世界では小説の衰退も顕著であることから、私は、今なお存命中の作者に、この作品を叙事詩として整え直してみることを勧めた。韻律の完備などを施すまでのことは不要だろうが、多数の異なった声が一人称で語り継ぎ、ひとつの自我の物語を形成していくこの作品の形式には、叙事詩という認識こそふさわしいだろうと思われたからである。
作者はこれを快諾し、2005年から結成されていた小説同人集団IO(イオ)の面々の中に、作者と私も加わって、5人で補訂・改訂を行うことになった。
作者本人は、日本という風土にも、1980年代以降現代に至るまでの時代風潮にも、この作品が全く合わないと考えており、原稿はなんども廃棄されそうになった。自国や時代の風潮と徹底的に異なる精神を持って生まれてきた作者がそう考えるのは、わからないでもない。しかし、少なくとも、今回の補訂・改訂に加わった私たち4人は、この作品を創作した時点での彼の精神や趣味を共有しており、5人で朗読を重ねながらの今回の改訂作業は、近頃では稀な閑雅な楽しみの機会ともなった。

リヒティエン・ムーキェイ



(第一声〔喚起〕)

これまで長いあいだ、わたしは自分の数知れぬはずの思い出の中に、ほとんど沈酔していたつもりだったが、ある時、ふとあらためて思い出を数えると、それがすでに十指にさえ満たなくなっていることに気づいたのだった。

 わたしが無数の思い出に満たされていると信じ込んだがゆえに、これまでわたしに疎んじられ、認められなかった多くの声、今でこそ懐かしい声たちよ、おまえたちはわたしの妄挙のために、雨の日の郊外の風景のような独白を、各々みずからの世界に滲み入らせるだけになったが、しかし今、わたしはおまえたちを求め、おまえたちのさまざまな独白の入りまじり溶けまじる中に身を置こうと決めた。

 声よ、語れ。

これまでに散っていった像に細い玉の緒のような手をのばすために、絶えぬ小雨の雨滴の軌跡の隙を縫って、遠いざわめき、ふるい映画に降る雨のあの懐かしいざわめきのように語れ。

わたしがこの世の習慣にしたがって、往々にして信じ込んでしまう、あの、時のながれという考えのために、とうのむかしにいかなるしかたによっても手のふたたびは届かぬ彼方に流れ去ってしまったと、たびたび思いもしたあの物語、シルヴィにかかわるわたしの物語を語れ。

幾多の思い出、あると信じた数々の思い出は消え、残っているのはわずかの、それも漠としたゆらめいた風景を呈するにすぎないものなのだが、にもかかわらず声たちよ、わたしはまだぼんやりと憶えているような気もする。

雨が降っていた。

道はひどくぬかっていて、つめたい水をいっぱいに吸い込んだ靴がほとんどふやけるようにも思え、そのなかで足は、指の先からきりきりとさしこまれてきたような冷たさになかば縮こまっていた。雨をふくんだ外套が重く、長かった髪はうなじにはりついて、その髪の背中へと垂れ入る先から水がしたたり落ちて、細いながれを肌のうえにつくっていた。
どこまでも同じ道で、空をあおぐとそのたびに異なる巨大な雲のかたまりが、あたかも大地とのあいだに途轍もない軋めきを生むかのようにして流れていった。

嵐だったにちがいない。

声たちよ、どうだ、そうではなかったか。

語れ、さらにはどうであったかを。



(第二声)

 そのとおりだ、聞け、わたしが語る。

 ながい旅の途中、嵐の田舎道でわたしはシルヴィを見つけたのだった。

 激しい風が横なぐりに吹きつけ、黒くもあり白く輝くようでもある巨大な雲の無数のかたまりが、遠い低空を風に引きずられていた。

 わたしの辿るぬかった道は、やや広い間隔でその両わきに立ちならぶポプラとともに果てることなく続いていた。雨はあまりにも激しく、並木の影響もあってか頻繁に向きを変えたので、傘をさすのはとうに諦めていた。
全身びしょ濡れになって歩いていた。濃紺の毛の外套は、厚い濡れ雑巾のようにじっとりと水を吸い、革靴は薄い水っぽい肉片のようにじゅくじゅくと音を立てていた。

 シルヴィは片方の掌を、ある一本のポプラの根本のやゝ醜怪な瘤の上に力なく開いて倒れていた。
中央にしろ、端にしろ、少なからず泥に足をとられるのにかわりはなかったが、それでも道の中央を選んで歩いていたわたしからは、はじめ、その掌だけが見えた。

歩み寄ると、掌は、わたしの近づくにつれて、道のはずれへ、泥まみれの大きな溝の雑草の繁っているところへと裸の腕を伸ばした。腕はやがて泥濘と薄汚れた緑の中でひどく蒼ざめている裸の胸を生み、頭を、体を、足を生んだ。

嵐の道端に、泥にまみれて裸で横たわっている女だ。

紫の唇に、眦に、鎖骨とそこから滑り落ちる窪みに、かなしみのように千々にわかれて貼りついた、幾分、色の不揃いな金の髪を見つめながら、記憶の深い沼の底から、木目の際立った大きな古い木片にさえ喩えうる、過去に繋がった、いや、過去から投じられたひとつの懐かしい実感が、ゆっくりと浮上してくるのを感じていた。

シルヴィだ、とわたしは思った。
ところどころ傷んだ大きな赤革の旅行鞄を泥の中に横に立てて、その上にでも座り、これから半時間でも、いや、半日でも、この横たわっている肉体のかたわらで一服していたいような奇妙な欲望を覚えた。

実際には、彼女の顔の間近に屈み込み、かすかな息を認め、閉じられた目のあたりに、たゞ、とにかくも生きているという事実を見てとりながら、これこそがシルヴィだと、ふと思い出した詩句のように心の中でくり返していた。

わたしは自問した。問わざるを得なかった。わたしは何処をめぐったか。なにを求めて歩いてきたか。この数年間を、この泥まみれの旅の中を。そして、シルヴィとはなんだったかを。

ふと、さっき道の途中ですれ違ったひとりの老婆のことを思い出して、この場の雰囲気にいかにもそぐわぬさまで、弾かれたように往来の中央に飛び出すと、すでに歩んできたはずのこの道の後方、その彼方を眺めてみた。
道はどこまでも真っすぐで、はるか彼方、地の果てに突き当たるかと思われるあたりで雨の中に消えていた。
老婆の姿はどこにも見えなかった。
わたしは安堵した。
さっき老婆とすれ違った際、心に受けた予感のようなものと怖れを思い出したからだ。
老婆が後方に去った刹那、わたしはそのほうを振り向こうとしたが、突然、体の自由を奪うような静かな恐怖が、大地から脚を伝って全身に沁みわたるのを感じたのだった。
その怖れの中を、望まれもしないのにどこからとも知れずやってきた思いが、じっとりと広がりつつあった。
老婆は確かに歩き続けていくだろう。
わたしがせっかく辿って来た道をわざわざ戻って行くだろう。
しかし、わたしがふり返った時には、その姿は認められないのではないか…
そんな思いが、振り向こうとして振り向けないでいるわたしの心を領していたのだった。
すでに胸のうちに鮮やかに映像化されていた、歩んでいく老婆の光景の上に、この思いは半透明の薄い膜のように重なって、複合された新しい印象を生み出した。恐怖は、茶色のガラス瓶の中の白濁した、病弱な幼年時代の馴染みの、シロップで甘みを加えられた薬のように、やゝ親しみやすいものとなった。
予感に違わず、本当にどこにも老婆の姿が見えないのを知ったわたしは、いまやその恐怖を、シロップで甘くされた飲み薬のようにゆっくりと呑み下したわけだった。
それでも、老婆の印象は切れ切れになおも浮かび上がった。
傘を持ってさえいなかった黒頭巾の小さなあの老婆にも娘の時代があって、わたしがその頃に出会えば心惹かれたかもしれないと考えると、なにか戯れに過ぎたような気がして、わたしはそっとあたりを見まわした。
そして、シルヴィのところへと静かに足を返した。

さっきの欲望が思い出されて、わたしは旅行鞄を泥の中に横に立ててみた。
だが、そこに腰をかけることはしなかった。
わたしはやはりシルヴィの頭のかたわらにしゃがみ込んで、ほとんど思い出そのものといってもよいような、この懐かしい顔を見つめるのだった。

豪雨の中、移りゆく暴風雨の音の中で、静寂が、子供部屋に吊られた蚊帳のようにわたしを包んでいた。
それでいて、その静寂は、どこまでも広がり膨れ続けて、留まりを知らぬようで、お仕舞いには鈴の音のようにこの世の果てへまで滲みわたるかと思われた。

脚がしだいに疲労に凝り固まってくるのを感じながら、わたしは、わたしがわたしであった時代は終わってしまったのだ、と思っていた。
完全に終わってしまったのだという自分自身の断定がわたしを感動さえさせるようだった。

もし本当に終わってしまったのならば、わたしは思い出すことができるだろう。
意識的に記憶を掘り起こして、細く神経のように伸びた真実を引き出してかまわないだろう。
そうすれば、――とわたしは空を見上げて思うのだ、その空では、無数の雲塊のうちの殊に壮大な一塊が、今まさにわたしの頭上を運命のように流れていくところだった。
そうすれば、あるいはわたしも自分の位置を知ることができるかもしれない。
そうして、シルヴィとはなんであるのかを、知ることができるかもしれない。

本当に、いま目の前に横たわっているこの娘が、数十年来わたしを放浪させた謎であり、魅惑だったのだ。

はじめて出会ったあの時以来、これほどシルヴィに肉迫したことはなかった。

だが、こうして目の前に、わたしの生のゆくえを変えた娘を投げ出されてみると、謎は全く解かれ得ないという予感を抱くのだった。
この嵐の田舎道のかたわらにあって、もし悲嘆や絶叫が悲愴気な喜劇とならないならば、わたしは全身を以てこの鬱屈を語るだろう。
あゝ、なんという娘、この娘はこんなにもわたしから遠ざかっているまゝなのか、とでも。



(第三声)

 …謎。

謎と言ったな。

そんなものはなかった。
 わたしは若かったから、すべてのものを吸収するのに忙しかった。

シルヴィがなにゆえに謎だというのか。
繁みに踏み入り、とある切り株に腰を下してしばらく休み、正常に戻ってきた呼吸を確かめながらあたりを見まわした時、自分のすぐ後ろに真新しい墓標を見出したようなものだ。
その繁み自体がわたしには真新しかった。その中の墓標が繁み以上に、どうして真新しいものに、見出したその一刹那、思えるというのだろう。

わたしは同年代の者たちとともにヨーロッパをまわっていた。
わたしたちはやがて海峡をこえてイギリスに到った。
すべてはそこでの出来事だ。

おまえ、わたしではない声よ、わたしではないにもかかわらず、心の縦長の空間の底の底まで静かに轟き下ることのできる声よ。
おまえは回想する。
おまえにできることといえば、せいぜい、歩みを止めて振り返ることだけだ。
すべてはそこで生じ、すべては終わってしまった。
おまえ、おまえにとってはな。
はじめから終わりまで、すべてがその地で廻り切ってしまった。
それはそれ、どんな人間の生命も、結局は地球の軸をさんざん廻って擦り切れていくようにな。
おまえはその土地に恋着する。
想いの中でのみそこに立つことができる。
見ろ、おまえの足元には短い青草が生じ、広がり、ゆるい傾斜を土地に与えたと見る間に赤い煉瓦造りの建物に行き当たろうとする。
あるいは遠いところ、声のかわりに風が届くかと見えるあたりにまで草たちは広がり、まばらに太い樹々が伸び、仲間たちはこの広がりの中に散って遊び、楽しみ、静かに悲しむ。

おまえは草の上に腰を下してしまった。

滑る雲たちは白く、やゝ紫がかってもおり、あいかわらず低いところに青空によって抑えつけられている。

此処までは雨も届かぬ、風もまた、―いや、風はある。
その風に、宙に舞ったボールは心もち流される。
それはゆっくり落ちてくる、落ちてくる、落ちてくるのにあわせて、目を落とす、頭を下げる、見上げたばかりの顔を下げる、下げていく、下げてしまおうとするこの間に、あゝ、すべては忘れられてしまう、もう雨もなく、変わってしまった、完全に、腰を下してもしまった、脚はもう、これ以上、痺れもしない。暴風は去り、取り残された微風が草を弾くばかりだ。

指で草の隙の土をほじったり、また跳ね上がったボールを見上げたり、首をまわして脛骨の音を耳の中に響かせたりしながら、芝生の上に作られたにわか拵えのバレーボールコートのわきに腰を下して、自分のチームの番が来るのを待っている。
夏にもかかわらず、肌寒い風が弱く吹き続ける中で、隣りに座った友人と話を交しながら、目の前で行われている他のチームの調子はずれの試合を見ている。

サッカーは見事なものだが、バレーボールは得意ではないというのが、この国の青年たちに対する友人の結論だった。
これにはわたしも同意し、この結論を得たところで話が途切れる。
しばらくして、空を見上げて目を瞑っていたわたしに、彼が小声で言う。

ほら、ぼくの隣りにいるのが例の娘だよ、この国の隣り、あのフランスの娘。
フランス人?
うん、三人だけフランスから女の子が来ているんだよ。そのうちのひとりなんだ。さっきから時々見ているんだけど、ずいぶん引き立つっていう感じだな。話しかけてみろよ。

その娘のほうを一瞥して、わたしは、視線をすぐに友人のほうに戻した。
隣りといっても、友人からいくらか離れたところに娘はいて、しかも、長い、やゝ色褪せてもいるかと見える金髪に隠れた横顔だけがわずかに見えたにすぎないこともあって、印象はごく曖昧なものだったが、その曖昧さで十分こと足りるほどの興味しかわたしには湧かなかった。

わたしは全くの少年だった。陽の下に黄金に近い色で映える自分の肌とおとがいの滑り、見開いた自分の目の眦だけを好んでいた。

彼の勧めを拒み、片方の目を細めて口元を微笑みのように引き締めながら、軽く首を振った。 

君こそ、話してみろよ。ぼくはいいから。
じゃあ、いっしょに来てくれよ。

そして、娘のかたわらに移ると、彼は話し始める。
わたしは腕で両足を抱え、彼の横から首を前に傾けて、その娘のほうを覗き込む。

その刹那、娘は彼の言葉に注意を集めながらもわたしに目を向け、まなざしが合う。見知らぬ異境の者どうしが見つめあう。まなざしはさぐりあい、交わりあう。

――逸らしたのは、わたしのほうだ。

意識もせずに、知らぬ間に、空の雲の一片の薄い紫へと視線は解かれ、その雲は、空の果ての一方へとやがて移り、これから日の入りの暗闇が一日の終わりに染み上がろうとする頃、夜よりも心を暗くするあの日没の闇がそろそろ木立の隙に頭をもたげ始める頃、宿舎に着替えのために戻る道すがら、娘の名をわたしに告げるとともに、それにしても綺麗じゃないか、と友は言う。

すでに暗くなった足元を見つめて歩きながら、わたしはそれに頷いたが、娘の瞳に自分の瞳をあわせた時に負ったらしい何ものかの位置を、背中の上で少しずらしでもするかのように、
「でも、“シルヴィ”なんて、どことなく金属的な響きのする名前だね」
と洩らした。
 こういう感想をわざわざ口にしたことに気恥ずかしくなって、わたしは歌うように大きく空を仰いだ。



(第四声)

 先行する声よ、なぜ、もっと詳らかに語ってくれないのか。
 身のまわりに起こった出来事の印象を、吐息のように宙に飛ばされただけでは、わたしは満たされない。

 あゝ、わたしなら、どう語ろう? 
声をひそめて語ろうか、それとも静かに語ろうか?
すべてが帰って来るようだ。

 あの時、わたしは高等学校の生徒だった。

 長いこと、17歳の時にヨーロッパを廻ったのだと思い込んでいたが、そうではない、わたしは16歳だった。
 わたしの高校は私立の男子校で、毎年、30人ほどの希望者を募って、夏、研修という名目でヨーロッパへの旅行を行っていた。
 学校がアングリカン・チャーチのキリスト教を教育の基礎としていたためか、この旅行では、その宗派を国教としているイギリスに重点が置かれていた。
イタリア、スイス、フランスを経て、わたしたちがイギリスに渡ったのは7月24日の土曜日で、88日までこの国に滞在する予定だった。最初の10日間はこの国の同年代の若者らに交じって、夏期の合宿生活に参加することになっていた。
わたしたちは、上陸した港町から首都まで急行列車で向い、そこから今度はバスで、首都からいくらか離れたウィンクフィールドという合宿の地を目指した。

到着したのはその日の夕方5時頃で、そこは広大な緑のグラウンドを持つ、少人数制の煉瓦造りの田舎の学校と見えた。
この学校の校舎やグラウンドを使って10日間合宿をするわけだが、いくらか大雑把な説明を聞かされてきたとはいえ、わたしたちはその10日間をどうやって過ごすのか、ほとんど知らなかった。10日間を徹底して遊ぶことで、イギリスの青少年たちと親睦を深めるという話だったが、たかが10日で外国人どうしが本当の交流などできるはずはないと、当時のわたしは思っていたので、この10日分は美術館や博物館などの詳しい見学にこそまわすべきだと、内心思っていた。旅行の栞を開いても、この10日間に関して得られるのは、Windsor Summer Camp Lambrookという記述だけだった。

バスは道を迷いながら、予定よりかなり遅れて到着した。わたしたちは疲れきってしまっていた。
わたしたちのことを待っていた数人のイギリスの若者が、門のかたわらの林沿いにバスのほうへ駆けよって来た。荷物をバスから降ろす手伝いやもろもろの案内のためだった。
こんなところでどうやって10日も潰すというのだろうと、やや皮肉げな疲れた疑問を交わしあいながら、わたしたちは到着時の慌ただしさに巻き込まれていくのだった。たった今、グラウンドをひと走りしてきたようなこの国の生き生きとした青年たちを前にして、わたしたちはこの時、今までになかったほどに、自分たちが異邦人であることを痛感した。しかし、活力は次第に蘇ってきた。どこからとも知れず力が湧いて、体中に行き渡っていくさまは、ほとんど、漸次大きくなっていく陽気な歌声に似ていた。

…昔に戻りたいなどとはわたしは思わない。

しかし、どうしたらあの頃の心持ちを蘇らせることができるのか。
今やりはじめたようなぐあいに、生真面目な個人的な旅行記のように語っていけばいいのか。

あゝ、誰も語ってはくれない。
なにひとつ帰ってはこない。
わたしは止むに止まれず語るものの、自分の内から漏れ出るこの言葉たちを見ていると、あたかもすべてが絵空事か、それとも未来のことのように定まらぬかに思えてくる。自身の言葉を信じる者はいないのだから、わたしもまたそうであってかまわないはずなのだが、そう観じたところでなんの安らぎも得られはしない。
その上、どうしてわたしは過去形でしか語れないのか。
すべてはいまだにわたしの内に生きているのに、なぜ語ろうとすると過去のことになってしまうのか。
真実までが、言葉に乗るやいなや流れ去ってしまうのだ。



(第五声)

 愚かな嘆きの声が聞こえる。

 近い声よ、なにひとつ過ぎ去りはしない。
時は流れず、ただ水が河を下り陽がめぐり、大気が風を生むだけだ。

 ひとは生まれるかに見え、死ぬかとも見える。
時が流れるのを欲したのは誰だ? 
その者のうちで時は流れ、すべてが過去という棚に仕舞われる。
しかし、その者は生まれたかに見え、生きていたかにも見え、死んだかにも見えただけだった。
嘆きの声よ、過去のかたちで語ることは、すべてを手の届かぬ昔へと流し去ってしまうことではない。過去形は生や光景の拡散を防ぐ封印だ。このかたちで語る時、すべては永遠に蓄えられ、生き続ける。もし、時が流れると思いたいのなら、思えばいい。しかし、なにが流れるのか、時とはなにか。流れるものがあるとすれば、この大河はおまえを流す。おまえの過去をもともに流してしまうことになる。それにもそれなりの幸福はあるというものだ。流れることの幸福を知っているか? いろいろなものがやってくるぞ、いろいろなところへ行きもするのだ。

だが、違う。
時の流れとは、本当のところは、壜に蓄えられた古の水のようなものなのだ。

「あの時も、わたしは期待していた」、と。

見ろ、こう言うことでわたしは壜の中、封印の中に生き続ける過去へと入ってゆく。
すべては現在となって、血が通う。
いや、血が通っていると気づくのだ。



(第六声)

「あの時も、わたしは期待していた」………

しかし、その期待は、たとえばそれまでに訪れた他の国々の街や都、パリやローマやフィレンツェなどに対する期待とは全く異なっているに違いなかった。

合宿所として使われるこの田舎の学校は、一見、いかにも興味の対象とはなり難かった。
わたしの国では想像もつかないほどの広大さとはいえ、結局はただの野原にすぎないと言えないこともない緑のグラウンドや、真ん中がハンモックのように落ち窪んだベッドしかないこの校舎に、一体、どういう面白味を見出し得るというのだろう。
わたしは此処に来る前に、ともかくもたくさんの街をまわってきたのではなかったか。
ただの観光で駆けまわって来たくせに、と言われるだろうか。
いかにもその通りだが、わたしはいつも、自分の若さを、いや、むしろ幼さを信じて駆けまわってきた。ほとんど大人として扱われ、自分でもそう装うように努めはしながらも、わたしは結局、16歳の少年にすぎなかった。大急ぎで駆けまわるにも、わたしは少年の感性で駆けまわった。この年頃は、ごく些細な事柄から必ず思いもよらないものを引き出す。一時間でも二時間でも見知らぬ街を歩きまわれば、少年にはその街というものが感覚的に理解し尽くされる。いかにも単純で陽気なヒヨコの団体の一員のように騒々しく街から街へと移りながら、その実、わたしたちは、一時の休みもなく未知の世界を吸収し続けていたのだった。
そういうわたしが、どういう期待をこの片田舎に抱き得ただろう。――いや、それでも、わたしは確かに期待していた。どういう時でも期待せざるを得ないのが若いわたしの性分だった。
この期待は判然とはしていなかった。後のなりゆきをすべて知っているつもりの今のわたしとしては、そういうぼんやりした期待を一種の予感のようなものだと説明したくもなるが、それではこじつけも過ぎるというものだろう。

いずれにせよ、その日は、予感もなにも意識に入り込む余地はなかった。六時半に夕食があると知らされて、わたしたちは大いに急ぐ必要があったのだ。
バスの中での倦怠のためにいささかしどけなくなっていた身なりを、それまでに整えねばならなかった。わたしたちに割り当てられた木造の白塗りの建物は、一階から二階まで狭い階段を通じてばたばたと喧騒を極めた。とにかく、はじめての日なのだから、あまり馴れ馴れしい恰好はふさわしくないと皆が思っていた。夕食でもあることだから、旅行中の制服ともなっている青いブレザーを着て、絶対にネクタイを着用して、まかり間違ってもジーンズなどには履き替えないように、というのが意見の大勢だったし、引率の教員の指示でもあった。何人かがごく消極的なかたちでそれに逆らった。わたしは上着もネクタイもなしで食堂に駆け込んだ。そういうわたしでさえも、結局は、ちゃんと折り目の入ったズボンにワイシャツという、いくらか中途半端な格好で、Tシャツとジーンズのイギリス人たちの中に混じって行くことになったのだった。
食事はセルフサービスで、わたしたちは配膳台の前に皿を持って並んだ。わたしたちはすでに、この国の青年たちのうちに交じり入っていた。外国の街を歩きまわるのとは異なる、もっと親密な関わりあいを余儀なくされるこの状況のために、皆、多かれ少なかれ心の状態の変化を感じ、どうにかそういう自分の心の動きを把握し、調整しようとしていた。すみやかにこの環境に溶け込む必要があった。
この必要に対する反応は、わたしにあっては、ほとんど無意識な演技として表われた。すぐ後ろに並んだイギリス人青年にわたしは皿を取ってやった。礼を言って受けとると、彼は微笑んだ。わたしも微笑みを返したが、内心、自分の行為が妥当なことだったか疑った。
彼の隣りに座って、わたしはこの地でのはじめての夕食をとった。わたしたちふたりは時々見つめあって微笑しあうだけで、なにひとつ言葉を交じわすことはなかった。青年は亜麻色の長髪で、日本人にはあり得ないようなその甘いやわらかな美しい顔立ちを見ていると、翻訳小説の挿絵でも見ているようだった。いざとなると、予想以上に自分の語学力が心許ないとわかったが、それでも、来た早々としては仕方もないかと思った。
夕食が終わると、チャペルでの礼拝がそれに続くのが連日を通しての常だったが、この最初の日については、食後の礼拝の記憶はすこぶる薄い。
わたしの記憶は、八時頃から行われたダンスパーティーやゲームへと飛ぶ。以降、毎晩行われることになったそれは、ハウスパーティーと呼ばれていた。
この地では八時頃が日没だったが、その頃になると皆が大きな集会室に集まった。
突然、音楽が鳴り出す。準備体操のようなダンスが一曲踊られる。人数が多いため、前にいる人を蹴飛ばしそうになる活発な踊りだが、それが済むと、今度はいよいよ、わたしたちも知っているようなフォークダンスふうの踊りが始まる
もっとも、日本ではあり得ないほど思い入れたっぷりの曲と踊りっぷりで、日本人には少し気恥ずかしくなるような雰囲気だった。そのためか、この最初の晩、わたしたちはずいぶん気遅れしてしまい、曲にあった踊り方などできなかった。
ただただ、ダンスに次ぐダンス、またダンス、合唱にジュースに夜の礼拝…という、目の回るような連続にすぎなかった。
しかし、日が経っていくにつれ、曲の一曲一曲が、踊りのひとつひとつが、各自の心に次第に深い刻印を残していくことになったのだった。

あれは何番目のダンスだっただろう。
わたしたちはいよいよ、この地の娘を各自ひとり、踊りの相手として選ばねばならなくなった。
わたしたちやこの地の青年たちを合わせて男女別の人数を比べても、女子の数は男子のそれを上回っていたので、“あぶれる”心配というのはなかった。だが、わたしは、いよいよ自分とは関係のないことが始まったと思っていた。娘を、ただの踊りの相手としてとはいえ、自分の判断と相手の合意とによって選ぶというのは、わたしにとっては、それまでは絶対にあり得ないことだった。
集会室の内まわりの壁に接して並べられていた椅子のひとつに腰を下して、皆の踊りを眺めながら、どうにかわたしは、心の習慣とこの状況との間に折り合いをつけようと思った。
ひとりの、これもまた内気な友がやってきて、わたしの隣りに座った。二言三言言葉を交わしたが、それは互いにいくらか自虐の色を帯びたものとなった。
この友とのこうした会話に、わたしは内心ほどなく嫌気がさして、彼から心もち身を遠ざけ、他にいったいどんな連中がダンスから離れているのだろうと思い、あたりを見回した。
わたしのところから三つほど離れた椅子に腰を下している娘に興味を惹かれた。
朱色のズボンに白いブラウス、その上には紺のカーディガンを羽織っている、縮れた硬い金髪を頭の真ん中で分けた、ちょっと蔭のある雰囲気の娘で、ふてくされたように無造作に足を組んで、まるで強いられた仕事ででもあるかのように、苦しそうに煙草を吸っていた。
次の新しいダンスが始まろうとしていた。
立ち上がって、その娘の前まで行くと、自分でもどういうつもりかわからず、生来のもののような娘の憂色に惹かれるようにして、わたしは黙って手を差し出した。
わたしを見上げたのは、彫りの深い、大づくりではない顔で、他のあらゆる印象を打ち消してしまうような眼差しの鋭さには、かりそめの変装をして現われた昔の知己をただちにそれと見抜いてその知己に対する自分の心情を押し隠すために故意に難詰してみせるようなところがあった。
この眼差しには見つめられたことがあるように感じた。
娘は顔をふたたび下に向け、煙草の火を足下の大きな缶の底で揉み消しながら、わたしの求めに応えて大きく頷いた。
痙攣するように、さらにもう二三度小さく頷いた。
わたしたちは手を取り合って、踊りの輪の中に入った。
断ち切られていた運命の輪のひとつが、これによって旧に復するようにわたしには感じられた。
たった今の自分の心の動きさえ辿れないため、そういう感覚にでも縋る他なかったのだが、他方、同時に、その感覚がとても正確なものとも思えていた。

11時の消灯の決まりにわたしたち新参者は従順だった。
到着時にあれほど喧騒をきわめた建物の内部がまったく静まりかえった。夏というのに、夜も遅くなると肌寒いほどだった。
ベッドの中で、たった今歩いてきた集会室から宿舎までの小路の暗さをわたしは思い返していた。
さっきの娘は、わたしの心の深いところに何かを確かに跡づけたが、跡づけられたそれは、彼女への憧れと変わるにはなにかが物足りなかった。
というより、憧れというものとはまったく異なった印象があった。
彼女には、美しいとか可愛らしいという形容ほど不似合いなものはなかった。ちょっと悪魔じみた哀しさを帯びていて、そのマイナスの磁気によってわたしを、いや、むしろわたしの過去を、否応もなく強く引き寄せたかのようだった。
しかし、彼女との関わりは今日だけのことだと、わたしは思おうとしていた。たかがダンスの相手というだけのことだし、最初で勝手がわからなかったということもあるし、だいたい、――とわたしは心に語るのだった。だいたい、きれいでもなんでもないじゃないか。
暗闇の中で、隣りに寝ている友が小声でたずねてきた。
みんな、いろいろ自分たちのことを話していたけれど、きみはどうだった?好きなひとができた?
「ぼくが?」と、わたしは必要以上にその問いに驚いてみせた。
まさか。でも、そのうち、勝手にこっちから、誰かを好きになるぐらいのことはできるかもね。ま、みんなのようにはいかないよ。あんまり好かれるタイプじやないことぐらい、自分でわかっているし、それに、女の子の友だちを作りに来たんじゃないからね。
そうかなあ、わからないもんだな。
そう彼は言うと、それっきり黙ってしまった。
開いたままの小窓から、冷気とともにときおり虫が入ってきた。
長いあいだ、壁を打つ蛾のはばたきだけが、9人ほどのわたしたちの部屋の中に響いていた。

翌日、朝食の後、その日一日の計画が発表された。礼拝の後、9から会合が開かれ、その時に班分けがなされて、それ以後、最後の日に至るまでその班別でゲームや競技が行われるということだった。
東・西・南・北の四つの班のうち、わたしは東(イースト)班に入れられ、緑色の襷を与えられた。他の班には、青・赤・黄の襷がそれぞれ配られたが、どの色がどの班を表わすのか、わたしには最後まで覚えられなかったし、覚える必要も感じなかった。ともあれ、この班分けによって、――ある友の言うのによれば、いよいよ特定のガールフレンドを決めることが容易になってきたのだった。
「そりゃ、確かに、範囲が限られてしまうという難点はある。それに、他の班の女の子が好きになった場合、やっぱり不利だからね。でも、逆に言えば、あの子は何班だから、今どこどこへ行けば会える、っていう察しもつくというわけさ」
 なるほど、そういうものか、とわたしは頷くのだった。
わたしたちの間には、全く、うんざりするほどにこういう雰囲気と会話が満ち満ちていた。ほとんど誰もが他愛ない恋の予感にうきうきとしていた。
わたしの心も開かれつつあったのは確かだ。
ここでは、いわば、恋することが最高の美徳だった。誰もが周囲を見まわして好ましい相手を見つけようとしていた。軽い挨拶のように、好きだよ、と告げることができそうだった。相手が好いてくれるかどうかは、これはまた、もちろん問題ではあるのだが、それはしかし、後の問題、全く別の問題だった。誰もがくったくなく動きまわっていた。わたしたちは今、正真正銘のひとつの楽園にいるのだった。
こういう状態が永続するわけはない。
永続どころか、限定された領域内でのただの10日間ほどのことであり、それだからこそ、いかにも寛大なふうを見せて世の中が許したのだと考えると、どこかに必ず隠されているに違いない世の中の監視の目に対して、せめて必要最小限の仮装だけは怠りなく付けておかなければならないと思うのだった。
 昨夜の娘が同じ班にいることに、わたしは早くから気づいていただろうか。
気づいていたかもしれない。
が、わたしは見向きもしなかった。
彼女はわたしにとって「昨晩いっしょに踊った人」でしかなかった。
しかし、あまり意識しないようでいながらも、わたしはどうやら、じつに詳細に彼女を観察していたようだった。
彼女はいつも、片隅でひとりで煙草を吸っていた。それも、まるで厳しい女教師のように真っすぐな姿勢で吸っているのだった。椅子に座っている時など、じつに見事なもので、煙に浸っている間は体を歪めることなど全くないといってよかった。あらゆる部分に注意が行き届いていた。両の手のひらは必要のある時以外はつねに固く結ばれていたし、背筋の直線を受けて首も真っすぐに保たれ、顎は適度に引かれていて、決して前には投げ出されることはなかった。脚を組んでいることが多かったが、上に組まれたほうの脚、つまり地を離れているほうの脚の爪先は鋭く地面に向い、脚の全体像をできるだけ完全な直線に近づけようと意識的に努めているかに見えた。
こういう姿態から時おり微笑みも投ぜられたのだが、それは他の娘たちのものとは似ても似つかぬ、甘えと感情の無駄の全くない厳しい微笑みだった。
最初の晩、この娘が無造作に脚を組んでいたと見えたのは、あれは見誤りだったかもしれないとわたしは思うようになっていった。いや、あの晩の印象もまた本物だったのかもしれないと思ったり、あの時のほうが真の姿なのかもしれないと決めつけてみたりもした
いずれにしても、こういうことを考えるようになったのは、最後の日も間近くなってきてからだった。それまでは、この娘を見るたびに、これは厳しい母親になるだろうと思っていた。その厳しい母親になった彼女自身に、かつて自分が育てられたことがあるような気持ちをわたしは持っていた。

10時半から球技が広いグラウンドで行われた。
クリケットで、この国特有のスポーツだった。
そういうものがあると知られてはいても、わたしたちの国ではほとんど普及していないものだった。それほど難しいものではなかったので、わたしたちは軽い気持ちで参加できた。
だが、この球技は、わたしの友人たちにはあまり評判のよいものではなかった。こちらがルールをよく知らないためもあるのかもしれないが、このゲームはあまりに合理性に欠け、緊迫感に欠け、曖昧に過ぎると見えるところがあった。まして、男女混合で純粋にお遊びとして行われたのだから、なおさらだった。
運動がさほど得意でもないわたしにとっては、それも悪いことではなかった。試合の間のほとんどを、あまりスポーツらしい動きも要求されず、芝生の上に立って守備につくか、腰を下して打順を待つかして過ごせるのは、なかなか快かった。
肉感のある流れゆく雲と、うるんだような穏やかな空の色が目を楽しませた。
この国の娘たちの栗色の髪に目を移したり、近くにいる者とこの国の言葉で舌足らずの会話をするのも楽しかった。
重い綿雲のように、時間はゆっくりと流れた。

午後は、夕食までの間、自分の好きなスポーツを行うことになっていた。
器用に動けば体力の不足を補えるということで、わたしはバレーボールを選んだ。
起伏のある芝生の上にふたつほどコートが作られた。なにもかもがいい加減なものだった。この国の青年たちはあまりこの球技には馴染んでいないらしく、その動き方はわたしよりもはるかにぎこちなかった。いつの間にか試合などはいい加減に放り出されて、彼らに対するわたしたちのバレーボールの指導が始まった。もっとも、日本に帰れば他人にスポーツを教えるどころではないわたしは退いて、邪魔にならないようにコートの傍らに座った。
やがて、また試合が始まる。
わたしは自分のチームの番が来るまでずっと同じところに腰を下したまま、隣りに座っている友と話をしていた。

その友によって、この国の隣りの国フランスの娘たちも此処に来ていると教えられたのは、すでに、おまえ、わたしの前を流れた声たちのひとりが語った通りだ。
確かにおまえが語ったように、あの前触れのような出会い、後にわたしの生に明確な方向を与えるようになった存在との出会いはなされた。

どんな出来事もいつの間にか始まっている。
それに気づいた時には、すでにどうにも抜け出せない流れの中にいるものだ。
すべては決定されてしまっている。
翌日からわたしに与えられる幾つかの出来事と、それらによってやがて苦しめられるわたしの想像力とその成長とを、この時のわたしがどうやって予知し得たというのだろう。
わたしの回想は、後に続く記憶の中の、ことに美味な事柄だけの間をはやくも断片的に飛びまわろうとする
そうした脈絡のない回想が、――自然な再生にまかせた意識的でない回想が、はたして今のわたしを幸福にしてくれるだろうか、今のこの状態からわたしを解放してくれるのだろうか。



(第七声)

 だが、そういうことに思いを巡らすよりも、まずやらなければならないことが、シルヴィの脇にしゃがんだままの嵐の中のわたしにはあるはずだった。

 このままではシルヴィは死んでしまうだろう。
この急がねばならない状態を前にして、わたしは何をしていたのか。
すでに土気色に蒼色に、あくまでわたしの記憶のうちでは温かく、薄赤くさえあるはずだった彼女の肌は、色を変えてしまっていた。

わたしは彼女の右脇から背に自分の左腕を通して、肩胛骨を支え、手のひらを左脇に出し、しっかりと支えるために指を左乳房にまで伸ばし、右腕を腿の裏にまわした。
立ちあがるとシルヴィの頭と両腕ががっくりと垂れた。
たった今掘り出されたばかりで、まだ土に塗れているが、なんらかの奇跡によって人体の柔らかみを与えられた古代の彫像を両腕に抱えてでもいるようだった。

彼女の右頬に、抱き起こした時に撥ねたらしい泥の小さな塊が付いていたが、それがなにかとても傷ましいものに感じられて、道を歩き出しながら自分の頬で拭い取ってやろうとした。
だが、激しい雨のほうがよほどきれいに洗い落すはずだと思い直し、この裸体の洗浄をすべて雨に任せた。

荷物を、旅行鞄を思い出して、ふと立ち止まってふり返った。
鞄は、道のかたわらに、もう此処からはかなり離れて、赤いまま、雨に打たれて横ざまに立てられていた。
あのままにしておこう、と思った。
いつか再びこの道を戻って探しに来ることもあるだろう。
だが、その時まで鞄はあのままにされているだろうか。そんなことがありうるかのように、この時のわたしが信じたとでもいうのだろうか。

しばらく行くと、左に細い道の分かれるところに出た。その叉のところに立ち止って細い道の先を望むと、遠くに建物がひとつあるのがわかった。
医院と見えた。かがやきのない白い平屋の、坪数の広い建物であると見えただけで、いまだ遠いこともあって、肉眼では医院であるなどとはわからなかったはずだが、しかし、それが医院であるのを、ずっと以前から、過去のある時点から知っていたかのような気が、わたしにはしていた。
むろん、わたしは、自分のそんな思いを疑ってもみた。はじめて来た場所なのに、あれが医院だなどとわかるわけがない、と。だが、一方で、いや、此処は確かに来たことがある場所だ、今なにをすべきか、わたしのまわりの有象無象のものがどのように動き、時を展開させるかも、ほら、この通り、心の深いところでわかってしまっているではないか、とも思うのだった。
意識にとっても、今のこの状態は、想像の中にぽっかりと開いた休息の場のようなものだった。想像力がしばし休息しても、その間、想像そのものの流れのほうは、惰性であやまたず進んでくれる時。

あの建物が医院であろうとなかろうと、とにかくあそこまで行けば、今の状態から解かれうるに違いなかった。
わたしは解放されるのを欲していた。
体は疲労していただろうか。
冷たさの中で、シルヴィを抱えている腕は硬直しつつあったろうか。
いや、わたしは身体的にはなんの不快も感じていなかった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
では、なにからの解放を望んでいたのか。
わたしにはわからなかった。
わかっていたのは、シルヴィを両腕に抱えて嵐の雨の中を、泥に足を取られながら歩んでいくこの状態は間違いなく終わるだろうということと、終わらなければならないということ、そして、それらが確実なことである以上、自分は今、そうなることを欲しなければならないのだ、ということだった。

ふと、わたしは、雨が冷たいということに気づくのだった。
そんなことは、さっきから、否応もなく知らざるをえない事実であり、冷たいと感じ続けていたとわかってもいるのに、わたしは、突然の発作の所産のようなこの感覚に驚き直すのだった。
そうして、気づいた。
わたしは今、降る雨の上から自分を見下ろしてもいるのだった。
視界は果てしなく広がり、自分がどこを歩いているか、自分から隔たったあらゆる場所で、今、なにが生じているかを瞬時に察し得るようだった。
雨の無数の糸は、あたかもわたしの中から目を通して視線のように眼下の自分へと降り注ぎ、他方、これまで来た田舎道を捨てて小道へと踏み入ったわたしは、自分自身の親しい前触れに道を照らされたように、深い安堵に包まれて歩いて行くのだった。

だが、そう認識するや否や、それまで感じなかった重い疲労を負わされて、わたしは再び、位置のよくわからない田舎の耕作地の寒々とした大きな広がりの中、偶然に自分の前に現われたかのような、ただそれだけの意味しかないような小道の上にいた。
それはしかし、とにかくも、医院に続く道だった。すでに、かなり近づいていた。
もう大丈夫だという思いとともに、腕の中のシルヴィを見た。
今までより、彼女の体が小さくなっているように思われた。
歩き続けた。
間違いではなかった。
彼女の体は小さくなり続けていた。
ほとんど到着したといってよいあたりで、わたしは堪え切れなくなって、ついに駆け出した。
シルヴィはわたしの走る速さに応じて、さらに小さくなり続けた。彼女の体の小さくなっていく速さよりもいっそう速く行かなければ、と思った。

すでに建物には着いていた。扉は、真ん中でふたつに分かれて左右に開かれるかたちのもので、片側が全開されていた。
玄関に二三段ほどの小さな階段があり、そこでわたしは躓いた。
どうにか転倒を避け、その時踏みしめた足の恐ろしいほど場違いな音を聞きながら、此処が本当に医院であることを、その特有の臭いで知った。
ほとんど乳児ほどに小さくなったシルヴィを、雨水そのもののように凍えたわたしの胸で温めるようにして抱き締めながら、暗い廊下を走り、診察室を探し当ててその中へ駆け込んだ。
診察室の扉は玄関そのものと同じ形体で、やはりその片側だけが開かれていた。
部屋の中はいっぱいに明かりが灯されていて、途方もない眩しさの中で、医師らしい中背の男がわたしのほうに両腕を広げていた。彼の顔は、赤茶色の暖かい色あいの髭で覆われているように見えた。
シルヴィを捧げもののように彼の腕に委ね、目を見つめて、
「死んでしまいます…」
 と呟いた。
 それ以上言う元気はなく、なにをどう言えばいいのかも纏まらず、たぶん強ばった顔を医師に向けていたのだろうと思うが、医師のほうは、なにもかもわかっているとでもいうように、二度大きく頷いた。

 医師に合図された看護師が、わたしより背が低いにもかかわらず、わたしの肩に片手を乗せて、背を抱くようにして診察室の外へわたしを連れ出した。後ろ手にそっと扉を閉めると、傍らに置かれていた長椅子にわたしを座らせ、わたしの額や頬に掌をあてて、顔を少ししかめ、「ちょっと待っていてください」と言って、どこかへ去った。
 わたしは目を瞑り、上からなにものかに引っ張られるようにして姿勢をどうにか保ったまま、椅子の冷えた背に凭れていた。疲労が小さな震えとなって全身から滲み出していくのを感じていた
シルヴィはどうなっていくのだろう。死んでしまうのだろうか。そんな思いが、いつのまにか、死という言葉を引きよせてきた。その言葉は、わたしのうちに急速に固定観念のようになって結ばれていくようだった。
シルヴィの死、シルヴィの死…と、頭のどこかで幾度もくり返され、それを軸にして思念が自動運動を始めているようだった。
わたしは、まるで、難解な章句を読み飛ばしてもう一度正確に追い直そうとする時のような注意深さで、シルヴィの死という言葉を、一音節ずつ確実に辿り直そうとした。そうしさえすれば、なにか確固としたものに、死も不死もないものに手が届くかとでも、心の深いところが信じているかのようだった。

すぐ目と鼻の先の診察室の中にシルヴィがいるにもかかわらず、わたしはずいぶんと彼女から遠ざかってしまったように感じていた
さっき、病院に近づくにつれて彼女の体が縮まって行った時に、すでにわたしはシルヴィから、歯車の正確な噛み合いのような確実さで遠ざかり出していたのではないか、と思われた。
ならば、医師に彼女を委ねた時、彼がすべてを了解しているというように頷くのを見て、心に懸かっていたなにかについての考察をわたしが停止した時、わたしは自分自身でこのことを、シルヴィから遠ざかってしまうということを是認してしまったことになるのではないか、とも思われた。
大変な失敗をしたのかもしれなかった。
しかし、その失敗は、なんと自然に、必然的な様相でやってきたことだろう。
少なくとも、わたしは、このためにようやく足を休めることができたのだ。あたかも、つらい時には容赦なくつらい道を、快い時には十全に快い道を人間に示す、気心の完全に知れた運命という女神が、今回は後者のほうをわたしに示してくれた、と知ったかのように。
その女神からつれなくされながらも、猶も度あるごとにまなざしに乗せようとする、愛着の念とも、あるいはすでに彼女の心を読み取ろうとする気力さえ失った者の目に滲み上る、涙のような、あきらめの念ともつかぬ色を以て、いや、むしろ、その自分の目の色にその目自体を引き寄せられたようにして、わたしはふと、診察室の扉を見た。

閉められた扉の表は黒く見えた。
わたしが見知った多くの病院のもののように、本当は茶色いのではないか、此処は暗いから黒く見えただけではないのか、と考えたが、そういう思いの底から、自分はさっき看護師が後ろ手に扉を閉めるのを本当に見たのだろうかという奇妙な疑念が上って来て、たちまちのうちに他の思いを霧消させてしまった。
なぜこうした脈絡のない思いが浮かんでくるのだろうと考えたが、脈絡がないのではない、そうではなく、扉、――自分が今、惹かれるままに目をやった扉を中心にして、いろいろな思いが意識裡に浮かんだり沈んだりしているのだとわかった。
言葉のかたちをとらないどこかで、さっき、廊下に出た際の看護師の背が診察室内の明かりの反映を受けて、今わたしの見たこの扉の表を照らしはしなかったか、と問われたに違いなかった。
心の底から浮かび上がってくる突然のこうした問いのからくりを、いくぶん推察できたような気になって、なるほど、と呟いて、少し微笑んだが、急に今度は、首筋をきつく引っぱられるような肉体的な感触とともに、嘘だ、でたらめだ、という断定が浮かび上がってきて、わたしの頭を後ろにのけ反らした。
看護師は、わたしを抱きかかえるようにして診察室から出たはずだったじゃないか。
看護師はわたしの背に、やわらかさを蔵した硬さの感じられるほどに片胸を押しつけ、わたしの右の肩を手できつく押さえるようにして、わたしを廊下へ押し出したのだ。
彼女はわたしの左背後にいて、その右手がわたしの右肩に、そして一方、あの胸は、彼女の胸は、それでは右の胸だったというわけだ、いずれにしても、そのようにして彼女はわたしの後ろにいた。廊下に出た時、わたしは足元を見ていて、……それから、廊下の左右の壁を一瞥して、……そして、……長椅子に座らされたというわけだ。
彼女が扉を閉めるところなど見ていないじゃないか。
けっして見ていないのだ。
見てなどいない……

ひとつのそういう結論に達しながら、白いものが視野の中を立ち上っては散っていくことに、しかも、かなり前からそれがくり返されているらしいことに気づくのだった
わたしの吐息だった。
気温がそうとう下がっていることに、ようやく息の白さで気づくのだった。
冬ではないか、と思われた。
この医院に行き着くまで歩いてきた道のまわりの田舎の風景は、どうだっただろう、冬だっただろうか。
冬だとすれば、歩んでいた時の周囲の情景がいかにも寒々としていたこともあって、なにもかもがうまく当てはまっているという気がした。
ただ、シルヴィを見つけた時に、彼女の下半身をまばらに隠していた雑草が、泥で少し汚れている様子はあったけれども、夏が盛りに到ろうとする頃のもののように蒼々と焔を上げていたのではなかったかと思われ、それが幾らか気がかりだった。
草の色を真剣に思い出そうとした。
泥の色があまりに生々しかったので、それとの対照で蒼々としているように見えたのではなかったか。
それとも草は、ことにああいう道の傍らに繁っている草は、生命力剥き出しの蒼色をしているものだという思い込みがあるために、実際の色など無視して蒼色を着せてしまったのではないか。
もし枯れた薄く哀れな色をしていれば、蒼を意識のうちで載せるには都合のよい状態ではないだろうか。
どういうわけか、顔が、目に見えないほどのごく小さな虫に無数に取りつかれて蝕まれていくように火照って、頭の中の雑草のかたち(それは一本一本に分かれてはおらず、影絵のように纏まってしまっていた)や、それとは離れて在る蒼色などよりもこちらに近いところにある空間の中を、もし、今、鏡で見たらさもあらんと予想されるような類の頬の赤さが、まるで、ごく薄い色で作られてはいるが光に照らすと霜のような印象を視覚に与えるセロファンを上にゆっくりずらしていくかのように、温かく、甘くさえ感じられるほどにほんのりと立ち上っていった。

発熱、という文字が脳裡に浮かんだ。
自分もまたずっと雨の中を濡れ歩いてきたのだ、熱も少しは出るだろう、と、軽くこの文字を忘却の中へ向かわせようとしたが、しかし、発熱というこの字面と、hatsunetsuという発音とが相まって醸し出されるなんとも逃れられないようなくすぐったいもどかしさからは、いやましてわたしを支配しようとするこの言葉のしたたかさが強く感じられた。
わたしのすべてが〈発熱〉の手中にすでに落ちてしまったような気になった。
もし、今、発熱して寝込むようなことがあれば、自分の横たわる病室の窓の外に降りて来てでもいる、なにか表皮のざらついた大樹の枝が、突風とともに窓ガラスを意外に神経質に、たとえば女の使う細い鞭のように叩くに違いないと思われた。
その女はある男から戯れに鞭を送られて、その振り方まで教わったのだが、そんなもの自分には永遠に必要ないとばかりに放り出しておいたのだった。
後日、男が離れて行った時、かつて鞭を送られたその時にはすでに彼が他の女を好きになってなんらかの交渉をその女と持ってさえいたと知った時に、やにわに彼女は鞭を箱から取り出して、即座にすぐ足元の絨毯を叩いてみた。
しかし、今の自分の心の間隙にその先端の衝き入っていくような音が聞かれなかったために、今度は、台所をすぐ出たところの廊下の硬質のタイル張りのところまで駆けて行って、そこで思いっきり鞭を振り下ろした。
すると、今度は、自分にもっとも相応しい音が響いた。
彼女は振り続けた。
針で一穴一穴紙を貫いていれば、やがては腕が通るほどの大きな穴になるだろう、それを作ることができるだろう、と予想する人間の持つ、一見馬鹿らしい妙な確信、しかし、その刹那にはそれがなければ正気を保っていられなくなるような確信を抱いて、女は一打一打の鞭の音を心に吸った。
もし寝込むようなことになるならば、嫌な顔など全くせずに口に含んだ薬の苦みを何度も舌に蘇らせながら、自分を守るための慎ましい温度をベッドの中に保って、そういう音を頭上の窓ガラスに聞くに違いない、とわたしは思ったのだった。

いずれにしても、――そういう音が聞こえようと聞こえまいと、また、わたしが発熱しようとしまいと、これから少なくとも何日かは休めるだろう、どれか空いているベッドに横になって休めるだろう、と考えた。
わたしはやるべきことをやり終えた。
シルヴィを医院に運び込むということをやり終えたのだ。
シルヴィを前にして傍らに腰を下していたあの時に、わたしを現実的な行動に向かわせた義務の心は、今になって消解されたことになるのだ。
それにしてもなんというわだかまり、なんという悩ましさだったことか。
あの肉体の中にあらゆる重さが集って、わたしを何処とも知れぬところへのめり込ませるようだった。
他の者たち、他の声たちはいったいなにを語っているのか。
あたかも幸福を、将来、シルヴィがもたらしてくれるかのように語るではないか。
虚しい幻をどうして追うのか。
シルヴィはいつもいつも、ただわたしを苦しませるだけだったではないか。
それは赤児の持つ途轍もない重み、明星の投げかけるこの上ない深い闇のようにわたしの顔を強張らせてきた。
この道程にあって、今さらシルヴィに会うなどとは予想だにしなかったし、ましてや望みなどしなかった。
しかし、ともかくも、わたしはとうとうシルヴィをあの医師に委ねた。
わたしは自ら積年の重荷を逃れた。
今は静かに休もう。
わたしは長い眠りを求めよう。



(第八声)

 ……まさか、誰かが窓を叩いているわけではあるまい。
嵐のしわざに決まっている。
窓枠を大きく揺さぶって、持って行こうとでもするようだな。
なんという音だ。
その上、窓がこちらへ伝える振動のこの、なんという重み。
これは嵐の重みだ。
嵐の息吹、嵐の血流の、意外にも規則正しい脈の運びが空を下り、この荒涼としたところに、寂しさを求めるためのように一軒だけある宿屋の、そのまた二階の一部屋の、くたびれ果てたというよりは枯れ果てた、窓の木枠と歪んだガラスに、独特の大きな震えを行き渡らせる。
そして、窓は、おそらく、この嵐の生命の躍動の印である震えに乗り移られるに耐えられず、わたしのほうへ、部屋の中へと大きくも細やかな重荷を、その都度投げ移す。
わたしは快くおまえのこの重みを受けよう、窓よ。これは、わたしには重荷とはいえないのでもあるから。
おまえが苦役を振るい落とすたびに、天の息吹と血のめぐりが直にわたしの血管に流れ込むかのようだ。

雲が流れていく。
嵐はいよいよ盛んに声を張る。
風たちが自らを、ところかまわず投げつける。
雨滴たちと大地が激しくぶつかって抱きあう。
彼らを養っているのと同じ力が、今、わたしにも流れ込む。
目覚めたわたしは、今、ようやく幾重にも目を覚ます。
稲妻は来ないか。
洪水は遠いのか。
海はどこにいるのか。

 シルヴィはどこだ。
あの雲の上か。
美しい雲だな。
この嵐の黒い空間の中にあって、ひときわ白いあの雲はなんの印だ。
なんの兆し。
嵐は終わってしまうのか。
大地から立ち上った諸々の小生意気な者たちを、激しく地面に打ち据えて省察させる雨たちも、もう息を止めてしまうのか。
この地から果てまでをも一様に領していた雨の音も、やがては次第に足踏みを解いていくのか。

シルヴィはどこだ。
わたしはどうすればいいのか。
雲たちの流れゆく大空の河に沿って、隠れ去った陽の向こうへ、それともあの懐かしい故郷、じめじめした陰気な青い月の裏側へでも行こうか。
河の端、時を孕む恒久の卵のような、拳ほどの石ばかりが転がる河原の中に、どうにか大きな丸い石をでも見つけて座ろうか。
流れの声を聞きながら、朝の来るのを思おうか。
静かな露に濡れでもしつつ。



(第九声)

 ……なにを思っていたのだろう。
確か一度は目覚めたはずだが。
そして嵐が窓を叩くのを聞いたはずだったが。

――なるほど、いかにも外は嵐だ。
とすると、ふたたび夢に陥ったというわけだな。
嵐の去ってしまうのを、まるで、ひどく惜しんででもいるようだった。
もっとも、今、宿を包んでいるこの嵐は当分去りそうにもないが。

 去りそうにもないが、――わたしにとってはむしろ、これこそ悔やまれる。
去りそうにもないが、行かねばなるまい。
思うに、今は、三時頃か。
まだ、空が青ざめた冷たい頬を見せるには間がある頃。
空の陰鬱な頬の反映を受けて、朝一番の旅人たちが霧を吸ったみずみずしい互いの頬の色を知るにも間がある頃。

嵐は今、盛りのようでもある。
この豪雨の中を、わたしは道の泥濘に足を取られながら歩んでいくことになるだろう。地上一本だけ続く道を行くのだろう。

夜の明けないのがまだしもだ。
朝まだき、うっすらと地上のものがかたちを取り始める頃に、いつとは知れぬ昔の思い出のように続く、こうした雨の降りようの中へ宿から出ていくというのは、――ああ、それは支えようのない寂しさを甦らせるからな。

この先、まだどれほど道中を続けねばならぬか知れないのだ。
そんな寂しさは堪らない。
雨の朝のうらぶれた光がわたしの背に寄り掛かる前に、そして、また、しっとりとわたしに頬ずりなどする前に、わたしは行こう。
はやく雨の中に出て、わたしの心を取り纏めて歩もう。



(第十声)

 しかし、おまえはなぜ行くのだ?
どうして旅など続けるのだ?

なんのための旅、なにを求めて、どこへの旅だ?

道が一本しかないと言ったな。
確かに一筋開けているばかりだが、一筋の道があるということは、おまえ、ふたつの道はあるということだ。
ひとつはあいかわらず同じ方向へ進むものとしての道、もう一つは、これまで歩んできたところへもう一度戻って行くものとしての道。
戻るということは、くり返すということではない。
それは全く未知のもうひとつの道だ。

さあ、おまえはどちらを行くつもりだ?

どちらを行くこともできる。
どちらかをやめることもできる。

そして、ふたつを行くこともできなければ、ふたつを行かないこともできない。



(第十一声)

 ぶつぶつと、物知り顔に語る声だな。
 こいつのために、男の動きがわからなくなってしまいそうだ。

 男はもう荷物を纏めて部屋を出た。階段を静かに下りて、今、宿屋の者に勘定を済ますところだ。

「おや」と宿の者が言った。
「お連れの方はどうなすったんです?」



(第十二声)

 連れ?
 わたしの連れですか?
 わたしはひとりですよ。
ひとりで歩いてきて、ひとりでこの宿に入った。
ひとりで眠り、ひとりで出ていくんですよ。

 そうですか? 
これは思い違いかしらん。
確か、あの晩、お泊りにみえたあなたが、ほれ、この階段を上って行くところをわたしがちょっとふり返って見ましたら、女の方があなたの後を一緒に上っていかれたので。
 金の髪の長い人で、ゆったりとした寛いだ服の上からでも、腰の上の美しいゆるやかなくびれ方のわかる方で、お顔はなんともわかりませんが、たいそうきれいな方と思われました。

 そうですか、ならば、きっとわたしの連れでしょう。
わたしのこの長い旅の中で、姿を見たこともなければ、話を交わしたこともない、互いに足音も聞いたことのない親しい道連れ。
にもかかわらず、わたしが一日たりとも思わなかったことのない懐かしい伴侶。
その人の分もお払いしましょうか。
おそらく、わたしの発った後、そして嵐の去った後、力を失った黒雲たちの退いていく下を軽快に滑る白い雲の現われる頃、その人も宿を出て、また歩き出すでしょうから。
さあ、お望みなだけお取りなさい。
その人が宿を出るまでの分として。
その人の出立はいつになるかしれない。
しかし、泊ったからには、いつかは発つのだから。



(第十三声)

 …彼は行ってしまった。
これからわたしはどうやって時間を潰そう。

わたしは彼の泊まっていた宿にいるわけでもなく、彼と同じ場所に居合わせたこともないが、しかし、この前、お互いに声として話を交わしたあの時の、あの確実な時の経過の愉しさと寛ぎを忘れはしない。

 あの時は、たまたま居合わせた見知らぬ若い女性の声も一緒だったが、……

あゝ、とにかく、彼が歩み出した以上、再び彼の足が止まる時までは、もう話すことはできないのだな。

歩んで行ける人が羨ましい。
いまだ破れぬ幻の中にいて、意気盛んな人が羨ましい。
夢幻の中で人は千里を行く。
そしてそれが破れて目が開いた時、物事のあらゆる意味が流れ去る。
ちょうど窓のガラスに当たって、虚しくも屋内に侵入することのできない雨滴たちのように流れ落ちて、価値と呼ばれるまやかしの色つやも失われてしまう。
そうして人は問うのだ、生きる価値などどこにある、生きて果てまで行ったとして、一体なにになるのか、と。

 動じることなく、わたしの前に居続けているものは、倦怠だけだ。
そして、退屈、あらゆるものの馬鹿らしさ。

こうして果てまで来た者は、いまだ果てまで来ない者に接することで、わずかばかりの気晴らしをする。

倦怠をあやしつつ、もう幾時間幾年月をのろのろと歩み、無意味といい、馬鹿らしさという、揺るぎようのない地盤の上に、生きることの意味をトランプの城のように構築などしてみる。

…ある女性は、そういうわたしに言った。
それなら、恋でもしてみたら、と。

ああ、恋なら、いつでもしていますよ。
わたしは永い永い恋をしている。
それはいつから始まったのか、ひよっとして、生まれる前のさらに前、前世を終えるそのまた前にでも、その恋はわたしに宿ったのだったか。
恋は苦しみしか与えないとわたしに知らしめたあの恋、恋もまたなにものでもないとわたいに気づかせたあの恋、せめて終わってくれさえしていたら、古い宝石のように愛撫しながら眺めることもできように…
あゝ、恋か、恋ならしている。
それがどうした?
これも、わたしの人生のようにぐずぐずといまだに続き、ときおり火の弾けでもするように息を吹く。
この往生際の悪い恋とも、わたしの生命とのように、退屈な交際を続けていかなければならないというわけか。
地面に落ちるようでなかなか落ちないシャボン玉、終わりそうで終わらない訓話、なかなか姿を見せないがために、人をふたたび眠りに落とす、皺の寄った赤い黄身のような朝の太陽、終わりのないわたしの詩編、閉じられていない丸い宝石…
それはどこから始まったのか。
どういうことから生まれ出たのだったか…

 いやいや、いずれ、あらゆる物事と同じように、なんということのない、いつもと変わらぬ日のある時間、街角か、それとも往来か、建物の際か階段の途中、買い物の帰りか、散策の半ばにでも、なにげなく始まったに違いない。

この発端を思い出すつもりか?
それは、この道をふたたび続けろということだ。
終わっていないからには、終わりに到ろうとしなければならない。

しかし、わたしは動くまい。
終わりへと向かったところでなにになるというのか。
行きたい者は行くがいい、宿を出たあの男のように、現実を幻とも気づかず踏みしめようとする青二才たちのように。
そうすれば、その者の求める幻も、その者の後を追って宿を出るだろう。

……そろそろ朝が静かに滲み上がってきたようだ。
力無いさざ波の打ち寄せるように、ひたひたと音がするようだ。

夢を見続ける者に幸福があるように。
夢をふとしたことから脱ぎ捨ててしまった者、――わたしは、もう二度と、終わりを求めて道に戻ることはない。
わたしは完結する。
わたしは未完の完結を結ぶ。



(第十四声)

 それではわたしが代わりに行こう。わたしの物語のはじまりを語ろう。
 
 球技の最中、わたしは球を追って転んだ。左の肱を擦り剥いた。
試合が一段落したところで、薬を塗るためにわたしは宿舎へと向かった。

 その途中の道の脇には、女子の宿泊にあてられた建物が、道より半身ほど高くせり上げられた大きなテラスの上に建っており、そのテラスから道へ下りる数段ほどの階段にふたりの娘がいて、階段の脇に造られた装飾的な柱の上に紙を置いてなにかを書いていた。
ひとりは階段の最下段に立ってその柱に向かっており、もうひとりは、柱の平らな頭の端に腰かけて、体を軽く曲げ、紙に向かっていた。
長い金髪が垂れて、顔を隠していた。

 シルヴィだった。
 昨日まなざしを交わしただけだというのに、わたしに向けられた彼女の目はずいぶん打ち解けているように思えた。
 立ち止ったわたしに、シルヴィは微笑みで応じた。
一刹那細められた彼女の穏やかな輝きを帯びた玉のような目から、やわらかな心のありようがこぼれ落ちるようだった。
 風が吹いて、海辺の岩の上に腰を下して水平線近くを望んでいる時のように、彼女の黄金の軟泥のような髪のかたまりが宙に解けた。
 わたしは肘の傷を無言で示した。
あゝ、と声を上げて顔を顰めながらも、シルヴィは親しみ深く微笑んでいた。

 いったいどうしたというのだろう、とわたしは思った。
 昨日はじめて会ったばかりだというのに、それも、目を合わせただけというのに、いったいなにが、わたしたちをこうも馴染ませたのだろう。
まるで、互いに深く知りあった知己とひさしぶりに出会ったかのように、なぜ、これほどシルヴィはわたしをやさしく迎え入れてくれるのだろう。

 手当てを終えて戻ってくると、シルヴィともうひとりの娘のまわりに三四人の娘たちが集まっていた。
 なにを話しているのか、彼女たちの言葉はわたしにはわからなかった。
 まったくわからないわけではなかったが、話の内容がわたしに理解されるには、しばしの間が必要だった。

 シルヴィがようやくものを書き終えたところで、わたしが、
それは手紙なの?
と聞くと、
そう、
と彼女は答えた。
娘のひとりが、
誰に出すの?
と尋ねると、
母に。

へえ、どこに住んでるの、あなた?
フランスのどこから来たの?

アルザス。

あゝ、アルザスね、知ってるわ。
小説があったでしょう。ドーデっていう人の。

それなら、わたしも知ってる。
『最後の授業』っていうのでしょ。

ぼくも読みましたよ。
日本では、学校で使う教科書に出ているんです。

手紙をしまうと、シルヴィは、傍に置いてあった仏英辞典の白紙の見返しを開いて、わたしに手渡した。
ここにサインをして、と言った。

この国の字で書くの?
それともぼくの国の字で?

そう聞くと、少し微笑みを絞り出すようなぐあいにして、
両方の字で書いて、
と言った。

シルヴィも、さっきからシルヴィといっしょに此処にいる娘たち皆も、わたしの書く一文字一文字に見入った。
書き終えると、ずいぶん大きな字で書いてしまったことに気づいた。
辞書の表紙の題字ほどはあり、まるで所有者として署名したかのようだった。

大き過ぎたかな、

と彼女の目を覗くと、そんなことはないと言うので、ほっとした。

彼女はその後、そこにいた娘たちに次々辞書をまわして、サインを頼んだ。
わたしのサインの下に皆のサインが並んでいく間、シルヴィもわたしも娘たちも、ペンを持つ者のほうに注目していたが、時々わたしは顔を上げて、目の前に、夢でも幻でもなく、本当に息がかかるほど近く、目の前にいるシルヴィを見つめるのだった。

寒い朝の冷ややかな湿り気に包まれた曇りガラスを思わせる白い肌、しかし、むろんガラスの硬い拒みようではなく、けっして倦怠を養うような類の白でもない肌が、髪の生え際から額を下って、高く細い鼻の峰に一時わだかまり、その両脇に滑ると見るや、頬に淡い紅を浮かべ、長い頤の滑りを楽しんで、首へ、胸へと降りていく。
口紅の塗られていない引き締められた裸の唇が、ときおりその皺の隙々から水を滴らすようにほころび、光にコーヒーを透かしたような色の瞳を包む目は、つねに大きく見開かれていて、そのまなざしで若い陽光のようにたびたびわたしの瞳を射るのだった。
目の前の人の顔を見つめる気まずさも全く忘れて、彫像をでも見るかのように、あるいはまた、女性のかたちをとってほんの一時現われたわたしの運命を見つめでもするかのように、わたしはシルヴィのこの顔を、飽くことなく、いや、それどころか、生の至高の恍惚そのものの一時一時の時間が堆積していくことに胸を高鳴らせながら、見つめ続けた。

この異国の娘の顔を見ながらも、顔を通してその向こうに見える、どこか遠いところ、鈍く透き通った球の中に凝縮された空のかなたへと、心を放ちでもしているかのようだった。
シルヴィの中には、なにか知れない無限の広がりがあった。
その広がりの中でこそ、わたしは自らの生命を思いのままに完璧に燃え広がらせ、本当のわたしとして生きることができそうだった。



(第十五声)

……ふうん。というと、きみもずいぶん仲がよくなったというわけだな、きみのシルヴィと。

 まあ、待て、もう語らなくていい。

 夜だ。

 いつものようにわたしたちは、この部屋の高いところにある細長い窓を開いたまま、ベッドに就いた。
 夜の冷気が闇の仮衣装を着て、天から下り降りたばかりの清冽な水のように、ひたひたと絶えずその窓に打ち寄せ、そこから中へと流れ込んでくる。

おかげで、わたしの頭は今夜も醒め切っている。
この部屋の中、闇の中でベッドに横になってはいるものの、いまだにひとり眠りを拒み続けたままだ。

問いたげだな、いったい、なにを思っているのか、と。
答えてやってくれ、わたしよ。
もう過ぎ去ってしまった昼下がりのあの数時間、熱い陽射しの下、時には木蔭に入りもして、汗を拭き取る乾いた忠実な空気たちの揺れ動く中で、わたしがどのように時間を進めたか、を。
もしも、明日からなにか小さな不幸が始まるとしても、わたしとシルヴィとの共通の思い出、ともに過ごし得る時と場所がもう二度とわたしたちに与えられないのだとしても、今日、あの時間の中に封印された事どもの、けっして失われてはなるものか。

昼食が終わって、わたしたちは、昨日と同じ場所、女子の宿舎の前の階段のあたりに落ち着いたのだった。
この日の午後は何の予定も組まれておらず、夕食までは各自自由に過ごしてよいことになっていた。

シルヴィは編み物を始めた。
絵を描くことの好きだったわたしは、そういう彼女を素描し始めた。
夕食まで、陽が傾き、風が夜の訪れをさびしく吹き知らせるまで、そして、散った仲間たちがこの場所へ帰って来て、昼の出来事を賑やかに語り始めるまで、わたしたちはずっとそこにいた。

わたしは時々場所を替え、さまざまな向きからシルヴィを描こうとした。
シルヴィは時おり立ちあがったり、座り方を変えてみたりしたが、はじめに腰を下した場所から大きく離れることはしなかった。
編む手をたえず動かす他は、ほとんど不動だった。ちょうど、そのように不動に、わたしの心の中に無類の位置を占めつつあったように。

彼女の座っているのは、昨日と同じで、階段の両脇の低い壁の端にある柱の上、左右どこまでも伸びて行こうとする階段を諫めて、その幅を定める石の角柱の上だった。
その角柱から宿舎のほうへ向かう壁の上、階段の最上段と同じ高さの壁の上、ごく数段とはいえ、階段を上がることによって得られる新しい土地とも、本当の土地より幾分高い平らな広がりともいえる、宿舎の土台である造られたテラスの上で、彼女は時おり脚を伸ばして、かわり映えのしない姿勢が長い時間の間に養う倦怠をあやしてみたりしていたが、そうでない時には、柱の下に脚を投げ出し、編み物に上半身を軽く被せるようにしていた。
今日、シルヴィは、頭の真ん中あたりでふたつに分けた金泥の髪束を、それぞれ耳が見え隠れする程度に側頭をゆったりまわり道させてから、後ろで急に掻きあげるようにして、その流れを留めていた。
そのため、昨日のように髪が幾分しどけなく地に伸びようとすることはなかったが、そのかわり、束ね損ねた幾本かずつが蜥蜴の金の舌のようにシルヴィの首筋を舐めたり、喉元までそっと滑ろうとしたり、あるいは無造作に、金の硬い細糸のように頬にまっすぐに張りついたりするのが目に入って、見る者の薄い膜のような心の襞を抓んでは様々に惹き、惹いては離し、そのたびに残す爪痕のかすかな痛みや滲み出るように散っていく痺れのために、わたしの若い官能は、けっして果てはしないまでも、柔らかに、静かに悶えさせられ続けるのだった。
ときおり編み物の手を休めてシルヴィはわたしを見つめた。わたしは彼女の座っている柱からやや離れて、いろいろに場所を替えて、立ったまま描いたり、宿舎前の舗装された小道にじかに座って見上げるようなかたちで描いたりしていたが、そういうわたしになにかを懇願するように顔を向けるのだった。
そのような時、なにかをわたしに訊ねたいのは確かなようだったが、どういうことを訊ねたいのかはその時々によって違っていた。彼女もわたしのように、必ずしも自由に使えるほどこの地の言葉に慣れてはいなかったので、いちいち言葉にはしなかったが、おりおりの願いだけはどうにかわたしに伝えようとしていた。
例えば、ある時は、姿勢を大きく変えてもいいかという問いを彼女の眼差しに見たように思ったので、軽く微笑みながら頷くと、シルヴィは息を大きく吐いて体の向きを変えた。ある時は、わたしの目とスケッチブックとの間を彼女の視線が彷徨っているのを見たので、手まねきをすると、わたしの傍らへと絵を見に来た。また、ある時は、わざわざわたしに許可を求めてから、編み棒の一本を取りに行った。
このように、シルヴィは、わたしが彼女を描いている間はけっして勝手に動こうとはしなかった。彼女を描くためにわたしが昼下がりの幾時間を、他ならぬシルヴィによって支配されてしまったとすれば、そのようにわたしのことを支配するために、シルヴィはわたしに見かけ上支配されることを許していた。わたしと目が合うたびに、彼女は微笑みを浮かべたので、それはわたしたちの時間の中で幾度とも知れぬほどになったが、そうした折々の微笑みに、わたしは彼女への自分の従属を確かめるのだった。
時々、どうしてシルヴィはこんなに微笑みをよこすのだろう、とわたしは思った。はじめて会ってから、せいぜい三日ほどにしかならず、互いに深く知りあえるほどの会話を交わしたわけでもなく、また、なにか告白めいた言葉が交わされたわけでもなく、そもそも、わたしにあっては、相手をどう思っているのか自分自身に確かめることもしていないのに、どうしてこれほどにシルヴィは、微笑みでなにかをわたしに開いていてくれるのだろうか。彼女の国の人々というのは皆こうなのだろうか。誰にでも、知り合った人にはこうやって微笑むのだろうか。少なくとも、わたしは、知り合いのひとりぐらいには成れたということなのだろうか。
他になにを語る必要があるだろう。
稀にこの地の若者たちやシルヴィの連れの娘が来て、話をしたり、あるいはわたしの友人が来てわたしの描くところを覗いたりし、そうしたことが長く続くこともあったが、わたしにとっては、誰ひとり、何ひとつ、気にさわることはなかった。なにもかも、この国の空に浮かぶ雲のようにやってきては、また、去って行った。風に揺れる木の枝葉のように、一時、ざわざわとしては、やがて、再び静まっていった。かぎりなく長く続くかとさえ思われる、いささかの倦怠も心に生じることのない時間が、ゆっくりと、本当にゆっくりと、わたしの鉛筆の先をすり抜け、シルヴィの作っていく編み目のひとつひとつから洩れ落ちていくのだった。この時間の流れを、どこで断ち切ったのだったろうか。いや、断ったのではなく、どこで永遠へと流れを向かわせたのだったか。どのようにして、とりとめなく散ってゆく時間を、けっして拡散することのない永遠の玉の中へと封じ込めたのだったか。
そうだ、シルヴィがあの時、ちょうど彼女に近づいたわたしに、今度は正面から顔を描いて、と頼んだのだ。
わたしは描こうとした。しかし、彼女の顔を、納得のいくように紙の上に定着させる力が、まだわたしにはないことを程なく思い知った。
わたしは彼女に、ごく自然な調子で言ったものだった。
だめです、うまく描けません、あまりにも美し過ぎるから。
この言葉に、シルヴィは、口元やまなじりを絞って、わたしの心を震わせる雲の薄紫の切れ端のような恥じらいをその表に浮き上がらせた。
ありがとう、とシルヴィは言った。
すべてが、時間を超えた玉の中へと収められてしまったのは、まさに、この時のことだ。この永遠の玉の中で、シルヴィはいつまでも「ありがとう」と言うだろうし、編み物を続けもするだろう。いつまでも、あの場所にふたりで居続けるだろうし、友人はいつまでもわたしの絵を覗いていることだろう。永遠に時計は昼下がりの時刻を示したままで、また、宵闇の染み初める頃を指したままでもあるだろう。わたしの頭上にはひとつも雲がなく、また、同時に、白い綿雲がいつまでも居続けもしていることだろう。

では、その玉の封印の表は?そこには、どのような飾画が描かれたのだ?

それは、夕食時の絵だ。
ひとりを隔てて、わたしとシルヴィは同じテーブルについた。長いテーブルで、四人ずつ向かいあって八人がついていた。
食事が始まるまで、シルヴィの辞書のあの見返しが話題になっていた。そのテーブルについた者が、シルヴィの求めに応じて、順番にそこに記念のサインをしていった。
最後にわたしに廻って来そうになった。しかし、シルヴィがすばやくそれを止めた。
わたしの向かいにいた娘がわたしに、「あなたはサインしないの?しないでいいの?」と聞き、シルヴィに「どうしてこの人には廻さないの?」と聞いた。「いいの、彼はしないでいいの」とシルヴィは答えた。
「どうして?」と向いの娘が猶も訊ねようとするので、すでにサインをそこにしてあるから、とわたしは答えようとしたが、シルヴィはわたしに目くばせをしてそれを止めた。そして、わたしと彼女の間に座っているわたしの友人の背に隠れつつ、わたしのほうに体を傾けて、「お願い。黙っていて」と小声で言った。それに頷くと、「ありがとう」と言って微笑んで、すぐにテーブルのほうへ向き直ったので、わたしは、どうしても言ってはいけないのかと訊ねることもできなかった。

結局、どういうことだったのだ?

さて、どういうことだったか。
わたしにはいまだにわからない。とうとう聞き出さずに終わってしまった。すでにサインをしてあるということを、どうしてあの時、人に明かしてはいけなかったのか。わたしにはわからないし、わかる必要のないことかもしれない。ただ、この些細な謎が、この日の夕食の情景をわたしの心に焼き付けてしまったのは確かだシルヴィにとってはただの気まぐれだったかもしれないこの行為がわたしの中にシルヴィの像を据える時になってひとつの重要な礎となったのだった。彼女がわたしに蒔いたこの謎、この日の夕食に特別な味わいさえもたらしたであろうわたしだけのこの薬味は、そのまま効果を保ち続けて夜のダンスにまで至った。
この夜、踊りの輪の中で、わたしはシルヴィの手を握り、その掌にわたしの掌を打ちつけもした。彼女の手を強く握りしめるのはあまりに露骨すぎると思われて避けたが、相手と掌を打ちあわせるところのある踊りの時には、親しげに、特に強く掌を打ちつけた。それを感じ取って、悪戯っぽくわたしの目を見上げながら、彼女もわたしの掌に自らの掌を強く打ちつけた。互いに手が軽く痺れるようで、わたしたちの両の掌からは激しい音が弾けた。わたしは幸福だった。これが幸福ということだと自分に言い聞かせた。わたしたちの間には、次第に盛り上がっていくなにものかがあった。まだ明日がある。明後日がある。まだ何日もある。もっと幸福になれるだろう。もっと親しくなれるだろう。時間が時間以上のものを生むだろう…



(第十六声)

 …叩くのは誰だ、
出来のいいとはいえねえこの頭、
まったく、
そのために昔から持ち主ときちゃ苦労させられ詰めで、
その上、
屈辱の受け通しだったんだが、
とにかくもそいつの内側から華奢な頭蓋の壁を小突くのは何者、
突然、天をきりきりと裂く稲妻のように、
――まるで女のいいとこみてえに人の動きをハッタとばかし脅かすもの
気がつくといつの間にか目の前に浮かび上がってきている、
昔の文字に覆われた朽ち残った木板、
――まったく、垢に塗れた陽物よろしくネトネトと崩れんばかりだがよ、
それとも、
扉を開けてみると、歯の隙で残り腐った食物の毒の気を吐く、
起き抜けの女の息ほどにも湿った夜風の、
その嘲笑ばかりが吹き込んでくる深夜の謎の敲門、
ふん、
馬鹿野郎、
今開いたのは門だぜ、
門、
あっちじゃねえんだ、
血の管が、
――無数の親愛なるわが生物一族の兄弟の菌どもの通り道たる血管が、
頭のどこぞで切れたのでなきゃあいいが、
あるいは淋の野郎のあの白糸よろしく神経が涙にほぐれちまったのかもしれぬ、
なににかって涙にさ、
表に洩らすことなく内へ内へとひたすら隠し続けてきた涙にほぐれちまったのかもしれねえってんだ、
だとすればよ、
限界が来たんだな、
その神経のとろけほぐれたところから、
泡のようにも幻のようにも妙な情景がぷつぷつと怪しい出来物みてえに浮き立って、
どこか知らねえが頭ん中に霧のように、
いや、
濡れた路上に流れる反吐のように広がって行きやがる、
これはいってえなんだってんだ、
どこのことだ、
え、
人間様がてえねえに大地に植え込んだようにやわらかに芝生が広がっている土地らしいな、
広いところだ、
青い空、
それに加えて、
苦しみの中にいる者を救うことのできるほどにも白い、
まっ白い密度の濃いたくさんの雲か、
涼やかな微風が娘の金の髪たちの命を悶えさせる、
――娘?
まったく、どうも、ちょっと頭の調子がおかしくなって来やがったようだが、
なんだか俺が今の俺でなくなっていくような妙な、
それでいて、
ずいぶんといい気持ちだが、
だが、
だが、
だからと言って、
この娘がいったいどうしたってんだ、
誰なんだ?
この緑の地に点在している樹木の若い一本の下、
無造作に投げ出されているのが愛らしくもあるベンチに腰を下して本を読んでいるこの娘のことよ、
雲のように白い服、
雲のように広がっていこうとするこれもまた白いスカートが、
脚を大きく組んだしどけない寛ぎのさまを清潔さと可憐さとで覆って婀娜な外見を作っている、
そうして、
……娘に近づいて行くのは誰だ?
おや、俺だ、
この俺じゃないか、
いやいや、
俺がどこかの時間の中に置いてきちまった懐かしい姿だ、
昔は俺のものだった俺の姿、
今じゃ他人ほどに遠い俺の過去、
過去よ、
この糞野郎、
語るのか、
この美しい娘に、
なるほど、
手に入れるには持って来いだ、
涙を抑えてその金の粘土のような髪でも引っつかみ、
この大空の下にばっかり押し倒して闇を作るにはな、
ところがおまえは今の俺にや薬にもならねえ紳士的な御心の持ち主のようだ、
いや、
正確に言えば臆病者、
意気地無しのおとこ女ってとこだ、
ふん、
どうだ、
え、
だから、
手荒なことはすまい、
できねえんだからなあ、
逆に手荒なことを娘から、
いや、
娘の幻から一生され続けるかもしれねえぞ、
注意しろよ、
おまえ、
俺の過去よ、
え、
そういう娘が男の一生を狂わすってことをおまえはこれっぽっちも知らねえようだからな、
やめとけってんだ、
やめておけ、
たかが女、
飾り立てた肉の揺らめき、
金さえあれば、
いいや、
無くたって、
いざとなりゃ、
首っ玉ふんじばる度胸さえできてりゃよ、
おまえ、
そんなもの、
街にはうじゃうじゃと居やがるんだ、
こんなものの中にまで暗闇の道を探ろうとする必要はあるまいに、
……馬鹿め、
娘の前まで行き着いてしまった、
なにを言う気だ、
今からでも遅くはねえ、
戻って来い、
遅くはねえって、
手遅れなんてことはこの世にはありゃしねえんだ、
人間はよ、
後戻りする時にだけ積極的になりゃいいんだ……

「シルヴィ」とおまえは言う。
そうか、それが娘の名か……
まずいぞ、こりゃあ。
まずい、まずい、いいこたぁねえぞ。
おまえは坂に差し掛かってんだ。しかも下り坂だ。
娘は顔を上げる。
おや、微笑んだな?おまえに。
……いいか、考えてもみろ。自分に声を掛けた者に、取り立てて嫌な顔をする必要もねえ、というだけのこった。いろんな意味が微笑みにはあるんだからな。おまえ、正しく意味を取りたければ、せいぜい経験を積むがいいんだが、…

「なにを読んでいるの? ……小説?」
 ――ふん、おまえばかりが言葉を吐く。
大事にしろよ、言葉たちを。
現実がおまえにつれなくした時に、言葉だけがおまえを慰めてくれるんだ。せいぜい言葉たちに良い糧を与えて手なずけておくことだ。
忘れるな。この世のすべては言葉。少なくとも、人間の世の中という奴の土台は、ただ言葉だけ。
他にはなにもねえんだよ。なにもねえのに、すべてがあると思い込むのが人間たちの可愛いところ。
社会がおまえに媚を使ってくれるうちは、人間たちのその盲信を認めておいてやるがいい。社会がつれなくしたならば、すべては無いと知らせてやれ、嫌というほど徹底的に。
いいか、在るのは言葉、言葉だけだ。せいぜい可愛がっておくんだな。

 おや、娘は頷いたな。
ならば、娘の読んでいるのは小説というわけだ。
しかし、頷いただけだな。
もうおまえを見向きもしない。微笑みも消えた。

おまえはなにをしているんだ?
雲を見上げているのか?
雲を見るのに、娘の傍らに来て座る必要のあるものか。
おまえは期待していた。
娘がもっと打ち解けてくれるもの、と思っていたらしいな。
馬鹿め、昨日だか一昨日だかに、おまえは騙されたな。
微笑みや眼差しの安売りに引っかかったというわけだ。
安心しろ、この娘、特別におまえを憎んでいるようでもないからな。
人間の関係など、それだけで十分だ。
わざわざ的を絞られて、煮え滾った油かなにかのように憎悪を注がれるのでないならば、それはもう、十二分にも幸福というもの。

――おや、娘が立ち上がった。
「さようなら。ちょっと用事があるの」。
なんだ?
その微笑みは?
いま、おまえが娘の言葉のお礼に浮かべたそれ、その微笑みは?
もちろん、これだけ言葉を投げてもらえば、上出来というものだ。大切な言葉をお恵み下さったんだからな。感謝しなければならねえさ。おまえの中で、そのうち、落胆と悔恨という、しぶとくも興味深い人間学的研究の対象とさえなり得る高等な草が、逞しくこの言葉から生い立つだろうからな。
なんであろうと多くを持っていたほうがいい。喜びであろうと、悲しみであろうと、――いやいや、そんなこそばゆいものには俺さまの心、もう長いこと付き合いが絶えちまってるが、そうでなくとも、あるいは臭え淫らな欲望とか、乞食の涎のように糸を引く心の底に溜まった黒い泥のようなものであろうとも、まあ、いっぱいあるに越したこたあねえってことよ。

娘は行ってしまった。
嘆くな。
だいたい、なにが欲しかったのだ?
心か肉か、それとも、他の珍味か?

肉ならここにあるぞ、俺のこの足下。
ここに、薄ものの浅ましい衣をつけた肉が転がっている。
この肉の野郎、髪に色なぞ付けやがって、それを振りしだいて俺の脚にしがみつきやがる。
一体、これはどういうことだ?
俺はなにをやっているんだ?
夜の沈んだ街の中、この湿った路地の上で、黒い生き物のように家々が並び、すぐそこに突き出ている灯は、風かなにかに揺らめいている。
まるで息でもしているかのようだ。
この女の動きはこんなにも激しいのに、ここから生まれるのは個体のような静寂だ、それに加えて、女の体から立ち上るこの靄。

……俺はどうやら酔っていたようだな。
突っ立ったまゝ、夢を見ていたかのような……
どこかで見たような娘の夢?
一体、誰だろう?
俺にとって一体なにに当たる娘だったんだろう?
ともかくも、しばらくの間、なにやらずいぶんと下卑た言葉で語り続けていたようだ。俺の言葉ではない何者かの言葉、だが、ひどく滑りのいい言葉だったな。
夢だったのだろうな、やはり。
夢の中で、何者かが語ったのだろうな。

……それともあれが俺の本当の声?本当の言葉なのか?

とするなら、この俺はなんだ?
この言葉たちはなんだ?
さっきのものに比べて急速にこの言葉たちは生命力を失っていくようだが、戻ろうとしても戻れないこの変貌は、なにによるのだ?
本当の俺の声は、一体、どれなのだ?
俺が俺であるためには、一体、俺はどの俺を装ったらいいのだ?…

 ……俺はいま女を蹴っている。
体と心が離れてしまったかのようだ。
きっと、長いこと、こうして蹴り続けているに違いない。
この女の腹へ、あるいは首のやわ肌へ、俺は靴の先を何度もめり込ませてやった。
この女、この娼婦、……こいつは俺の金と欲望をすでに掏ったのだったか、俺はこいつの部屋から出てきたのだったろうか。
それとも、これからか。
夜もさらに更けて、街の静けさという不思議なものが、この世をいやまして支配する頃、――あゝ、その頃、この娼婦とともに部屋に上がるのならいいが。
そうでなかったら、どこかへ、この街の闇のどこかへこの身を紛らわさねばならない。耐えがたいことだ、それは。
俺はなぜこの女を蹴っているんだ?
理由があったのか?
……もう忘れてしまった。
そして、俺はいま、どこにいるんだ?
この石畳の路地、すぐ先には底知れぬ坂。
この坂を下って行こうか。
行こう、しかし、どこへ?
蹴り続けるしかないのか?
蹴り止めたら、どうしていいかわからなくなるからな。
おや、女の脇で倒れたものはなんだ?
――空き缶。
大きな空き缶だ。まるで芝居の景気づけのように自らを喝采しながら、雨とも犬の小便とも知れぬものに濡れた坂を転がっていく。
この響きはなんだ?
俺を苛立たせる響き、空き缶が俺を笑うのか?……それにしても長い坂だな、この響きを言葉で真似てでもやろうか、そうすれば救われるかもしれない。
……なにから?
この響きからか?
あの空き缶からか?
それだけか?
……この響き。
この喧しさに腹を立てる者は、この静かな闇の中には一人もいない。
沈黙が、俺を嘲笑ってでもいるようだ。
これは劇か?それとも夢か?
いやいや、人生だ、……な。
これが俺の人生だ。
女も泣かない。
いや、泣いているのかもしれないが、もう、俺には聞こえない。
胃の壁を掘り抉りでもしたようなこの陥没、俺というもののこの陥没は一体なんだ?なにが悪いのだ?空には星があるか?
いや、無くてもいい。俺の過去が見た空には星があったからな。十分だとも、あれだけで。
……なにか知れぬ情景がまた蘇ってくるようだ。
勝手にするがいいさ。
だが俺はどうなるのだ?
自分の頭を、誰のものとも知れない風景、思い出とも幻とも知れない情景に奪われて、この俺は一体どうなるのだ?
おや、……バスが?
情景の中に現われたこのバスはなんだ?
俺はバスに乗ろうなどとは思わない。
なんだ、これは?
ハイキングか?
まったく、いい御身分の子供たちよろしくだが、もし、これが俺に関係あることだとすれば、昔のことだな。俺の昔、昔の俺。遠い異国まで旅行をしたのなら、その旅先で小さな遠足をするのもなるほど乙なものだ。
だが、そんなことが今の俺になんの関係があるのだ?
俺を俺でなくす力、この声、内部から浮かび出るこの声は、一体なんだ?
おまえは誰だ?ここは俺の頭だ。頭でなければ心。心でなければ魂。魂でなければ世界。世界とはすなわち……



(第十七声)

……未来、あるいは思い出。このふたつに合わせて現実までもが、この時ばかりはひとりの娘の中に凝集されていたのだ。わたしの未来、わたしの現在、そして、過去。今から見ればすべてが過去。その過去の中のあの日から見れば、続く日々は未来、はじめて会った日々は過去、あの日自体は現実のまさにその時。
どこからとも知れず響いてきていた声たちの言うところが正しければ、この日はすでに6日目、余すところ4日の7月29日か。
わたしもまたこの土地に来ていたのだ、声たちよ。
そもそもおまえたちはこの日、どこに居たのか?
おまえたちは私なのか?
これまで響いていたおまえたちの声は、あれは、私の声だったのだろうか?もしわたしの声だったとしたら、あれはおまえたちの声ではなかったということになる。
もしおまえたちの声だったならば、あれはわたしの声ではないということ。
おまえたちといい、わたしという、どうしてこういう違いが生じたのだ?
どうしてわたしたちがおまえたちでなく、おまえたちがわたしでなかったのか?
ある地点からこちらへ来るとわたしとなり、向こうへ行くとおまえたちとなった、そのある地点とは一体どこだ?
そして、そういうことの起こったわけは?
冗談や芝居でないのならば、理由があるはずだ。
理由とは根底、根拠、あるいは原因の謂か、――本当か?
理由とは象徴ということの別名ではないのか?
まあ、やめておこう。理由とは根底、そうしておこう。その根底がいつもわからないのだな。わかるのは、認めることのできるのは、根底から流れ出た道の果て、瑣末な情景たち、物事の現われ、様々な現象だけだ。それだったら、多少口べたにでも語りうるのだ。わたしのこの日の出来事を、いや、この日というわたしそのものを。
それでは、語り始めるとしようか。

 朝食をみんなが終える頃、責任者の一人から、今日は全員で遠足に出かけるということが発表された。
二台のバスに分乗し、小さな丘の連なる、なだらかな起伏に富んだニューフォレストという野原の広がりと、そこから少し離れた古い町ウィンチェスターとをまわる予定だった。その二つの場所がどのようなところで、また、そこでなにをするのか、なにをするためにそこへ行くのかということの説明も同時になされたかもしれないが、声はわたしのところまではよく届かず、詳しいことは聞き取れなかった。隣りにいた友人に聞いたが、彼にも聞き取れてはいなかった。「いいよ、どうにかなるよ」と彼は言った。
 バスに乗り込むと、わたしは中ほどに座り、まわりの様子を見まわした。
確かにバスは二台で、わたしの国でよく遠足や修学旅行に使われるものと同じ型だった。窓が開かない点が、著しく日本のものと違っていた。運転席のフロントガラスがそのまま伸びてバスを包んでしまったようになっていて、この形状は、バスに酔い易いわたしに絶望的な感情を抱かせた。
しかし、かわりに、このバスは空調が完備されていた。この国に来る前に立ち寄った他の国々、イタリアやスイス、フランスで乗ったバスもこれとほぼ同じものだったのを思い出した。あの時も、やはりバスのこういう形状を見た時には意を決して乗ったものだったが、結局は快く過ごすことができたじゃないか、――酔いを避けるために、前もって意識的に自己暗示をかけようとして、わたしは努めてこういう思いを心に深く刻もうとした。
その時、ほぼ時を同じくして、この思いの裏側かどこかから、全く突然に、イタリアの首都近郊の空港で飛行機を降りた時の空の輝きが、――はじめて目にしたその国の朝の空の、あの色濃い底知れない海のもののような深い輝きが滲み出てきた。その余りの眩しさに目を絞ると、巨大な老人の像が視野の中へ流れ込み、またすぐに流れ去ってしまうのが見えた。
わたしたちはバスに乗って空港から首都へ、ローマへと向かう道路へ抜けるところで、たった今、その空港のシンボルとなっているレオナルド・ダ・ヴィンチの巨像の傍らを横切ったのだった。
空港を後にして、わたしたちはいよいよ、わたしたちにとっての初めてのヨーロッパであるイタリアの中へ、ローマという古い都の中へ、いや、そのように場所や空間としては捉え切れないわたしたちの一か月の旅行の中、目まぐるしい場所の移動の連続の中、ひとり継続する時間だけがわたしたちをわたしたちとして認めて追いかけてきてくれるような日々の中へと踏み入るところだった。
やがて時間が経ち、予定通りに大陸から海を渡ってイギリスに到り、そこで十日ほど合宿生活をすることになるのだろうと、その時のわたしは思っていた。
今のわたしは当のイギリスにいる。
そして、ここの青年たちとのその合宿も、これまでのわたしの過ごした十数年と同様、いくらかの思い出を残す他はなにをわたしに得させることもなく終わって行くのだろう、と予想している。
おそらく、眩しい空のあの最初のイタリアでの初めての夜には、これからの一か月への期待とともに、その一か月の過ぎた後に抱くであろう感慨をも、はっきりとわたしは心に描き出してしまっていたのではなかったか
「……わたしはヨーロッパを駆けまわってきた。わたしは16歳だった。しかし、それだけだ、わたしはなにひとつ変わらなかった」。……いずれは、このようなことを誰かに語ることになる程度で、この旅行体験も終わっていくに違いない、と想像していたのではなかったか。
 ……いろいろな国々からのたくさんの旅行者たちに交じり入って、夕刻の時、人々がおのおのの影を、足元や、壁に寄り掛かった背の裏に敷き延べる広場、その広場の階段のある一段に腰を下して、涼んでいるわたし。友人たちの後に付いて、初めての異国の町の夜をいくらかびくびくしながら歩いて行くわたし。トレビの泉で、うしろ向きに硬貨を投げ入れる友に冗談を言いながら、たった今、傍を歩いていった数人のイタリア兵たちが背負っていた自動小銃の筒先を眺めるわたし……
このままにしていれば、さらにたくさんの「わたし」たちがやってくることだろう。その向こうの町からも、あるいは巨大な氷河に反映する夕陽に赤く染まる山の町、山々を越えた向こうの大きな湖の傍らにあるお高くとまった町からも、それともまた、世界中にその名の喧伝されている文化の坩堝たる石の都からさえも
あの朝、小さな女の子と知り合って、その数分後には永遠にこの子と別れてしまったシャモニーでのわたしはどこへ行ったのだろう。
モンパルナスの墓地からの帰り、暮れていく陽の中で、道に迷ってひとりで彷徨った暗い石の都パリでのわたしは、あの後、どうしているだろう。
風の静かに吹き渡る湖の中の島で、ルソーの像の傍らのベンチで、上着の前をぴったり合わせて二時間も座ってぼんやりとしていたわたし、ノートルダム寺院の裏庭で転びそうになって、居あわせた初老のアメリカ人たちに笑われたわたしは、今もあそこにいるのだろうか。
このわたし、このウィンクフィールドの合宿所の門のところで、今バスに乗り込んだこのわたしは、一体誰だろう。
これはあの眩しく深い空を見上げたわたしだろうか。
街から街へとまわったわたしがここに流れ来たのだろうか。
細い体をした日焼けしたわたし、この頼りない少年に本当にすべてが流込んだのだろうか。

 友が窓際に座り、わたしは内側の通路沿いに腰を下した。
その通路の向こうの席には、オフィサーと呼ばれるこの合宿の運営者のひとりとそのガールフレンドが座り、わたしたちの後ろの席にはわたしよりひとつ年上の上級生と、彼がこの地で作ったガールフレンドが座った。
友が小声で、「後ろの先輩、ずいぶんと進んでるんだよ」と言った。「もうそんなに仲がいいの?」と、やはり小声でわたしが聞くと、「仲がいいなんてもんじゃないよ。もう恋人同士そのものだよ」と彼は言った。
彼は、急に振り向くと、「ねえ、先輩、彼女とキスしてくださいよ。写真撮ってあげます」と言った。
人の面前でそんなことをするわけがない、と思っていたわたしも後ろを振り向いたが、そういうわたしにとっては、ずいぶんと妙に映る光景がそこに現われた。
 上級生は二言三言娘に耳打ちすると、いきなり唇を娘の唇に合わせた。
と見る間に、すぐに、彼の唇は娘の唇を深く覆い、娘もまた、彼の唇の広がりや顎の動きに合わせて、大胆さを募らせた。
カメラが正確なシャッター音を二度三度響かせ、彼らの親密さを永遠のものとした。
合宿が終わってしまえば、彼らは二度と想いあうこともないだろうにーー、少なくとも、そういう予感をわたしに抱かせるだけの安直さや気安さが、彼らのこの情景、たがいの口から息を吸い取るためにするようなこの大きな顎の動き相手の唇の上をナメクジかヒルのように滑り広がる唇の異様な動きにはあった。
彼らはわたしたちの前で得意げだった。いつまでも唇を離さなかった。
「もういいですよ、わかりましたよ、そんなに見せつけないでください、先輩」と友は言い、「先輩は恵まれてますよ。羨ましいな」と加えた。
 わたしは姿勢を戻して、席に身を沈めた。

 バスは動き出していた。わたしはシルヴィのことを思った。
いま目のあたりにしたような光景を、けっしてわたしは演じまい、欲しもしまい、と漠然と思った。
……今日は、シルヴィを見ることができるだろうか?

 ニューフォレストはまさに見渡すかぎりの野原だった。
多くの起伏があった。
乾いた土の剥き出した丘の連なりが主で、ごく稀に平らな土地が広がっていた。背の低い木々がところどころに生えており、芝生のような濃い緑の草が到るところに固まって伸びていた。やや離れたところに町が望まれた。
 昼食として配られたサンドイッチを食べ終えると、もう、なにもすることがなかった。サンドイッチを食べるために腰を下した石の上に座ったまま、わたしはあたりを見回していた。
青い空に浮いた暖かげな雲が心を和ませた。足元には、葉先の硬い小さな緑の草が陽気な口紅のような色の赤い花を付けており、赤としてはいくぶんしどけないたぐいのその色合いが、わたしの前に盛り上がった低い丘の頂近くまで伸び広がっていた。
わたしが座っていたのは、三方をこうした低い丘に囲まれた盆地のようなところで、ことに緑の多く集まったところ、また、それゆえに赤い小さな花々も故意にき集められたように密集しているところだった。
こういう場所であるために、座っているわたしのところからは遠くの町や人々の動きはほとんど見えなかったが、ここに下りてくる前にあらかじめそうした景色を掴んでしまっているので、足元の草に見入ったりしながらも、丘の向こうのなにもかもが同時に見えているように感じていた。
三つの丘を山とすれば、ここは谷だった。その谷に山々から緑が流れ込み、青草の湖ができていた。湖の中の小島に腰を下して、わたしは緑の水の中に足をつけて水を掻き廻したり、水面を足裏で、水鳥が着水する瞬間のような具合に撫でたりしているのだった。
ふと、目の前の山の上に人影を感じて、わたしは視線を投げた。
シルヴィと数人の娘たちが山の上にいた。
わたしは視線をふたたび足元に落とした。
声を上げてシルヴィを呼ぶこともできただろうが、わたしはその時、ふいに妙に憶病になった。
彼女がわたしの声に軽く微笑む程度で通り過ぎてしまうかもしれないと思うと、声をかけるなどということは恐ろしくてできなかった。
向こうからわたしのほうへ下りてきてくれないだろうか。
「ひとりなの?」とでも訪ねに来てくれないだろうか。
ひょっとしたら来てくれるかもしれない。
…いや、やはり、来てはくれないだろう。
わたしは、彼女にとってはただの新しい知り合いのひとり、それも、あと数日すれば二度と会うことのない外国人のひとりに過ぎないのだから。

……ほら、行ってしまった。
まるで、わたしに気づきさえしなかったかのように、無造作に方向を転じてしまった。
せめて離れていくシルヴィをよく見ておこう。
わたしはいつもこうなのだ、手に入らないものを、せめて見るだけは見ておこうとするのだ。
わたしは、……いや、シルヴィは、今、左手にサンダルと包みを持っている。そうして、裸足であの丘の上を歩いている。自分の肌でじかに草の刺激を、土の乾きを知るのが好きな娘なのだ。
今日の彼女は真新しいジーンズを穿いている。裾を脛の半ばまで捲り上げている。
今踏み出した左足の線の流れが伸びて腰を描き、彼女の体を遡る。黒に近い濃紺のシャツのところどころにゆるやかに大きく皺が寄る。と、見る間に、風がそれを盗み去る。流れ落ちる腕。右手首にわだかまる青い腕輪と腕時計、細い胴まわり。脱いだ白いカーディガンの袖を胸のところで軽く結び、背後へと流している。よく見えないが、ハマナスの花さながら媚びるように赤い、いろいろと模様のついている長いスカーフが、カーディガンの袖の結び目の上に垂れている。掻き上げて後ろに取りまとめた金髪が、今日はこの快晴の下で冠のように輝く。ほどけた髪を風が薄赤い頬に流す。

……行ってしまった。
丘の向こう側になにか興味を惹かれるようなものがあったのだろうか。
それとも、わたしを避けるために向こうへ行ったのか。
わたしの心は煮え切らない。
もうそろそろ、わたしなりの結論を出さなければならない。
わたしにとってシルヴィとはなんなのだろう。
シルヴィをどういう関係に置きたいのだろう。
7月24日に合宿所へ来て、25日に初めてシルヴィに出会い、26日には、……彼女の辞書にサインをして、27日には、彼女をスケッチするために長い時間をいっしょに過ごして、……この両日を通じて、彼女はわたしをいくらか特別に扱ってくれたように感じられた。
だが、28日、昨日、ベンチに彼女がいるのを見つけて隣りに座ると、……彼女は行ってしまった。
あれはどういうことなのだろう。
わたしといるのが嫌だったのか、それとも、わたしであれ誰であれ、あの時には近づかないでもらいたかったのか。
……そして、今日だ、たった今のことだ。
彼女は行ってしまった。
わたしに気づかなかったのかもしれないが、しかし、結局は同じことではないか?
わたしに気づくほどの関心はないということだ。
彼女は行ってしまった。
彼女はわたしのことをなんとも思っていないのだ。
……なんとも思っていない?
本当だろうか?
他のあらゆるわたしの友人たちのように、あるいはこの国の青年たちのように、わたしもまた彼女にとって何者でもないのだろうか。
せめてわたしを憎みでもしてくれれば。
いや、憎まれ嫌われるよりは、なんとも思われないほうがやはりいいのかもしれない。
だが、本当にそうだろうか。
どうにか彼女にとって特別なものになれないだろうか。
しかし、どうして特別なものになりたいのだろう?
好きなのか?
シルヴィを?
……好き、か。
どういうことだろう、これは?
町の雑踏の中でふと見かけた少女に心を惹かれたりする時より以上の、確かな本当の感情だろうか?
しかし、好きになってどうするのだろう。
好きだと彼女に告白したいのか?
彼女の肌に触れて、その存在を確かめたいとでも言うのだろうか?
それとも、一生いっしょにいたい、などと望むのか?
わたしはどうしたらいいのだろう?
どれが本当のわたしだろう?
わたしはどのわたしであるべきなのか?
シルヴィを好いているのか、いないのか。
シルヴィは好いてくれるのか、くれないのか。
もしシルヴィが少しでもわたしを好いてくれるのならば、あゝ、その兆しが、少しでもいい、確かにそれとわかるものが掴めるならば、もしそうなれば、わたしは本当にシルヴィを好きになることができるだろう。今のように好意を心の中で押し殺す必要はなくなるだろう。だが、……なんと情けない心か、好いてもらえる確信を抱けないうちは、こちらからは安心して好きになれないなどとは。
臆病者なのだな、片恋に耐えられないから、あらかじめ踏み入るのを避けるのだな。だから、いろいろな理屈を捏ね上げるのだ。あれこれ考えて、好きになるなど下らないことだと自分に思わせようとするのだ。
好きになる、友だちになる、あわよくば恋人になろうとする、そして…… 
そして?
いったい、わたしはなにを望んでいるのか?
どうして、シルヴィを好きになどなるのか?
数日前からわたしを縛り出したこの心の痙攣、右へ左へと行きまどう振り子のような機械的なまでのこの眩暈はいったいなんなのか。
どういう理由でわたしはこの娘に縛られねばならないのか。
なぜシルヴィでなければならないのか?
これは一時の浮かれた心のせいなのか?
それとも、物語にあるような宿命的な出会いかなにかででもあるのだろうか。
偶然だろうか、必然だろうか?
必然ならば、シルヴィを求めるべきか?
偶然だとわかれば、すべてはどうでもいいのだろうか?
これは恋愛のはじまりなのか?
とすれば、どうして恋ひとつするのにこうも悩まねばならないのか?
もう、どうでもいいじゃないか?
いや、どうでもよくはない。
残りはあと四日ほどだ。八月二日の朝にわたしたちは合宿所を去るだろう。それまでの間に決着をつけねばならない。
決着をつける、――シルヴィを好きになるか、ならないかを決めるということ。
そしてまた、シルヴィがわたしを好いてくれるか、くれないか、シルヴィがわたしにとってなにか意味のある者であるのか、ないのか、これが偶然なのか必然なのか、わたしがなにを望んでいるのか、どうしてシルヴィに悩まされるのか、……あと四日。
最後の出発の日を除けば、実質的にはあと三日だ。
どうなろうとかまわない。
この悩みから解放されさえすれば。
どうにか事が落ち着けば。
シルヴィを好きになると決めるか、決めないか。
それさえはっきりと決まってしまえば。

――時間だ。これで今日が終わるわけではない。午後の一時をまわったばかりだ。
これからわたしたちは、少し離れたウインチェスターへと向かうだろう。



(第十八声)

 ウィンチェスターを彷徨する声よ、おまえは語らなくていい。そこでは、わたしはシルヴィを目にすることさえなかったから。

わたしは覚えている。
その町を、わたしはあの娘とともにうろついたのだ。最初の晩、いっしょに踊ったあの娘。この日、娘はいくらか布地の粗い青い服で身を包んでいた。型に嵌った、町でよく見かけるような姿だった。人目を惹くような特別な趣は、まるでなかった。
 わたしと娘の他、数人がいっしょになって町を歩きまわった。
チャペルに入ったり、書店に寄ったりした際、娘はいろいろなものを詳しく見るので、時々、わたしたちに遅れをとった。
各自自由行動をしてよいことになっているのだから、わたしたちから離れてしまっても支障はないのだが、娘が遅れるたびにわたしも歩みを遅らせて、それとなく娘を待っていてやった。そして、娘が説明を読み終わったり、彫像を納得のいくまで見終えて、顔をこちらへ向けたりした時に、こっちだよ、というふうに手まねきしてやるのだった。
 何度もこれがくり返された。
わたしと娘の間には、他の人たちの間にはない、なにか特別なものが生れ始めていた。いや、生まれ始めていたというより、確認されつつあった、と言い直すべきか。
この娘に、なにか捨てがたいものをわたしは感じ始めていたのだった。
それは、言ってみれば、この娘とならば、けっして飛び切りの幸福を得ることはできないとしても、日常的な平穏を得ることはできるだろうというような確かな予感だった。
この娘はわたしを疲れさせることはないだろう、彼女の機嫌をいつも窺っていなければならないなどということもないだろう、――そうわたしには思われたのだ。
しかし、もしこれがシルヴィの場合ならどうか。
シルヴィはわたしを疲れさせる、おそらく、一時も休ませてくれることはないだろう。もし、シルヴィを求めるならば、わたしは、幸福だと自分で信じているものによって、滅びるかもしれない… そんな大袈裟なことさえ思われてきた。

 帰りの時間までにバスに戻るために、わたしたちは町の中心の大通りの長い坂を下って行った。
わたしの傍らに娘がいた。
この坂がいつまでも続けばいいのに、とわたしは思った。
俯いて歩いているこのごく平凡な娘、とりたてて人目を惹くところのないこの娘を、わたしは妙にいとおしく感じてきていた。
歩きながら、長い間、細かい薄く赤錆びた金属の糸くずのような縮れた彼女の髪を見つめた。
シルヴィの髪のように、これも金髪だった。だが、縮れているために、この国の空の柔らかい光を反映することもなく、金色の印象を人に与えることもなかった。
その髪の中に眼差しを指のように挿し入れながら、わたしは、この娘ならばわたしを理解しようとしてくれるだろうと思った。わたしを理解し慰めてくれるような人は、このような娘に違いないと思った。
この娘とともに居れば、どんな時でもわたしは心の必要以上の重荷や煩わしさから解かれることができるだろう、と思った。わたしはこの娘を媒介とすることで、わたし自身と《現実》の中に囚われているわたしとを、かなりの程度まで一致させて生きていくことができるだろう。そして、そのように生きることこそ、とにかくも、この《現実》を生きていかねばならない人間にとっては、さしあたって最も幸福な生き方に違いないのだ、と。
 娘に声を掛けようか。
わたしにとって特別な存在となってくれるように頼もうか。そうして、シルヴィのことをきっぱり切り捨ててしまおうか。
 ……いや、わたしにはできない。
今度ばかりは臆病だからではない。
わたしはシルヴィを切り捨てることができないのだ。
娘に声を掛けることができないのではない。
まず、シルヴィという問題を解決しなければならない。
どうなろうと構わないが、とにかく、どうにか決着をつけねばならない。
決着をつける?
いや、どうにか運命にそれを、決着をつけてもらいたいのだ。
なぜと言って、わたしには手の出しようがないのだから。
それとも、シルヴィのところへ行って、わたしを好いてくれるか否か、直に聞いてみるべきだろうか?
お笑い草だ。
シルヴィの仕草に、彼女の心根を読む他はない。



(第十九声)

 声よ、いかにもその通りだ。シルヴィ自身の態度に彼女の心をさぐるのが、最上で確実な方法に違いない。
 そして、それは実行されたといっていい。
―いや、実行するというよりも、向こうから、運命とでも呼ぶ他ない漠とした遠くて近いところから、どのような刃物よりも精妙に計算ずくの傷を心に刻む短いセリフかなにかのように、投げ込まれたというべきかもしれない。
声よ、おまえにはいくらか辛いことを、わたしは語らねばならないようだ。
まあ、心配するな。
わたしはことさら意地悪く語るつもりはない。
事実だけを、ごく簡潔に教えてやろうというだけだ。
手早く片付けるさ、辛いことはな。
そして、そのようなものには、もう二度と見向きもしないのが一番というもの。

 翌日、昼食後の自由な時間、わたしは、中に室内プールがある薄汚れたコンクリートの建物の脇の小道を通った。
その道を向こうから、シルヴィと、その後をもうひとり、彼女と同郷の娘が歩いてきた。
「やあ、シルヴィ」と、わたしは努めて陽気に声をかけた。
うつむいていた彼女は一瞬わたしを睨んだが、ただそれだけで、挨拶を返すことさえせずに、顔を強張らせて行ってしまった。
かわりに、もうひとりのほうの娘が、「こんにちは」とわたしに挨拶を返した。彼女はドゥニーズといった。
 わたしはしばらく立ち止って、シルヴィとドゥニーズが離れていく後姿を見ていた。
風の強い日で、建物の壁沿いに下から吹き上がってきた風が、何度かわたしの顔を払い、髪を乱した。
その都度、髪を掌で撫でつけながら、今、シルヴィが示した態度をはっきり掴み直そうとした。
シルヴィはわたしのことを睨んだ時、やはり風がシルヴィの髪をいたぶって、頬に叩きつけたことを思い出した。彼女はすぐに髪を後ろへ手で払って、眼差しを小道の砂利の上に落とした。そして、そのままわたしになにひとつ言わずに通り過ぎた。

 声よ、これだけのことだ。
言った通りの、これがごく簡潔な内容だ。
わたしがなんのショックも受けなかったということは、もちろんない。
彼女のわたしに対する本心は、結局、ここに示された通りのものなのだ。――と思うのは簡単なことだが、しかし、それではあまりにも辛すぎる。なにか彼女にまずいことをしでかしたのだろうか、とわたしは訝った。誰かがわたしのことを悪く言ったのだろうか。それとも、彼女がなにか個人的な理由で、たまたま気分を害してでもいたのだろうか。
 しかし、それにしては、この態度はきつ過ぎる。とにかく、わたしにとっては、明らかになにかひどく都合の悪いことが起こったのだ。
わたしの中でも分裂が起こった。
もしわたしが悪かったのならば、どうにか許してもらって、数日前のような状態を取り戻そうと考えるわたしが一方で生まれ、他方では、なにひとつ彼女を傷つけたわけでもないこのわたしにああいう態度をとった以上、このまま許すわけにはいかない、というわたしが生まれた。表向きには主に後者のほうが現われ、前者は心の奥深くに潜んだ。意識的にそうしたのだった。
 わたしがシルヴィに惹かれていることを知っている友人たちは、時々、
「どうだい、シルヴィとはうまくいってるかい?」
とわたしに聞いてくることがあったが、この時を境に、わたしの返答はそれまでとは全く変わったものになった。
「あんなひどい女はいないよ」
とわたしは言うのだった。
「ちょっときれいだからって、ツンとしてるんだよ。あなたなんかわたしには全く関係ないわ、っていうふうに振舞うんだ。ぼくはシルヴィのこと好きだったわけじゃないよ。好きになんかなったことないさ。ただ、きれいな人だから、観察してただけだよ。だって、きれいだっていうのは事実だからね……」
 これを聞くと友人たちは、
「そんなこと言って、実際は全く逆なんだろう?誰も信じないよ」
と言った。
「いいよ、信じなくても。事実は事実なんだからね」
そう返しながらも、心の奥のわたしが友人たちの言葉に頷こうとするのを、わたしは感じていた。
 友人たちに対しては、わたしは執拗に抗弁したため、どうにか取り繕うことができたが、わたし自身に対してはそういうわけにはいかなかった。
表向きは、シルヴィのことなど思ってもいないというふうに装いながら、内心は彼女についてのいろいろな思惑でいっぱいだった。
シルヴィに対しては、内側のわたしは、一貫した態度をとることも統一された感情や意識を持つことも、もう、できなくなってしまっていた。
どうにかして彼女の機嫌を取り結ばなければ、というわたしがいた。
もともと彼女は何者でもなかったのだ、今になってそれがいっそうはっきりしただけのことだ、と突き放すわたしがいた。
きれいな顔をした悪魔に数日誑かされただけのことだ、考えようによっては良い経験だ、呪われろ、悪魔め、と呟くわたしがいた。
いや、彼女は、遠足の時のあの丘の連なる土地で、わたしが目を彼女から逸らしたことを怒っているのだ、ならば、わたしにむしろ関心があるに違いない、そう考えるわたしがいた。
その他、食卓に着くとそれなりの新しいわたしが生まれたり、ベッドに横たわる時には、また、それに応じたわたしが生まれたりした。
どのわたしも徹底的にシルヴィによって乱されていて、それらすべての〈わたし〉は、皆、シルヴィから生まれたのだったにもかかわらず、お互いに、絶えず戦い合っていた。
他方、〈現実〉のわたしは、もう、なにも望まなくなっていた。動くことさえ、できれば避けようとしていた。

 この日の午後から、わたしはひとりでいるようになった。
先日シルヴィが座っていたベンチに行って、ひとりで、ぼんやりと空に視線を解き放っていることが多くなった。
視線を空に放つことによって、心の中の過剰な〈わたし〉たちを外へ投げ捨て得るような気がしていたのだ。
彼らはけっして出ては行かなかったが、少なくとも、彼らの上げる罵声やわたしの神経を苛立たせる幾多の議論を、瞳孔から次々と投げ捨てていくことは可能に感じられた。空を見、雲を追うことで、どうにか〈現実〉のわたしは平衡を保ち得ていたのだった。

 その翌日、7月もその日限りという日、小さな屋内プールで、午前中に水泳大会が行われた。
背泳の競争でわたしは一位になった。
プールから上がって、プールサイドにいっぱいに集まった人たちの中にシルヴィの姿を探したが、彼女はどこにもいなかった。朝食にも来ていなかったために、シルヴィはどこか具合が悪いのだろうかと、皆の間で朝から囁かれていたのだった。
プールを離れて、ひとり、わたしは早々に着替えを済ませた。そして、以前、シルヴィの辞書にサインをした場所、あの女子の宿舎の前の階段に腰を下して、本を開いた。それは、荷物の間に入れて持って来ていたわたしの国の詩人の詩集、文庫版の朔太郎詩集だった。
昨日から、わたしはどこへ行くにもこれを携帯するようになっていた。
最初から順を追って読んでいくというのではなく、行き当たりばったりに偶然開かれたページの詩を読むのだった。詩の全体を読まず、数行を読むに留めて、他のページを繰ることもしばしばだった。そのため、詩を読むというよりは、むしろ言葉を読んでいるといったほうがよかった。
そういう読み方をしているわたしは、おそらく、なにかを探しているのだった。はじめは、より快い詩句、より快い言葉を探しているのだろうと思っていた。そう考えても間違いではないが、やがて、それよりはむしろ、自分の今の状態を一言で終わらせてくれるような絶対的な力を持った言葉、内奥の収拾のつかないこの苦しい状態を一瞬に封印してくれるような言葉を求めているのだと思うようになった。
だから、わたしの意識はこの詩集にだけ向かっていたのではない。この詩集に入り込む以上に、わたしはわたし自身の言葉の領域へと、よりいっそう深く踏み入っていた。
わたしは、いろいろな言葉をつかまえては投げ捨てた。
あらゆる言葉を試すために、目に入るものをすべて言葉にして発音してみた。
たとえば、空。
たとえば、雲。
白い雲。
青い空の中に浮かぶ白い雲。
いや、やや紫がかった白い雲。
綿飴のようにまわりが散り広がる雲、雲たちの流れ。
その流れの下のわたし。
階段に座っているわたし。
詩集。
歩いてくる人。
やがてはわたしの横を通り過ぎていくに違いない歩行者。
友。
水泳の後の潤った肌。しかし、消毒されたプールの水のためにすぎに乾き、艶を失って行く肌。
昼食までの中途半端な時間。
時間つぶし。
遊び。
森。
離れて一本だけ立っている大きな樹。
その下のベンチ。
ひとり。
たったひとり。
この合宿所の大勢の中でのひとり。
ひとりということ。
……シルヴィ?

 昼食が終わっても、わたしにとってはなにひとつ変わらなかった。
この日の午後は自由時間となっていた。
わたしは例のベンチに座ったり、芝生に寝転んだりして時を満たそうとした。
何度か、夕方までこのグラウンドで眠っていようと考えた。が、微風とはいえ、眠るにはいくらか涼し過ぎる風が吹いていて、それは止む気配がなかった。雲も絶えることなく流れ続けていた。
なにかを時間の中へ投げ込む必要があった。
わたしは、やはり手持ち無沙汰でぶらぶらしていた友をひとり見つけ、ゴルフ遊びのようはものに熱中しようとした。道具が、たまたま一揃い用意されていたのだ。地面に掘られた穴に球を入れるのではなく、番号のついた半分の輪をくぐらせていくもので、クレイジーパッティングと呼ばれていた。
わたしは巧みなプレイヤーではなかった。故意に下手に振る舞ってみたようなところもあったかもしれない。
とにかく、大切なのは、どうにか時間がすみやかに過ぎ去っていってくれることだった。どのように過ぎようと、そんなことはどうでもよかった。今日が終わり、明日という、この合宿所での最後の完全な一日が終わること。明後日になれば、もうわたしは此処から離れることができる。昼頃には、此処から遠く離れた古い大学都市を見て歩いているはずなのだ。もう二度と会えないということになれば、シルヴィという問題は時とともに自然に消えていくだろう。
そうだ、その通りに違いない。此処を離れさえすればいいのだ。そのためには、明日という日を時計の針が回り切りさえすればいいのだ。
シルヴィに出会うことさえなかったならば、友人たちのようにわたしも、今日の今頃は、此処から遠からぬウィンザーの古城を訪れでもして、楽しく時間を潰すことができていたかもしれない。
時間を潰す?
そうだ、楽しかろうと、手持ち無沙汰だろうと、時間を潰すのにかわりはない。
生きるというのは、時間を潰すというだけのことではないか?
時が来るまでは、どうにかして待っていなければならない。
時が来る、待ち続ける……
……待ち続ける、か。
待つ間には、いろいろと楽しいこともやってくる。それだから、時々、人は誤ってしまう。待つことの耐え難さに比べ、それら、やってくる出来事があまりに素晴らしく見えるものだから、人はそちらのほうにこそ人生の本質があるかのように思ってしまう
しかし、本質はあくまでこちら側だ。待つことのほうだ。時が流れ切るまで待つということ。一時間が経つまでの間、時計の分針の動きを追うような執拗さを以て〈現実〉の中に人生の分針を凝視し続けること。
……だが、そうすると、あれはどうなるのだろう。わたしが求めている言葉、あれはどうなるのか。すべてを解き放ってくれるような言葉を探究することは、時間の終わるのを待つことと、どのような関係にあるのだろう。
時間の終わりを待ち切れなくなって、残りの時間を一瞬のうちに満たしてくれるような言葉を求めているということなのだろうか。その言葉が時間を壊して、わたしをこの長い手持ち無沙汰から、この寄る辺なさから救ってくれるのを求めているのだろうか。
あるいは全く別で、与えられたこの人生という、潰すにはなかなかに長い時間を一秒一刻まで十全に使っても、かならずしも得られるとは限らない、想像もつかないような絶対的な完璧な解決を与えてくれる最後の言葉を求めているのだろうか。
もしそうならば、人生の第一義が時間を潰すことだというのは正しいこととは言えなくなるようだ。
いったい、結局のところはどういうことなのだ?
その絶対的な最後の言葉を求めることを止めた時、人生は潰すべき手持ち無沙汰な時間に過ぎなくなるということなのか?
とすれば、今のわたしは、なにについての最後の言葉を求めればいいのだ?
――シルヴィか?
シルヴィ、……か、シルヴィ、だな。
シルヴィについてだ。
シルヴィについてのわたしの最後の言葉。
シルヴィというこの苦しみ、わたしを果てまで蕩かし滅ぼそうとする甘美なまでのこの呪縛、これを一瞬にして霧散させることのできるような言葉。
言葉だ、言葉、やはり、言葉なのだ。
その言葉を求めなければならないのだ。
で、その言葉はどこにあるのだ?
シルヴィの振舞いの中にか?
この〈現実〉の中にか?
社会の中、人間たちの関係の仲にか?
いいや、わたしの中にあるのだ。
わたしの中にこそ、わたしの言葉があるのだ。
シルヴィの振舞い、態度、あの微笑みや眼差しを求める必要はもうない。シルヴィという問題はすでにわたしの中にある。
その問題を提起したのは、今までのシルヴィであって、明日わたしが見るであろうシルヴィではないのだ。明日のシルヴィを見たからといって、問題を解く参考になるとは限らない。むしろ、問題をより込み入らせるばかりだ。
込み入らせる……
それもいいだろう、立ち向かうからには、できるだけ困難な問題であるほうが、こちらにも勢いがつくというものだ。
よし、シルヴィを見るのもいいだろう、あいかわらず期待を持ち続けるのもいいだろう。
あいもかわらず、同じ落胆や悲しみを明日も新しく負い込むことになるかもしれないが、別に構うまい、深いところでわたしは全く変わってしまっているのだからな。
よし、流れ込もう、これから来る休息の時、今日と明日とを繋ぐ夜という不思議な紐帯が明朝の目覚めによって一気に断ち切られる時、わたしは全力をもって残された最後の時間へと流れ込もう。
〈現実〉のシルヴィは、おそらく、わたしを苦しませ続けるだろう。しかし、そんなものは、もう、どうでもいい。〈現実〉のシルヴィなどは。
わたしはわたしのシルヴィを求めるために、わたしを縛りつけるわたしの中のこの難問を解き崩すために、明日という時間の溜まりの中へ飛び込むのだ。



(第二十声)

 ……わたしは夢を見ているのだろうか。それとも、わたしが夢なのだろうか。今まで響いていた声の語るところとは、わたしはずいぶんと懸け離れたところにいるようだが。

 わたしのいるのは田舎の貧相な木造の公民館だった。この館内には小学校の教室ほどの大きさの部屋がひとつあるだけで、それに加えて、戸外には申し訳程度に厠があった。
 この公民館の中に、今日はにわかに舞台と客席が設けられ、村の有志による劇が演じられていた。舞台と客席の間には太い縄が一本置かれているばかりで、その他は諸々に到るまで、これ以上は不可能だというほど、舞台装置は手を抜かれていた。
 客席には、村の小学校から借りてきた子供向きの木製の小さな椅子ばかりがぎっしりと並べられていたが、観客は十人に満たなかった。わたしを入れて八人ほどの観客が、どうにか腰をかけるだけが精一杯の椅子に窮屈に座って、背を伸ばして舞台を見ていた。
 二三人の移り気な観客が、室内に入って来ては出て、出てはまた入って来るという動きをくり返していた。そのたびに人は違うようだった。わたしは、そういう不真面目な観客が入ってきたり出ていったりするたびに、わざわざ大きく背後をふり向いて、連中を睨んだ。舞台に向かうかたちで観客席の後方に設けられている出入口の扉は、少し開けるだけでも悲鳴を発するものだったので、その音によって、彼らの動きはほぼ正確にわかるのだった。
だが、そういうことに注意を払う余裕のあったわたしもまた、やはり、不真面目な観客なのかもしれなかった。舞台で現に演じられている劇の筋がわたしによくわからなかったのは、おそらく、そのためだ。
 もっとも、にわか役者たちの声は、ごく稀にわたしのところまで届くだけであったし、舞台装置の簡略さと相反して、たくさんのけばけばしい端切れやガラクタを蓑虫のように体に付けて衣装とした役者たちの姿では、劇中人物の男女の性別を識別することさえも困難だったほどなのだから、必ずしもわたしだけが悪いとは言えないだろう。「あゝ、王子よ」とか、「しかしながら、王女さま……」といった呼びかけばかりがよく響いたが、こういう呼びかけを役者がしなかったならば、誰が王女で誰が王子かということさえ、なかなかわからなかったに違いない。
 劇のどのあたりからかわからないが、いつの間にか、わたしは知らず知らず居眠りをしていたようだ。耳に、突然、こんな言葉が鳴って、起こされた。
「あゝ、死んでおしまいになった!とうとう死んでしまわれた!」
 わたしはこの言葉に目を開くと、なにかを一瞬に心の内に悟りながら、そして、さらに、その悟ったなにかを、よりはっきりと把握するために、心のあちらこちらの内壁に測鉛を振りあてつつ、舞台のほうを見た。役者が長い嘆きの台詞を語っているところだった。
「王女さま!王女さま!目をお開きくださいましな。もう一度、そのお美しい目で、このわたくしめを慰めてくださいましな……」
 劇のクライマックスだった。
すべての観客がさらに長く背を伸ばして、この山場に見入っていた。
いつの間に来たのか知らないが、今まで空いていたはずの観客席が人で埋め尽くされていた。たいへんな人いきれで、わたしは胸苦しさを覚えた。喉に馴染まぬ液体のような空気を、わたしは飲み込み続けた。
座れない人たちが壁際や通路に幾層にもなって立ち並んでいた。あらゆる顔が、顎が、眼球が舞台のほうを向いていた。この、多くの観客の不気味な熱中は、悪夢に似たものをわたしに感じさせた。
突然、王女以外のすべての劇中人物が声を合わせて叫んだ。
「おうじょさまあ――」
「死んだ」とわたしは思った。雷のように迅速で密度の高い破壊力を持つ、後腐れない衝撃によって、良かれ悪しかれ外界との間の永遠の壁である額を、一時に裂かれでもしたかのように、突然わたしは、破壊されることと解放されることとの双方に伴う喜びを、不安を、いや、果てしなく沈降してはまた果てしなく上昇するような意識の流動の快感を以て、すべてを、はっきりと言葉にはならずとも、とにかくも、ありとあるすべてを知った、と思った。
「死んだ。シルヴィが死んだ」という響きが心の中に広がった。
わたしは座っていた席に足をかけて、蛙のようにやわらかく後ろへ飛び、出入口へ通じている狭い通路があるはずのところを駆けた。
他の場所と同様に、通路も人でいっぱいだったので、駆けながらも通路の床板に足を着けることができなかった。通路にぎっしりと立ち尽している人々の頭を、鼻を、肩を、次々と踏んで、わたしは出入口へと駆けた。人々の体の無数の毛穴から漏れ立ち上る熱気が、喉の粘膜をねろねろと燻し立てたので、吐き気が食道を彷徨ったあげく、何度も喉元へと顔を出しそうになった。
自分たちの頭や顔を踏まれているにもかかわらず、奇妙なことに、誰ひとりとして、わたしに苦情を言う者も怒る者もいなかった。皆、固められた蝋人形のように舞台に顎の先を突き出したまま。微動だにしなかった。時間が止まってしまったかのように、なんの動きも感じられなかった。
はっきりとした動きをしているのは、観客たちの上を駆けていくわたしだけだったが、そういう自分の状態を頭の中で把握しながら、「動きのないところでひとりだけ動くことが、果たして動いていると言えることなのだろうか?それは、〈動く〉と呼べるだけの意味のあることなのだろうか?」などと、取りとめのない疑問を抱いたりした。
背後の舞台のほうをふり返らなかったので、わからないが、どうやら役者たちも動きを止めてしまっていたようだった。わたしの他にかろうじて動いていると言えるものといえば、立ち上ってわたしを深いところまで揺らめかす観客たちの熱気と、この公民館の中のあらゆる人間たちの様々な呼吸の音だけだった。
 公民館の出入口の前に、車が一台ようやく通れるほどの砂利敷きの村道があり、その道は、少し離れたところに見える大きな屋敷へと通じていた。
この道を走り、門をくぐり、庭を抜けて、日本風の大きなその屋敷にわたしは駆け込んだ。
 玄関には誰もいなかった。
靴を脱いで上がり、玄関から入ってすぐのところにある暗い灰色がかった襖を開けた。
すると、控えの間のような体裁の、横に細長い、が、人が百人は軽く入れそうな畳敷きの部屋があった。
その部屋を突っ切って、向い側にある同じような部屋を開いた。
ふたたび同じような部屋が現われた。
そこにも、誰の姿もなかった。その部屋もまた同じような襖によって、わたしには未知の、さらに奥の向こう側の部屋へと通じているようだった。
わたしはその襖を開け放った。
また同じ部屋、また同じ襖だった。
次々と、襖を開いて踏み進む以外にはなかった。
こうやってひとつひとつ進んでいくのでなく、他になにかもっと能率的な方法はないだろうか、とわたしは考えた。部屋から部屋、襖また襖と進んで行きながら、思案し続けた。今から戻って、長いなめらかな竹竿でも二本探して来ようか。それを二本いっしょに襖の間に次々と通していって、左右に開けば、いくつかの襖はいっぺんに開くことができるのではないか……
そういえば、公民館裏の竹林の奥には、高さ百メートルほどにもなる竹が何本も生えていると聞いたことがある。背が高いわりにそれらの竹は、根本でさえ人間の手首ほどの太さしかないため、優れた釣り竿のようにじつによく撓うという。風の強い日などに、けっして公民館裏のあの林に近づいてはいけない、と云われているのはそのためだ。それらの細くてしなやかな長い竹たちが、強い風を受けてやわらかな水草のように静かに地面に頭を下してきて、犬や猫や人間たちを引っ掛けては、急に体を元に戻したりする。その反動で、引っ掛けられた動物や人間は遠くへ投げ飛ばされてしまうと云うのだ。嵐の後、よく、隣り村との境近くに犬や猫が何匹も地面に打ち付けられて死んでいるのが見られるが、あれは、あの竹たちの仕業なのだと、誰もが信じている。
 わたしは、しかし、こう考えながらも、もちろん、こんな考えの馬鹿らしさに気づいていた。そんな工夫をしようとするほうが、今こうしていちいち襖を開けていくよりもよほど労力を使うし、時間もかかる。
もし、こんな方法を考えることに利点があるとすれば、それは、襖を次々と開けて、屋敷の奥へと入り込んでいっている現在のわたしを、単純で馬鹿らしく無意味でさえあるかもしれないこの作業から解放してくれるかもしれない、という点にこそあった。
だが、本当に解放してくれるのだろうか。解放してくれるように見せかけるだけではないのか。あるいは、解放でもなんでもなく、そもそも、全く質の異なった現象であるにもかかわらず、わたしが勝手にそれを解放と見なして、救われた気持ちになるだけではないのか。
それにしても、どうしてこういったことを考えたり、疑問に思ったりするのだろう、と思う。こんなことを考えてどうするのだろう。なにか利するところがあるのだろうか。
考えようと考えまいと、現象というものは確実に進んでいく。進んでくれている。これは救いだ、これこそ救いだ。これで十分ではないか。
もう、わたしはいくつ部屋を踏み進んできただろう。
いくつ襖を開け放ったのだろう。
襖を開けたのはわたしなのだろうか。
屋敷を奥へ奥へと踏み込んでいくのは、本当にわたしだろうか。
襖を開けて部屋から部屋へと踏み込んでいくのは、確かにわたしだとしても、そうすることを欲したのはわたしだっただろうか。
わたしを動かすのは、いったいなにか、誰なのか。
わたしはどこまで踏み進むつもりなのか。
いったいなにを見出せば、この作業から解放されるのか。
誰か人を見出せば済むのか。
開かない襖に行きあたるまでか。それとも、襖も部屋もすべて尽きてしまうまでか。

いや、忘れてはいけない。
どうしたことだろう。わたしはシルヴィを探しているのではなかったか。
死んだシルヴィ。
本当だろうか、シルヴィが死んだというのは。
劇が最高潮に達したあの瞬間に、その観念はわたしの心を領したのだったが、あれは、単にわたしの思い込みに過ぎなかったのではないか。
わたしは自分の目で見たわけでもなく、誰かから聞いたわけでもなかったではないか。
シルヴィという言葉と、死ぬという言葉とが、どうしてあのような結びつきをしなければならなかったのか。
なにか理由があったのか。その言葉の結びつきに、現実の裏付けらしきものが感じられたのだろうか。わたしを納得させるような理由が存在したのか。わたしを頷かせる確かな幻でも存在したのだろうか。
それはあったのだ。
幻は確かにあったはずだ。
いつものように、幻が、幻こそが、わたしに考えさせ行動させたのだったはずだ。
そもそも、あの公民館の観客たちが幻でないなどと言い得るのだろうか。
劇を見るという新たな架空の劇を、彼らはわたしに対して演じたのではないのか。
ならば、観客とは誰だ?
それはわたしひとりではなかったか?

いまや、わたしは最後の襖を目の前にしていた。
主観的にわたしが目の前の襖をそう見なすだけのことで、客観的な保証はむろんなかった。最後の襖かどうかなど、開けてみなければわかるはずがないのだ。
しかし、いくつもの襖を開け放って屋敷の奥に踏み入ってきたわたしの意識のどこかで、今、完全に満ちるに到ったなにものかがあった。
そのなにものかのこれまでの増量に従って、この屋敷という現実がわたしの前に展開していたかのようだった。
さしあたり、わたしはなんの感慨も持たない。
特別の感情を抱くことなく、この襖に手を掛ける。
想像した通りの情景が、おそらく見出されるだろう。想像したことのある情景、夢や幻として一度はわたしを訪れた光景以外のものを、かつて現実は、わたしに提供し得たことがあっただろうか。
わたしは開く。
現実というものは造作なく開かれる。
そうして、現実はつねに、想像や夢や幻の確かな先験性を証し立てる。

小さな部屋が目の前に現われた。
六畳ほどの薄暗い狭い部屋。
まぶしくさえ感じられない黄色い電球がひとつ、裸のまま部屋の中央にぶら下がっている。
畳の上に仰向けに横たえられているひとりの女。
その横に、喪のための黒い着物を着た女が端座している。
女がこちらを向く。
この女の端正に結い上げられた黒髪を見て、わたしは初めて、横たえられている女の髪が金髪であると知る。
「たった今、……でございました」
喪服の女は、眼差しを、横たえられている女の額のあたりに落としつつ、こう言う。
今、わたしは、この喪服の女との一対一の個人的な接触を持ったことになる。横たえられている女は、今現在のわたしには、もう直接の関係はない。
喪服の女とわたしとの間の避けられぬやりとりのよるべなさに、もうけっして、この絶命した女は干渉して入ることができないだろう。
わたしは膝を折り、その場に座って腿の上に掌を置き、腕を張る。
わたしの前には絶命した女が横たわっている。
その遺体の向こう側に、喪服の女がこちらを向いて座っている。
できるだけ、その女のようにかたちよく座ろうとして、わたしは静かに姿勢を整える。
女の匂い、わたしを捲き込むような女の存在感が部屋に満ちている。
これは、横たえられている女のものではない。喪服の女のものだ。この部屋で、今、主であるのは、この喪服の女なのだ。

わたしは、自分を回復しようとするように、横たえられている女の顔を見つめる。
これは、まぎれもなく、シルヴィだ。
その頬に両手を当てて、わたしはシルヴィの顔を揉むように撫でる。
「それにしても、……」
女がふたたび口を開く。
わたしは心の中でくり返す、『それにしても』?
「暗い部屋でございます」
『暗い部屋』?
……どういう意味で、こんなことを言うのだろう、とわたしは訝る。
確かに暗い部屋だ。それは事実だ。
しかし、この女が、単に事実を言葉で言い表わすためになにかを言っているのではないように思われる。
シルヴィの頬を押さえたまま、わたしは女の顔を見る。
女はわたしの瞳を見つめ、手で軽く目元を隠すと、光が深い水底へと降りていくように、ゆっくりと眼差しを逸らす。
その眼差しは、彼女の端座した膝の傍らに落ちる。
どこか湿った暗い廊下にこの女を押し倒して、抱き締めている光景を、わたしはふと思う。
女の内腿の白さが、白鳥のように薄闇の中に舞ったのを見て、わたしは軽い吐き気を覚える。
わたしにはなんの欲望もない。
女の汗の臭いが、わたしの自由を奪う。
顔のやり場に窮する。
胸の間、鳩尾から腹のやわらかみの中へと、わたしは顔を動かし、戯れに、女の臍に鼻先を埋めなどしてみる。
廊下の向こうからでも、誰かわたしを蹴散らしに来てくれないだろうか、と思う。

女が、突然、目を上げる。
そして、目を細めがちにして、わたしの後ろのほう、開かれた襖の向こうを望む。
その細められた目のまわりに、奥深いところから表面に上ってきた震えがわだかまる。それに合わせて、互いに触れ合う一本一本の睫毛が、まるで産毛のようにやわらかげに見える。
海の遙かなところに目を凝らす少女の眼差しと、産毛そのもののようなあの睫毛を、わたしは思う。少女のやさしさを、この女もまた、じつは持ち続けたかったのかもしれない、と、ふと考える。
この女にやさしくしてやろう、と思い直す。誰もがこんなふうなのだ。誰もが、しかたなく、見栄を張っている。その見栄が人を苛立たせる。
わたしは許そう。悪循環をわたしのところで断つことによって、なにか解決されるものがあるかもしれない。

喧噪がしだいにわたしの背後に近づいてくる。女はわたしよりはやくそれに気づいたため、わたしの背後を見つめたのだった。
多くの人のざわめきが近づいてくる。もう、すぐそこまで来ている。劇の観客たちがやってきたに違いない。
「だから言ったんだ」
と、最初にこの部屋に入って来た者たちのうちのひとりが言う。
「王女の死ぬ場面は絶対にやっちゃダメだって」
「そうだとも。こうなることはわかりきっていたんだ」
と、他の男が言う。
続いて、いろいろな声が一度に堰を切ったように、あちこちで語り出す。シルヴィと女とわたししかいなかったこの部屋が、もう、ぎりぎりの人数で満ちている。人の数は、なおも増えていく。この小さな部屋の中に、どうしてこんなに入ることができるのか、と思うほどの人間がいる。
さらに人々は入ってくる。
喧噪は増す。
彼らはこの部屋で、たった今、人が死んだのだと知っている。それについて声高に語り合うことが礼儀と思ってでもいるかのように、ますます大胆に声を上げる。
突然、誰かが「おい」と叫ぶ。
皆が語り止む。
「どいてやれ、通してやれ」と、口々に声が上がる。
短い黒髪の、がっしりした体躯の男がわたしの傍らに進み出た。
「ご主人ですよ」
 喪服の女がわたしの瞳を覗きながら言う。そして、その男のほうを見上げて、はっきりした声で、
「ごらんのとおりでございます。つい先刻でございました。お苦しみなることもなく、静かに……」
男は静かに畳に膝を落とす。両手を伸ばして、シルヴィを抱き上げる。シルヴィの頬に自分の頬を合わせる。
「あゝ、シルヴィ」という呟きが彼の口から洩れる。
その呟きのさまは、この上なく自然に感じられる。この男がシルヴィの夫であったということが、疑い得ないことのように思えてくる。
男は、胸にシルヴィを抱いたまま、わたしのほうを向く
「お医者さまですね」
とわたしに聞いてくる。
違う、などと、このわたしの今の立場で言えるだろうか。かといって、自分を医者と偽るわけにもいかない。わたしは俯いて、
「わたしが来た時には、もう……」
と、言いかける。男は、わたしがすべてを言い切ろうとするのを止めるように、
「わかっています。しかたがありません。どうしようもないことです」

ふと、喪服の女がいないことにわたしは気づく。
今まで彼女がいた場所には、古い大きな鏡台があるばかりだ。縦に長い楕円の鏡が、古池の水のように、静かにわたしの姿を返している。
鏡の縁に、ごくわずかだが、緑色のみずみずしい苔が付いている。
そのさまを見て、わたしはなにかを納得できたように思う。
わたしは立ち上がる。
後ろに立っていた人々の間を抜けて、隣りの部屋へと抜ける。
「ありがとうございました」という男の声が、わたしを追ってくる。

玄関では、女の子がひとり、乱れたたくさんの靴をきれいに並べているところだった。
靴を履いてから、とりとめのつかない頭を持余し気味に、わたしはしばらく式台に腰を下したまま女の子を見ていた。
が、ふと思い立って、その子に尋ねた。
「おかあさん、なんていう名前なの?」
女の子はわたしの目を長いこと見つめる。
やがて、女の子の眼差しにある安らぎが現われる。
彼女は答える。
「シルヴィっていうの。今、お父さまが会いに行ったわ」
公民館へ、わたしはふたたび戻っていく。
あの女の子は一体、なんなのだろう。
あの男は誰だ?
シルヴィの子供と夫。
本当だろうか?
しかし、そんなことは本当でもかまわないのだ。
問題は、シルヴィの子供や夫が、一体、わたしにとってどういう意味を持つことになるのかということだ。

公民館の中には、もう誰もいなかった。
舞台に王女役の衣装が脱ぎ棄てられていた。
「脱ぎ捨てた……」とわたしは呟いた。
と、突然、わたしは理解したように思った。
その通りなのだ。
脱ぎ棄てた、ということなのだ。
シルヴィはひとつの役を終えた。
今、役から下りた。
そして、衣装を脱ぎ捨てたのだ。
彼女には夫も子供もあった。しかし、今それらは、脱ぎ棄てられたひとつの衣装に過ぎなくなってしまった。
彼女はいまや、現実と比べれば、ほとんど絶対的に自由と言えるものの中へ踏み込んだのだ。

公民館を出て、わたしは村道を戻る。
ふたたび屋敷の門をゆっくりとくぐり、庭を抜ける。
さっきの女の子が、今度は玄関の外で石蹴りをしていた。
「お嬢ちゃん」
とわたしは、いくらか背をこごめて尋ねる。
「名前はなんていうの?」
「あたし、シセルよ」
と、事もなげに女の子は答える。
 この答えが、わたしを、ちょうどわたしのまわりで廻り出したゆるやかな渦の中に静かにつき落とす。
「シセル」
とわたしは呟く。
わたしの心が呼応する。
シセル…… なにかが思い出されてくるようだ。
かつて、この響きと親しかったことがあるように思う。
シセル。
シセル。
……そうだ、わたしは思い出す。
シセル。
あれは、たしか、シセルという名だった。……



(第二十一声 シセル篇)

 よく思い出したな。その通りだ。たしかにシセルという名だった。わたしがいっしょに暮らしていたその娘というのは。
その頃、わたしは、ある塔の下で暮らしていた。銀色に輝く金属製の円錐形の塔、高さはふつうの建物の三四階建てほどもあっただろうか。
底は、高さに見あった安定感のある、なかなか広いものだった。どうやら、中は空洞だったらしく、叩くと、こおん、こおん、という空ろな音がした。その中に入れば、広い教室ほどの空間が得られたかもしれないが、どこにも入口はなかった。巨大な円錐形が、なんの細工も加えられることなく、投げ出されていたのだった。
見慣れない者には、これはおそらく、ひどく奇妙な光景だった。
そこは原野で、四方八方の彼方まで、地平線に到るまで、人間の腰ほどの背丈の草が地を領していた。
どちらを見まわしても、大地には緑だけしか見えなかった。
かろうじて、塔のまわりにいくらか裸の土地が広がっているばかりで、その土の上にわたしたちは、山のキャンプでよく見かけるような、ごつごつした大きな木のテーブルと、丸太をそのまま切り分けただけの椅子をいくつか置いていた。
草以外なにひとつないこの土地にあって、わたしたちはどうやって丸太や木材を手に入れたのだったか。
今のわたしにはそれはわからない。
そればかりか、いつ頃からそこで暮らすようになったのかもわからないし、どうしてそんなところで暮らすようになったのかもわからない。わたしの記憶がたしかならば、この塔の下で生活しているということを意識するようになった時、その時にはすでに、そこで日々を送るようになっていたのだった。
ごく当たり前のようにも、訝しげにも聞こえるだろうが、このようにしか、わたしには表現できない。したがって、――と言えるかどうかわからないが、一体、わたしがどこからこの地へやって来たのかもわからないのだ。果てと言っては、地平線の他なにひとつない草原の中の、この妙な円錐の下へ、一体、どうやってわたしはたどり着いたのか。ひょっとしたら、わたしには他にどこか行くべき場所があって、その途中でたまたまこの円錐の下に立ち寄ったのだったかもしれない。
いずれにしても、すべて忘れてしまった。すべて忘れてしまっていた。わたしは塔の下でただ日々を送っていたのであり、行くべきはっきりとした場所も特になく、また、この塔の下で為すべきことも、これといって特にないのだった。
しかし、漠然とした事柄ならば、わたしはつねに心に抱いていた。はっきりとしたかたちで思うことはなかったが、言葉にもならず、意識にも上らないかたちでならば、ある考え、あるいは予感を、つねにわたしの中のどこか深いところに抱いているのだった。
おそらく、わたしは、この塔の下での生活を、一種の待機の状態、待っている間として考えていた。なにかが、いつかわたしに訪れるはずであり、なにかがやがて起るはずだった。そのなにかを、植物のように静かに、規則正しく食物を食い進む幼虫のように時間を噛み砕きながら、あるいは、ひとつところにじっとして時を待つ薄汚れた蛹さながら、この塔の下に居座って待ち続けているのだった。
わたしもまた、ある詩人のように、くり返し呟いていた。「待ってる、待ってる、待ってるさ」と。
この呟きをふと小耳に挟んだ時など、口元で笑いを押し殺しながらも、よくシセルは言ったものだった。
「それじゃ、わたしは一体なんなのかしら?」
……なんなのかしら?
なんだったのか、本当に。
シセルとは?
シセルとのあの日々は?
あるいはまた、ああいう生活を送った、このわたしとは。

わたしとシセルは、毎日、陽が昇る頃起き出して、塔の傍らの木のテーブルに着いた。
それは、長方形のじつに大きな長いテーブルで、率直なところ、テーブルと呼ぶにはいささか粗雑な、――良く言えば、これ以上は望めないほどに地の木の感触を生かした造りの代物だったが、とにかくもそのまわりには20人ほどは楽に座ることができた。もっとも、椅子として使っている輪切りの丸太は11個しかなかったが。
シセルはやがて朝食の用意を始める。
わたしはその間に、円錐塔の向こう側のやや離れたところに流れている川へ行って、木の樽にふたつ、水を汲んでくる。
この地は草ばかりだと先に言ったが、この川だけは別だ。これはけっして小さいものではなく、対岸までは50メートルほどもあった。この川の脇に、1メートルほどの幅の小さな付属した流れが同時に走っていて、わたしは毎日、こちらの流れで水を汲むのだった。
わたしたちは、この小川の水を上水として、本流の水を下水として使い分けていた。
魚を釣るのも本流のほうで、たまには釣った魚を網に入れて、小川の中で飼うこともあったが、この小川の流れの中では魚は大きくは育たなかった。小川の水がおそらく魚には清過ぎるのだろうとわたしは思っていた。その水は、手で掬い上げても、ごく稀に草の葉や実や埃が表面に浮いているだけで、ふつうは、完全と言っていいほどに透き通っていた。流れも非常に速かった。
わたしたちは、この小川が隣りの大きな川の支流にあたるものだと思っていたが、水の質や川の様子などを考えると、ひょっとしたら、隣りの川とは全く異なった源を持つ別の独立した流れなのかもしれなかった。
この小川の内壁や川底は、透明な水のおかげでいつでも見透かすことができたし、それほど深くもなかったので手で触ることもできたが、そういうことによって知れる川底や川の中の壁は、まるで硬い石かなにかのように感じられたものだった。確かに土でできているのだったが、それらは驚くほどかたく固められていて、目にそれと知れるほどに夥しく水に溶け出すこともなければ、長い間に水底のかたちが変わることもなかった。おそらく、多量の粘土が土に混じっていたものと思われる。あるいは、粘土の上に土が少量撒かれていたのかもしれない。そのいずれであったとしても、この小川の成り立ちは、どうも自然なものとはわたしには思われなかった。昔、誰かがこの水道を延々と掘り進み、踏み固め、それから水をこのように流したのに違いないと思っていた。そう考えながら見ると、ふと目についた川底のある部分に鍬かなにかの跡が見出されるような気のすることもあったが、どれもこれも、それほどはっきりしたものではなかったので、結局、考察の足しにはならなかった。
ふたつの樽に水を満たして、取っ手として付けた縄を持って釣り合いを取りながら、それをテーブルのところまで運んでいく。テーブルの傍らにそれをわたしが置く頃には、シセルはすでに朝食の用意を終えてしまっている。
わたしはいつも、どうしてシセルはこんなにはやく用意ができるのだろう、と思った。
というのも、朝食の用意はわたしたちの分だけではなく、全部で九人分ある。わたしたちのものの他に、同時に七人分が用意される。毎朝、あまり意味のないことながら、(というのも、シセルが間違いをしたことは一度もなかったからだが)、これら、並べられたお皿やコップの類がちゃんと必要な数だけ出ているかどうかを、わたしは数えてみる。はじめにお皿を数え、次にコップを数える。食器の種類や数は日によって異なったが、わたしが最後に数えるものはいつもスプーンと定めていた。つまり、お皿で始めてスプーンで終わるという習慣がわたしの内部にできていて、その順序を変えたりすると、朝という一日のはじまりにあたって、なにか不安な落ち着かない気持ちになるおそれがあった。
ひとつふたつ、とお皿を数え始めながら、わたしは一日のはじまりを確かめ、また、無言で自分に、『ほら、今日もまたお皿を数え始めたぞ。今日もまた一日が始まるぞ』と念を押す。スプーンを数え終わった時には、『どうだ、スプーンを数え終わったぞ。ぼくの務めが今日もひとつ終わった。もう、今日という日が始まったぞ』と自分を励ますのだった。
その頃になると、がやがやと子供たちの声が響いてくるようになる。シセルはようやくパンを分け始める。子供たちがテーブルに集まってくる。みんな女の子で、子供とはいっても、十一歳から十五歳ぐらいの娘たちだ。全部で七人いる。
わたしたちは「おはよう」と言い交わす。シセルがまだパンを分けているところなので、子供たちはまず、わたしのほうに抱き付きに来る。それが、順番に来るのでなく、みんないっしょになって集まってくるものだから、わたしは毎日朝から揉みくちゃにされる。
これがわたしたちの挨拶なのだ。
わたしたちは、キスをするわけではないが、各人で抱擁しあう。互いに相手の体に腕をめぐらすのが挨拶の印となる。しかも、たがいに同時にこの抱擁が為されなければならないので、わたしたちの挨拶はずいぶんと手間がかかる。
朝食は、たいていの場合はほとんどパンだけだ。
しかし、シセルはパンを10センチほどの厚さに分ける。その上、ただのパンではない。このパンには肉の小間切れやチーズの角切りが入っている。わたしたちはバターを使わなかったが、肉やチーズの味がパンの全体に広がっているので、この上ない美味を味わうことができる。このパンに加えて、さっきわたしが汲んできた水をコップで飲む。三日に一度ぐらいは、名前は忘れたが、なんとかいう草の根を刻んで作ったサラダを食べる。
スプーンはなにに使うのか。朝は使わない。使わないのに、どうして毎朝シセルは並べたがるのか。理由は簡単だ。それがシセルの好みだからだ。使わないのにスプーンを並べるというのは無駄なことに思えるが、シセルが望む以上、わたしにとっては、それはそれでよいと思えた。
朝食が終わる。いよいよわたしたちは一日の中へ流れ込む。娘たちは草原へ散っていく。昼までは帰ってこないだろう。
シセルは食器を片づけると、あらためてわたしの前に腰を下ろす。
なにか話すことがあれば、わたしたちは言葉を交わしあう。
なにも話す必要がなければ、長々と瞳を見つめあったり、手を撫であったりする。
昼食や夕食の用意を除けば、わたしにもシセルにもこれといった仕事はない。
わたしたちは、午前中も午後も、このようにして日を送る。
そして、こういう時間が、わたしたちには最も幸福な時間なのだった。

食糧やその他必要なものは、週に何度か、川を下っては上がっていく配達人が届けてくれる。
船が着くたびに、わたしは「いつもありがとう」と配達人に言ったものだが、彼もいつも同じことを答えるのだった。
「いや、あなたは十分に働いたんですからね。当然の報酬ですよ」
と言うのだ。
こういう彼の言葉に表向きは微笑を返したが、内心わたしはひどく訝しく思った。というのも、自分で覚えているかぎり、わたしは働いたことなどなかったのだし、どんなことをして働いたのかも全く思い出せなかったからだ。
にもかかわらず、わたしがかつて「十分に」働いたということは、わたし以外の人たちにとっては動かしようのない事実であるようだった。
シセルもたびあるごとに「あなたほど素晴らしい働きをした人はいないわ」と言った。
それに逆らって、
「でも、ぼくはなにもしなかったよ。ずっとここで、最初からこうやって暮らしているんだ」
とわたしが言うと、彼女は、
「いつもそうやってとぼけるんだわ。でも、いいの。そうよ、ずっとここにいればいいのよ」
と言って、わたしの頭を胸に抱きしめるのだった。
わたしはされるままになって、シセルの胸に顔を埋めて、自身のことにも関わらず、なにか自分の知らないこと、あるいは、忘れてしまったことがあるのだと考えるのだった。だが、わたしの考察はいつもそこまでで終わった。わたしは、自分自身にはあまり関心がなかった。たゞたゞ、この土地での日々に満ち足りていた。

太陽の動き、雲の流れ、青空の輝き、草原のざわめき。
あたかも、それらを詳細に観察するために、ここで暮らしているかのように、わたしたちは毎日をテーブルに着いて送るのだった。
時には草原をめぐり、川で釣り糸を垂れる。
わたしは全く倦むことを知らなかった。
ときどき気にかかって、シセルに、
「きみはこういう暮らしに飽きないかい?」
とたずねることがあった。
彼女はそういう時、言葉ではなにも答えなかった。
そのかわり、わたしの傍らにいる時には、わたしの胸に頬を強く押しつけた。
テーブルでわたしと向かいあって座っている場合には、微笑みながら、わたしの手の指を軽く捩ったりした。
おそらく、彼女も飽きるということを知らなかった。そして、わたしもじつは、そのことをよく知っていた。シセルがこの生活に飽きないことを知っていたからこそ、わたしは先のように問うことができたのだ。
もし、少しでもシセルがわたしとの生活に倦むことがあれば、それはわたしには耐えがたいこととなっただろう。記憶によるかぎり、どこからともなくこの地にやってきたとしか言いようのないわたしには、シセルの他には、なにひとつ愛おしいものはなかった。シセルがいる、シセルといっしょにいられる、ということが、わたしに水汲みを、あの食器数えを、草集めを、魚釣りを、毎日続けさせたのだった。
シセルの美しさも、いや、美しいというよりは愛らしさも、あるいはまた、けっして長くはないその髪の柔らかさも、眼差しも、あらゆる仕草も、もはや、わたしを幻惑させることはなかった。なぜならば、それらはすでにわたしにとって、水や空気のようなものになってしまっていたから。
もし、これを失えば、一日としてわたしは生き続けることができなくなってしまうだろう。たちまちのうちに、干からび、窒息してしまうだろう。今では、わたしは、恍惚となるためにシセルの瞳を見つめるのではなかった。生きるために、わたしはシセルと見つめあうのだ。この地でのわたしの生の目的、わたしの命を価値づけるもの、それはシセルであり、また、シセルと暮らす日々なのだった。
わたしはまったく満ち足りていた。この上なく幸福だった。
だが、本当だろうか。
満足しており、幸福であったということが本当だとしても、そしてまた、シセルがいつでも一緒にいてくれることに限りない喜びを感じていたとしても、わたしは果たして、それだけで満足できる魂だったのだろうか。
この地で、このテーブルに肘をついて、この塔の下で、こうして日々を送るだけで、わたしの魂の胃袋は幸福と充実とで満たされているかもしれないが、わたしはひょっとして、より大きな胃袋を欲しているのではないのか。この程度の幸福では満たされない胃袋、あまりに広大過ぎて、いくら水を飲んでも、とてもその全域を潤すには足らぬほどに広い天井を持った胃袋を。
しかし、そうだとすれば、一体、なんのためだろう。
なんのために、より大きな器が必要とされるのか。
わたしは幸福でもあり満足もしているのに、こういう無類の財産を、ほとんど無いに等しくしてしまう新たな巨大な宝箱が、なぜ求められなければならないのか。
わたしにはわからない。
こういったことが、わたしには、いつもわからないのだ。

シセルはどうなるのか。もし、わたしが、より大きな器を求め始めたとしたら。
彼女はこの塔の下でいつまでも待っているだろうか。「信じてるわ、あなたはきっと帰ってくるわ」とでも言って、わたしに呪縛をかけるだろうか。
わたしは帰ってくるだろうか?
どこへ?
シセルのところへ?
この塔の下へ?
どうして、わたしはここへ帰って来なければいけないのだろう?
シセルがいるからか?
では、そのシセルとは一体なんなのだ?
どうして、わたしはシセルと暮らしているのか?
どうして、こんなところにわたしは留まっているのか?

シセルとはなにか?
わたしには考えねばならないことがある。
わたしとシセルの寝床は塔の下に掘られた大きな溝の中にあって、そこに入ると、ちょうど日本家屋の縁の下にもぐり込んだような具合だが、その中で、毎晩シセルの頭をわたしの胸の上に置いて、その髪の中へ指を挿し入れ髪を絡ませながら、わたしはその考え事をする。
シセルとはなにか?
この地でのわたしの伴侶。
妻?
そう呼んでもいいのかもしれない。
そして、わたしの最高の友。
もっとも愛する人。

わたしたちと同じように塔の下で寝に就く七人の娘たちは、この塔の下での共同の生活者で、わたしたちの友人だ。わたしたちの子供ではない。
だが、わたしたちはまだ若いから、やがては本当の子供も生まれるだろう。その子は、シセルの子であり、わたしの子となるだろう。わたしは父親となり、シセルは母親となる。わたしとシセルはいっそう緊密な関係になるだろう。
だが、本当のところは?
夫とか妻とか、父とか母とか子とかいう関係を外して考えると、一体、シセルやその子は、わたしにとってなにものであるのか?
また、シセルやその子の側から見たわたしとは、一体、なんなのだろうか?
わたしをやがて訪れるかもしれないなにか、いずれは起こるかもしれない何事かがやってくれば、すべては解決されるのだろうか?判然とするのだろうか?
シセルとは一体なんなのか?
わたしとはなんなのか?
わたしはどこから来て、どこへ行くのか?
どうしてこの地に留まることになったのか?

この草原、この塔の下の寝床の中で、入口から入ってくる雨の匂いを嗅ぎながら、この雨によって、わたしとシセルの仲がよりいっそう親密になるように感じるのだった。それは、夜の中で合わせているわたしたちの肌の親密さで量られ、確認されるようだった。
「幸せだ」とわたしは呟いた。
物憂げにシセルは顔を上げて、「わたしも」と呟いた。
シセルの息がわたしの鼻に届く。わたしは思いっきり息を吸って、シセルの吐いた息を胸に満たす。この、シセルの息が、わたしは好きだった。わたしが胸を満たすと、胸の上のシセルの頭が波の盛り上がりの上に乗った船のように持ち上がる。息をいっぺんに吐き出す。とたんに、彼女の頭も落ちる。
それは、肉を貫いて、わたしの胸のうちへ、生命の深みへと落ちていく。シセルの頭だけが、シセルだけが、わたしの奥深いところへと落ちていく。
胸を破かれ、貫かれて、わたしは残る。
いま少しの間、このままの姿でわたしは横たわっているだろう。やがて、わたしの幽霊が立ち上がり、どこへとも知れず道程を踏み始めるだろう。
わたしは満ち足りているし、幸福だ。
わたしはどこへ行く必要もない。
どこへも行きたくない。
どこかへ行くことを欲しているとすれば、それはわたしの幽霊が欲しているのだ。幽霊ででもなければ、その上、どこへ行くこともできないだろう。
行きたければ行くがいい。
わたしは残る。
わたしはここで十分に生きている。
わたしは幸福な魂だ。
わたしには妻がいる。
覚えておくがいい、それはシセルという名だ。
シセルというのが、わたしの妻だ。
さようなら、わたしよ。



(第二十二声)

 ……不思議なことを語る声だったが、語り終えたようだ。彼が語っている間に、こちらではもう陽が昇ってしまった。

 今朝はいつになく冷え込んだ。まだ夏の半ばだというのに、まるで秋も盛りを過ぎる頃のような涼しさだった。
わたしは白い長袖のワイシャツを着ることにした。下には、落ち着いた印象の新しい紺のジーンズを穿くことにしたが、これだけではなにか物足りず、朝のうちは肌寒くもあったので、紺のカーディガンをワイシャツの上に引っ掛けることにした。
この服装で一日を過ごすつもりだった。こういう目立たない身なりは、単色を若々しく大胆に使った友人たちの鮮やかな身なりの中では、いささか奇異に映るかもしれない。なんて面白みのない地味な奴だろう、と見られるかもしれないが、わたしはむしろ、それを望んでいたのだ。
他のあらゆる人々が日常を離れ、自らの殻を破って浮かれている時に、わたしひとりは、彼らに対して、故意に日常的であろうとしたのだった。
カーディガンに袖を通した後、髪を梳かし、もう一度服装を確かめた。紺と白だけの今日の姿が、他ならぬわたし自身を冷静にさせるようだった。自分を抑えるために自らこういう装いを選んだのか、と思われた。
とにかくも、これで、今日は一日中、わたしは見られる側ではなく、見る側として過ごすことができるだろう。わたしの服装は、飾り気のなさのゆえに完璧だ。これは誰の注意をも惹かない。自分が見られているという意識のあの重さを逃れて、今日のわたしは、無味乾燥なただの観察者となることができるだろう。これこそわたしが望んでいたことではないか。……いや、本当にそうだっただろうか。
 朝食時には、この数日来座ることにしている同じ席に、今日も着いた。
わたしの隣りには、背の低いやや太った童顔の牧師が座り、これもまた、いつもの通りだった。
わたしたちは、もう馴染みであるといってよかった。
ウィンチェスターを歩いた時、この牧師がわたしたちをいろいろと案内してくれた。
ある建物に入った時など、内陣の壁に掛かっている大きな丸いテーブルについて長々と説明してくれた。彼によれば、そのテーブルに、かのアーサー王と円卓の騎士たちが着いたのだということだった。大丈夫ですか、わたしの説明がわかりますか、と彼は何度もわたしたちに聞いた。そのたびにわたしたちは「イエス」を連発し、説明の続きを促した。
ウィンチェスターの街の長い坂をだらだらと下りる帰りの道すがら、彼はわたしたち数人を小さなレストランに誘った。そこでお茶とショートブレッドを注文した。お茶はむろんミルクティーだが、このレストランで飲んだそれが、イギリス滞在中を通じて最も美味しいお茶だった。
「おや?」
と彼は、少しずり落ちた眼鏡を上げながら、わたしに言った。
「今朝のお茶はちょっと出過ぎているようだね。こりゃ、牛乳を少し多く入れなきゃだめかな」
 この彼の言葉が、ウィンチェスターのあのレストランから、ウィンクフィールドの合宿所の食堂へ、その片隅のテーブルへとわたしを連れ戻すのだった。
「ここで朝食をとるのも、もう、今日と明日だけですよ」
と、わたしは言った。
たった今、ウィンチェスターのことを思い出したように、やがて、今日のこの朝食のこともいつか思い出すようになるだろう、とわたしは思った。
「そうですってね。でも、わたしのほうは、まだまだずっと此処にいるんですよ。夏の間はずっと此処に残って、秋になればなったで、また、行くところがある」
 こう言いながら、彼は、わたしが膝の上に乗せていた朔太郎の詩集に目を留め、それを見たがった。
詩集を手にすると、彼はそれを逆さまに開いたり、横開きにしたりしながら、
「日本語ってのは、なんだか面白いもんですねえ」
と言った。
同じテーブルに着いていた他のイギリス人たちもそれに目を留めて、わたしの詩集のほうへと体を傾けた。
みんなの手に詩集がまわり、いろいろな冗談や笑い声が起こった。
さまざまな質問が次々とわたしに浴びせられ、それらに対してずいぶんと適当な英語でわたしは受け答えをし、時には身ぶりで言葉を補ったりもしたが、そうしながら、この人たちとこういう調子で今日一日を親しく過ごせば、わたしたちはそれなりにいい思い出をつくることができるだろうと思うのだった。
わたしのまわりにいるのは、隣りに座っている牧師をはじめとして、ほとんどがこの合宿所の運営者たちで、わたしよりはるかに年長の人たちだった。思い返すと、この合宿の期間中で、わたしはこういう人たちと最も多く言葉を交わしていたことに気づいた。彼らは、話をするにも冗談を言うにも、つねに程度をわきまえていた。彼らが交しあうのは、可もなく不可もない程よい親しさだった。
それもいいだろう、とわたしは思うのだった。そしてまた、自分はいつもこうなのだ、と心に呟きもするのだった。わたし以外の人々にとっては、どうやら確固として存在するらしい、激しい友情やら恋のやりとりやらといったものもなく、それらを求めもせず、また、この世の一切が一時に崩れ去るような絶望もなく、このように、いつも程よい具合にわたしの生命は続いていくのだ。幸福といえるほどの幸福もなく、身を切られるような不幸もなく、時にきらめくようなこともなく、かと言って、闇の中に埋没し切ってしまうわけでもなく、静かな水面に頭だけを出して、ゆっくりと泳ぎ進んでいくかのように、わたしは月日を経ていく。
疲労のために意志がたわめられてしまうような時の他は、確かに、自分の持ち時間の一刻一刻を、わたしは注意深く生きるようにしてはいた。それは、あるいは充実した生き方でもあったかもしれないが、つねに不安でよるべなく、いささか退屈でさえあった。
彼らの冗談にあわせて、わたしは適度に笑い、適度に説明をし続けた。
そうするうち、ふとした瞬間に、わたしは眼差しを、この親しげな人々の囲繞の向こうへと放った。
眼差しは光の帯のように遠く離れたテーブルに届いて、そこを照らした。白い薄物を纏った娘、こちらに背を向けており、その背のなかば近くまで甘露のように金髪を解き放っている娘が、このひそやかな照明の中に浮き上った。
シルヴィだった。
彼女のテーブルでも皆が談笑しているようだったが、彼女ひとりはやや沈んでいるように見えた。
どうしたんだろう、シルヴィは……という思いが浮かんだが、それをわたしは、心の中でわざと言い換えた。
『おや、あの冷淡な娘は今日はどうかしたのかな?自分の毒にでも当たったのかな?』
そういう意識的な思いを心に刻みながら、シルヴィという、数日前まではあれほど親しく感じられた存在が、いつの間にか遠い思い出そのものとなってきているのを感じた。
これはよい傾向だ、とわたしは思った。あんな娘に心をき乱されてたまるものか、そもそも、わたしたちは親しくなったのでもなんでもなく、ただちょっとばかり言葉を交わしたに過ぎないのだ、と考え続けた。わたしが、もし、シルヴィに惹かれたのだとしても、それは、あの顔の美しさに惹かれたに過ぎない。だって、確かに美しい顔ではあるからな。わたしは顔の美しさを気まぐれに好んだだけのことで、シルヴィという娘を好きになったわけではないのだ。彼女の冷淡さは、わたしが思い知らされた通りじゃないか。一体、わたしが彼女になにをしたというのだろう。なぜわたしをあのように意識的に無視したのだろう。そんなことをする権利がどうして彼女にあるのだ?なんて高慢ないい気な娘だろう……
 わたしは心の中で、いくらでもシルヴィに罵声を浴びせることができたし、実際、表向きは無言でありながら、できるかぎりの雑言を練り上げては頭の中のシルヴィの姿に投げつけていた。
要するに、わたしは、それまでかってなかったほどに、ひとりの娘に激しくのめり込み始めていたのだった。
シルヴィのあの時の無視が、すべての始まりだったに違いない。
安直な交流の可能性があのように崩れ去ることによって、シルヴィを、ただの束の間の知り合いと見ることをわたしは止め、絶対的な関係、憎み合おうが、無視し合おうが、なじり合おうが、とにかく、独特な何らかの関係を彼女との間に持とうと、おそらく、無意識のうちに決意したのだった。

 最後の日におよんで、シルヴィ以外の人たちとの交流を新たに求めるようなことは避けよう、とわたしは決めた。
むろん、今日のわたしは、シルヴィの後をついて歩いたり、その姿を求めてそれとなく彷徨ったりはしないだろう。わたしはできるかぎりひとりで過ごすつもりだ。
だが、つねにシルヴィのことを考えて過ごそう。シルヴィとは、この旅行において与えられたひとつの問題なのだ。わたしはその解決に努めよう。わたしを捕えているこういう問題が、一体、恋愛だなどと言えるだろうか?言えまい、いや、意地でも恋愛などとは思うまい。わたしはシルヴィに魅せられたのではけっしてなく、あくまでひとつの問題としての彼女が、わたしを捕えたにすぎないのだ。しかも、単に無聊を慰めるためにその問題に目を向けたにすぎず、わたしの内奥、わたしの心は、そんなものにはけっして本気で応対などしていない。心は不動であり、このような問題などは遅かれ早かれ消えていくだろう……
――内部でのこうした考え方の設定に、わたしはずいぶんと念を入れた。
この頃のわたしは、自分が愛されているという確証の得られないかぎり、けっして相手を愛さない、といった類の人間だった。
弱い人間が、恋愛のような、自然でもあり不自然でもある危険な心の活動の衝撃のひとつひとつから自己を守るためには、こういう態度がどうしても必要になるのだ。そのために、長い間、わたしの心のエネルギーは、いろいろな娘への関心を、なによりも自分自身に対して打ち消すことに、おおかた費やされてきた。
といっても、それら昔のことは、この、シルヴィのことに比べれば、なにほどのこともなかった。それまでのわたしは、恋愛というものにさほど重きも置かず、日常の折々に、束の間のほのかな愛着を娘たちに覚えては、次々とそれらを忘れていくことで満足していた。
が、今回はいささか異なっていた。シルヴィに魅せられているという事実を打ち消すために、わたしはすでに途方もないエネルギーを使っていた。エネルギーがわたしにどれだけ残されているのか、判然となど知る由もなかったが、ともかくもこの一日をどうにかやり通す必要があった。不完全なかたちででもよいから、シルヴィという問題(一体、それがどういう問題で、どう考えたらいいのかということさえ、全くわからなかったが)について、どうにか決着をつける必要があった。
にわかづくりの恋人とともに、最後の日をどのように楽しく思い出深く過ごそうかと友人たちが心を砕いている時に、わたしは、このような、わけのわからぬ不毛な配慮をせざるを得ないのだった。
友人たちは、将来小さな思い出となり得るものを作るために、今日という一日の中になんらかの思い出の種子を蒔くことができるだろう。ここで得た恋人と二度と会えないとしても、人生を豊かにするかのような幻影を演出する具体的な何ものかを、得ることもできるだろう。それに比べてわたしは、最後の日を、なにものをも生まない全くの不毛な時間として過ごさねばならないのだ。
おそらく、得られるのは、この日もまた時間を持て余した、という感慨だけだろう。そしてまた、やればできたのだけれども……という例の逃げ。
いつだったか、心に予想したように、この合宿生活はわたしにとって、やはり、何ごともなく過ぎ去り、やがては抽象的な漠然とした印象を記憶に留めるだけに終わっていくに違いない。

 午前中は自由時間だった。午後はゲームがあるということだったので、その午前中の時間を、多くの人たちは外出もせず、特に疲れるようなことなどせず、グラウンドや卓球場で過ごした。
わたしはグラウンドを、本とスケッチブックとカメラを持って歩きまわり、この合宿所のいろいろな場所を記憶しようとし、また、記録した。
二時間ほどすると、そうしたことにも飽きてしまって、ある大樹の下のベンチに腰を下した。樹のまわりに輪のように造られているベンチで、そこでは風が、谷の水のようにわたしの肩を流れた。
 ぼんやりと、遠くの宿舎の建物や、ダンスの行われていた集会室の煉瓦造りの建物、体育館や食堂や礼拝堂を眺めたり、また、グラウンドの芝生の大きな広がりの上に点在している人たちに目を移したりしているところへ、どこからともなく、ふいに、三人の娘がやってきた。二人はわたしの両側にひとりずつ座り、ひとりはわたしの前に腰を下した。
 彼女たちはわたしに、ごくありきたりな、いろいろな質問をした。日本では学校でどんな勉強をするのか、とか、どんな科目が好きか、とか。そういう質問が済むと、わたしの左側に座った娘が、日本の言葉を少し教えてほしい、と言った。
「あなたのボーフレンドにでも、日本語でお別れを言うために?」
 とわたしは訊いた。
「そうじゃないの。わたし、べつに、特に親しくなった人って、いないの。ただ、日本語って、どんなのかしらと思って。――でも、この人には、ずいぶん仲良くなったお友だちがいるのよ」
 そう言って、わたしの前に腰を下していた娘を指した。
左側に座った娘がせがむので、わたしはノートを開き、日本語を英語と対照しながら、いくつか教えた。
一から十までの数を、何度もふたりでいっしょに声を出して、一、二、三、四…と教え、指を折りながらリズムを取ったりもした。そういう時には、他のふたりもいっしょに声を出した。
 言葉を教えながら、左側のその娘の目を見つめたり、彼女がノートを見ている間に、その顔や肩に流れ落ちるよく整った栗色の髪や、萌黄の清潔なワンピースなどを瞳の中に吸いながら、この娘が、穏やかでしおらしく、加えて、静かに湧き出るような美しさを持っていることに、わたしはようやく気がつくのだった。わたしが教えることをいちいち熱心にくり返す彼女の素直さに、わたしは特に好感を持った。
シルヴィの他にこういう人もいたのか、と思い、この娘が今、わたしの傍らにこのようにいてくれている幸せを感じ、気持ちが温かくなるようだった。

 突然、ひとりのべつの娘が歩いてきて、わたしたちの和を乱した。
その娘は、わたしに白いズック靴を差出すと、
「これにサインをして」
と言った。
 シルヴィといつも一緒にいる娘、ドゥニーズだった。
ごく一瞬のことだったが、わたしはドゥニーズを、この時はじめて、よく見つめた。
目の中に光が満ちているかのように虹彩が青いのを見て、わたしは少し驚いた。
肉づきのいい両頬には桃のように赤みが差し、シルヴィとは違って丸みを帯びた豊満な体は、今日は厚手の濃い青色のシャツで包まれていた。
差し出された靴にはすでに数人のサインが書かれていた。
どこに書こうかと考えながら、こういう靴に記念のサインをしてもらうという趣向に、わたしは感心していた。
サインを終えて手渡すと、ひとこと、
「ありがとう」
とだけ言って、ドゥニーズは離れていった。
わたしとともに、そこにいた娘たちにはどうしてサインを求めないのだろう、もうすでに書いてもらってしまっているのだろうか、とわたしは訝った。

 私の前に座っていた娘が立ち上がって、
「さあ、そろそろ行きましょうか」
 と、後のふたりに呼びかけた。
左側にいた娘は、わたしがドゥニーズの靴にサインをしている時からずっと、わたしのノートのあちらこちらを捲って、わたしの描いた素描画を見ていたが、その呼びかけに答えて顔を上げると、わたしの手にノートを返して立ち上がった。
 二人の娘はすでに歩き出しており、歩きながらわたしに、さようなら、と手を振った。
 その二人にこちらからも手を振り終えると、傍らで立ち止っていた萌黄の服の娘が、
「あなたの絵、なかなか上手だわ」
 と言って、微笑んだ。そして、やや口早に、
「さよなら」
と言ったかと思うと、軽く駆け出して、先の二人に追いついた。
そうして、こちらを振り向くと、歩きながら手を振り、微笑みを投げて寄越した。
程なく、彼女たちは三人とも集会室の向こうへ曲がって、姿を消した。
行ってしまった、と、これといった感慨もなく、わたしは思った。
肩のあたりに、ふいに涼風が蘇ったようだった。



(第二十三声)

 話を続けるのはわたしだ。おまえ、わたしに先行した声よ、おまえは黙れ、口を閉じるがいい。肩のその涼しさをいとおしんで、いつまでもそこに座っていろ。言う通りにするがいい、わたしの過去よ。あの時のあの場所でのみ生き続ける古いわたし、思い出という名の死骸よ。

 昼食が終わって。班ごとの説明会が始まった。かねて聞いていた通り、午後はグラウンドでのゲームに費やされるということだった。十三種類のゲームがあり、男女二人で一組になって、その全てのゲームをやって廻るのだ。各ゲームの場所には、この合宿の運営者たちが審判ないしは記録係として置かれ、四つのチームの成績が彼らによって記録される。
「……とすると、ずっと女の子といっしょっていうわけだね」
 と、隣りにいた友人が小声で言った。誰かが説明者に質問をしたところだったが、その人のほうを見ながら、わたしは頷いた。
「どうしようかなあ。ぼくは誰とも仲良くならなかったからな。きみはどうするの?」
 ふたたび、彼が言った。
「どうにかなるだろう。ただのゲームなんだから」
 こう答えたものの、目を移してみた一瞬の彼の顔に、今の自分の内心をそのまま見出したように思って、なにか急に萎え折れていくような情けなさを、いや、寄る辺のなさを感じるのだった。彼の顔は微笑んでいて、その皮膚は若さに張り切っていた。突然の嬉しい当惑を表わしているように見えた。しかし、目は所在なげで、その視線を左右に震わせていた。
「それでは、皆さん、パートナーを決めてください」
と、声が響いた。
わたしはたじろがなかった。今までのようにテーブルの隅に座ったまま、足をいくらかぶらぶらさせて待つことに決めた。
なにを?
誰か、パートナーを得られずに残されるイギリス人の女の子を。
わたしの横では、さっきの友人が、きょろきょろしながら、テーブルに寄りかかって、体を軽く前後に揺すっていた。その隣りには、どうやらわたしと同じことを考えているらしい上級生がわたしのように座っていて、他にも数人ほどが同じようにしていた。
多くの人たちは部屋の中央に男女入り乱れて、事務的に組み合わせを作ろうとしていた。
じゃんけんをして一人の娘を取り合う陽気な人たちを見ながら、この分なら、あと五分もすれば、わたしが誰と組むことになるかも自然と決まっていくだろう。そんなことを思っていると、突然、私の前に来て、手を掴んだ者があった。
 まわりにいた友人たちが、わたしの手首を見、その者を見、わたしを見た。
波紋がすみやかに広がっていくように、そのわたしの手首を中心にして、何かがわたしを、わたしを取り巻くものや人々をも静かに変えていくようだった。
あの娘だった。
最初の晩、ともに踊り、ウィンチェスターをいっしょに歩いたあの娘。
目を合わせるともなく、彼女は否応もなくわたしを引っぱって行こうとするので、わたしはなんの心の準備もなく、崩れた体の平衡に追いすがるようにして、ついて行った。
部屋の扉のところで、ようやく彼女の歩みに体を合わせ、廊下を並んで抜け、グラウンドへと出た。
グラウンドでは、まだ、何人かが各ゲームの場所に来ているだけだった。
「わたしたちは、あのゲームからやることになっているの」
 グラウンドのはずれに設けられた場所を指して、娘は言った。
二人でそこへ向かった。
あの寄る辺なさから思いもかけず、早々に抜け出し得た運の良さと、あのように大胆にわたしを選んだこの娘に対する、いささかのはにかみと感謝の気持ちとを紛らわすために、――というのも、そういう感情をそのまま認めることも、彼女にあからさまに見せてしまうことも、この時のわたしにはできなかったからだが、――わたしは故意にグラウンドの四方を見まわしたり、雲に目を凝らしたりしていた。

「あなた、なんていう名前なの?」
 わたしの顔を見て、娘が訊ねた。
わたしはゆっくりと自分の名を発音した。
彼女は、一度、わたしの発音に合わせて口の中でくり返すと、次にははっきり声に出して言い、最後を上がり調子にして『これでいいかしら?』という確認の気持ちを覗かせた。
わたしは頷いた。
本当は、「その通りだよ」とか、「なかなかうまい発音だね」とか言って、さらに気の利いたセリフを加えようと思ったのだが、言葉がうまく出てこなかった。しかたなく、わたしは、眼差しを彼女の瞳に据えたまま、ちょっとしたしくじりをした後で、人がよく仲間に送るような微笑みを作った。
彼女も微笑んだ。その頬の上のあたりには、軽く雀斑が散っており、笑った顔のまなじりに皺のできたのが見えた。
まなじりにできる皺を見るのが、わたしは好きだった。
それは間もなく微笑とともに消えたが、彼女の眼差しだけは、わたしの目の中に残った。一刹那、彼女は目を逸らし、すぐに、ふたたびわたしの目にその眼差しを合わせた。
その瞼の震えと眉の微妙な動き、そして、全体的にやや上目づかいになった様子に、それまでの彼女にはなかった恥じらいの現われを見るようだった。
おそらく、わたしは、生身の人間でない石像かなにかのようにして、彼女をじっと見つめていたに違いない。すでに微笑をおさめてしまっていたから、この時のわたしはひどく生まじめな面持ちをしていたことだろう。急に自分が大層な大人にでもなったように感じられた。この一瞬にあって、彼女はわたしに従属しているように思われた。
彼女の頬に赤みが差した。
いい加減、娘を救ってやる必要があった。
「……で、きみはなんていうの?」
 しかし、救われる必要があったのは、むしろ、わたしのほうではなかったか。この娘とふたりでいるというだけで、どれだけ内心わたしが取り乱していたかは、たった今、わたし自身が発した質問の結果によって、すぐに、おのずと明らかになった。
彼女は自分の名前を言った。
わたしは目を逸らして、歩いている足元に眼差しを落していた。
さっきの彼女のように、今耳に届いた娘の名をわたしは声に出してくり返した。
その通りよ、と頷く彼女を見て、わたしは心のうちでその名をもう一度くり返そうとした。
だが、できなかった。
わたしは娘の名を、まるで耳にもしなかったかのように、すっかり忘れてしまっていたのだ。
彼女は確かにわたしに名を告げ、わたしの声は、それをはっきりと発音しさえしたにもかかわらず、その間、わたし自身は、耳や声と行動をともにしなかったに等しいのだった。
自分の外見が勝手に彼女の名をくり返して確認さえした後で、今さら、もう一度教えてほしいなどとは言えたものではなかった。しかたなく、いかにもよく彼女の名を覚えたとでもいうように、頭を上下に何度もゆっくりと振って、頷いた。
「住所を教えてね」
と、彼女がいくらも間を置かずに言った。
「うん、後で」
 近づいてきたゲームの場所を見ながら、わたしは答えた。
その場所には鉄の半分の輪がいくつも芝生に立てられていて、此処では、パッティングかなにかをやるのだろうと思われた。
「あとで紙に書いてちょうだいね。名前もいっしょにね」
 この彼女の言葉が、なにか、わたしに縋りつくような調子で語られたのを感じて、わたしは軽く立ち止った。
彼女が一二歩行き過ぎた。
右手が少し引き上げられるのを感じた。
見ると、彼女の左手がわたしの掌を握っているのだった。
彼女の掌もまた、わたしの掌によって握られていた。
わたしは、意識しないまま、ここまでずっと彼女と手を繋いで歩いてきていたのだった。
わたしは手を離した。
彼女の手は、しかし、今しばらくの間、わたしの手を離さなかった。
だが、程なく彼女は力を抜いた。
右手はわたしの元に帰ってきた。
腕が胴に添って落ち着いた時になって、わたしは手を離してしまったことを悔いた。実際、彼女と手を繋いでいるのに驚いたことの他には、これという理由もなく、わたしは手を離してしまったのだから。
手を離すのにはそれなりの必要があったのだ、と彼女に思わせなければならなかった。
左手にノートを携えていたが、わたしは強いられた用事ででもあるかのように、それを前に持ってきて、右手で、しかたなくも右手で、そのページを繰った。そして、白いページを見つけると、これもまた右手の人差指でそこを彼女に指し示した。
「ここに書くよ。ゲームの合間に書けるだろう」
 そう言って、微笑みを添えた。
わたしたちは再び歩き出した。
もう、さっきのように手を握りあうことはしなかったが、親しさはいっそう深まったように感じられた。

 わたしたちの最初のゲームはクロッケーだった。
大きな槌で球を打っていくゲームで、すべての鉄の輪の下に順番に球をくぐらせていくものだった。全部で何回打ったかが記録され、回数の少ない順に優劣がついていく。東・西・南・北の各組の、計八人の選手が集まっていた。ゲームにはひとりずつが出て、四人で行う。
はじめに彼女が出て第二位の成績を収めた。二回目にわたしが出たが、わたしはずいぶんと手間取った。皆が五十から七十回ほど打って終わるところを、わたしは百数回でようやく終えた。間違いなく最下位となった。わたし以外の誰もが、早々にやり終えて、わたしひとりのゲームをずっと見ていた。やっとのことで終わった時には、皆、最後にゴールインした走者にするように、わたしのために拍手してくれた。娘のところへ戻って肩をすくめてみせると、笑いながら、「よく頑張ったわ」と言ってくれた。
 こんな調子で午後は始まったのだった。すべてのゲームがどのように行われたか、どんなゲームで、どういう楽しさがあったか、そういったことについての全てを語る必要はないだろう。むしろ、ことさらに全てを語ろうとすれば、わたしは知らず知らず嘘を語ることになるはずだ。というのも、ひとつひとつのゲームやゲームの最中、あるいはゲームからゲームへと移る間のわたしたちの言動の様々を総合して得られるような印象が、わたしの中には残っていないからだ。残っているのは、分析とも総合とも次元を異にした、ひとつの生物体のような瑞々しいかたまりであり、思い出を時おりふっと浮かばせる漠然とした柔らかい水晶球なのだ
それをわたしは心の中に抱いているに過ぎない。あの時のあのグラウンドにあったあらゆる物、あらゆる人たち、響く声、シャツを抜ける風、止まってはまた流れる雲、球のように弾み、渦を巻き、あるいは飛び散って他の人の心に忍び込む感情の動きなどが、すべてこの球の中に封入されている。大きな飴を口に含むようにして心の中にこの球を含み、その飽きることのない味をわたしは楽しむ。
この飴の中には時どき思いもかけない蜜が入っていて、甘い酒のように舌の上に広がり、口に満ちることもある。たとえば、ゲームがうまくいかない時に見せる娘の困惑した顔。もっとも、彼女はすぐに微笑んでしまうのだが。しかし、その困惑にしても、微笑みにしても、つねに、内輪の人間に対するもののように打ち解けたかたちでわたしに送られるのだった。彼女は始終ゲームに顔を火照らせて、言葉少なだが、快活に時を過ごした。いくつめかのゲームが終わり、そのゲームの審判が言ったなにかの冗談を笑う暇に、皺のできたそのまなじりをわたしに楽しませながら、一言、まるで、一瞬だけどこか別の場所に行って、ふたりだけになりでもしたような調子で、彼女は、
「楽しいわ、とっても」
 と言った。
「――ぼくもさ」
と、慌ててわたしも言うのだった。そして、
「よし、今度こそ一等になってやる」
などと言って、ふたりで景気づけをするのだった。

 風がすでに一日の終わりを吹き知らせて廻っていた。少しずつ感じられてくる肌寒さが心に滲み入って、物悲しさになり変わるようになってきていた。
太陽が沈むにはまだ時間があるが、しかし、もう五時になろうとしていた。娘とともに満ち足りていたわたしは、その時、――ゲームをまたひとつ終えて、次に移るその時、ふと空を見上げた。
太陽は雲に隠れていた。暗くはないが、空が確かに明るさを失っているのが見られた。雲が流れて、すぐにもまた太陽が姿を見せるかもしれないが、しかし、今までわたしたちを照らしていたあの明るさは、もう、二度と戻ってはこないように感じられた。五時か、とわたしは心に呟いた。日没はこの地では八時頃だったから、あと三時間ほどは、太陽が出続けているはずだった。
しかし、あと三時間というその思いが、わたしをよりどころのない夕暮れの風のような寂しさに陥らせるのだった。陽が沈んでしまえば、わたしはむしろ、よほど楽になるだろう。だが、あと三時間しか陽は出ていないというこの現在にわたしはいるのだ。あと三時間すれば確実に陽は沈む。ゲームもそれまでには確実に、――わたしがいかに不器用に時間をかけようとも終わってしまうことだろう。もう二度とあらゆるものに手が届かなくなるのだ。彼女と手を握りあってグラウンドに出たあの時。いくつめかのゲームを始めるにあたって、審判の説明をふたり並んで聞きながら、審判のほうを見ている彼女のうなじの流れにそっと目を落として、ひそかに溜め息を押し殺したあの時。どれもこれもが、ついさっきの出来事だ。そして、どれひとつ、もう二度とわたしに戻っては来ない。
この午後を十分に楽しんだだろうかと、わたしは自問してみた。十二分に満ち足りて今日を生きただろうか。大きな喜びの前でたじろがなかっただろうか。内気さのために得難い時を逃したりはしなかっただろうか、と。
いやいや、わたしのこの一日はやはり不十分だったな。今日ばかりではなく、このウィンクフィールドにあって、毎日が満たされなかったじゃないか。遠くから草の上を這ってきた風がわたしの足に絡みついて、このように言いはしなかっただろうか。
「本当にそれだけか?ここでの生活においてだけなのか?おまえの辛抱はずいぶんと深かったんじゃないのか?」
――そうだ、まったくその通りだ。わたしは、突然、自分の弁護を思い立ったように、いささか、むきになって、焦りに追われつつ風に頷く。その通りだ。わたしはずいぶんと強いられた不毛に耐えてきた。満たされることなく、萎んでは消えていった数えきれないほどの日々の虚しさを、わたしは耐えてきた。本も取り上げられて、病気で寝ている幼い日の午後。教師の目の下で、興味もない数式をいじくっているふりをしなければならなかった進学塾での、あの白みきった時間。中学校の昼下がりの眠い社会科。「ここで待ってなさいね、動くと迷子になっちゃうから」と言われて、忠実な犬のように壁際でじっとしている、デパートでのあの十数分ほどの間。病気のために見学をすることになった体育の毎時間。待ちくたびれて、帰ろうと思う頃になって、ゆっくりとやってくる少女。それでも、「いや、そんなに待たなかったよ」とわたしのほうが言ってしまっていた。そうだ、まったくその通りだ。いつも、わたしはそう言ってきた。ぼくのことは大丈夫ですよ、ぼくは別にそんなに待ったわけじゃありませんよ、ぼくのことなど気にしないでいいんですよ、それよりあなたこそ…… 
誰がこんなことを本気で言うものか。こう言うように育てられ、調教されてきただけのことだ。あらかじめ自分を抑えつけておけば、他人からはそれほど抑え付けられずに済むという隷属的な処世術。そのためにわたしは、日々の充実を犠牲にした。しかたのないことだったろうか。可能性の抑圧、不満足をあやしつけて、満足であるかのように自分に思わせること。そういうことの、終わりのない連続。自分をごまかすことに次第に手慣れていくことを、世間では〈成長〉と呼び、〈大人になる〉というのだった。心の深いところに隠れた声が言うのを、わたしは聞いた。
「いいさ、焦るなよ。俺はちゃんと少しずつ手はずを整えているんだ。俺には確固とした計画がある。いつか、すべてを、消え去った可能性、洩れ落ちて逃げて行った満足のすべてを、ひとつ残らず掻き集めてやるんだ。俺は俺自身になってやる。巨大な竜巻のようにすべてを吸って、大地を睥睨してやる。街を崩し、屋根を裂き、人間たちを地の果てへと叩きつけ、河を飲み、海を吸って、飽くことなく天へと伸びてやる」。
――そうだとも。わたしは充足しなければならない。次のゲームに移る今この時、わたしは娘を抱きしめてやるべきではないのか?彼女から充実という果汁を吸いつくすべきではないのか?充実を、ただそれだけを手に入れるために、現代社会ならばどこででもふんだんに手に入る安価なあの万能キー、「愛してる」という、誰ひとりにもわけのわからない呪文で心の最後の扉を開き、宝を洩れなく奪うべきではないのか?
そして、どうするのだ?
その後は?
逃亡するのだ。より高い次の充実を求めて、わたしだけのために、わたしの飢えだけを満たすために道程を続けるのだ。
今こそ、その時ではないか?彼女のうち解けた微笑を、親しげなこの物腰を、今こそ利用すべきなのだ。充実がここにある、彼女のうちにある。すぐに捨て去られるべき充実、次の別の充実への束の間の踏み台になってくれる充実。ただそれだけの価値しかない充実、とはいえ、今摘み取らなければ永遠に失われてしまう、時分の花である充実。それが今、彼女の目を輝かせ、頬を上気させ、うなじを光らせている。

 忘れかけていた運命がふたたび現われたのは、その時だった。娘の楽しげな眼差しを、思案のうちにふと逃れたわたしの目は、次のゲームの場所の傍らにシルヴィを見つけた。
彼女はひとりで立っていた。
ジーンズの裾を、いかにも穿き慣れないという様子で膝までまくり上げ、長い白靴下が足を包んでいるさまを露わにさせていた。片足に重心をかけて、もう片足を、爪先だけ地面につけていた。
わたしの心を、つい今しがた領していた感情が、泡のように消えていった。
彼女は全くのひとりだった。
ゲームを見ておらず、西の空の遠いところを向いて、目を細めていた。
ゲームの喧噪の傍らで、そのようにひとりだけ違うところに心を移している様は、一日のこの暮れがたにあって、微かなものではありながらも、どうにも耐えられないような、震えに似た寂しさをわたしに覚えさせた。
シルヴィが、人と化した寂しさそのもののようにして、暮れがたの一時を過ごしている。この事実の前で泰然としていることなど、わたしにはできなかった。
彼女の顔にも、寂しさや寄るべなさのようなものが見てとれた。駆けていって抱きしめてやりたいほどに、シルヴィの心のなにかが冷え切っているようだった。
こんなことがあっていいのだろうか、シルヴィがたったひとりでいる、ひとりで寂しく立っている、とわたしは思った。なのに、ぼくは今、一体なにをしているのだ?シルヴィのために、なにもしてやれていないじゃないか?……

 シルヴィはわたしに気づかなかった。
いや、自分がどこにいるのかさえ、気づいていないかに見えた。
もし、わたしに気がつけば、わたしはいくらかでも彼女のなにかを変えることができるかもしれないのに、と思うと、ひどく苛立たしかった。
心の中で、「シルヴィ……」とわたしは呟いた。
いや、叫んだのだ。
このぬるぬるとした心という洞窟の中で。その叫びは幾多の緑を越え、町を飛び、遙かなところ、遠い地の果ての岩だらけの海岸へと到って、海に散った。
わたしは、その海岸のひとつの岩に腰を下ろしていた。
平らな岩盤が海へ伸び、突然、切り絶えていた。
小さな崖のようになったそこのところに、波が当たっては散っていた。
その先端にシルヴィは立って海を望んでいた。
海風にシルヴィの髪は音楽のように揺らめき、衣服のかわりに体に巻かれた白い柔らかい布が、風の表情を絶え間なく写し取っていた。
鼻の稜線が長く伸びて、海中の近いところへ没し、髪の一本一本の自由な揺らめきの中からは新しい一本の髪が生まれ出て、世界を周るかのようだった。
 海は豊饒な胸のように呼吸をくり返し、粘液を帯びた艶めかしい生物のように動いてやまぬ金色が、その表を覆っていた。
金の海に、深い色の青空がくっきりと限界を与え、わたしたちの足元には赤茶色の岩場が広がっていた。
その上にシルヴィが、海へと心を開いて立っており、その金髪は海の金色よりも白く輝き、肌は純白の衣に覆われているのだった。
髪の流れ、衣の踊り、岩にわたしたちの影を焼きつける太陽の音、そして、ゆっくり突き上げるように生命の力を盛り上げてくる黄金の海の揺蕩が、まぶしいほどに晴れやかで厳かな合唱を、あまねく風景の中に響き渡らせているのだった。
永遠の真昼がここにはあった。
わたしたちは彫像のように動きを止めていた。
日も沈むことなく、いつまでも中空に留まっていた。
空気は焼けつくようだったが、炉の中の炎のようにわたしたちはそれに馴染んでいた。
喜びも悲しみもなく、おそらく、心というものさえわたしたちにはなかったが、そこには絶対的な永遠があった。
わたしはいつまでもシルヴィを見つめ続け、シルヴィはいつまでも岩の突端に立ち尽している。
そして、世界はこの瞬間のまま、ずっと止まり続ける。……

「これが最後のゲームだわ」
という娘の言葉に、わたしは幻から引き戻された。
これから最後のゲームに向かうわたしこそ、幻の中にいるのではないか、と思われた。
シルヴィはさっきと同じ場所にいて、やはり、西のほうを望んで目を細めていた。
あいかわらず、わたしには気づかず、近くにいながらも、わたしとはひどく離れたところにいるようだった。
「さあ、説明が始まるわよ」と言って、娘はわたしの腕を掴んで引き寄せた。「大変なゲームばかりだったけれど、とにかく、これで終わりなんだから、やれやれだわ」と続けた。
「終わることを望んでいるの?」
 と聞くと、娘は一瞬ひるんだような顔をしたが、すぐに口元に微笑みを浮かべた。それとともに、顔全体に赤みがさした。そして、軽く首を振った。わたしは彼女に引かれるままに、この最後のゲームのやり方を聞くため、他の参加者たちとともに審判のところへ寄った。

 説明を聞いている間、わたしは、どうして、シルヴィがよそよそしくあんなところに立っていて、この娘がそれと対照的に親しく此処に、わたしの傍らにいるのだろう、と考えた。
まったく取りとめのない疑問に見えるが、こう問う以外には為しようがなかった。
しかも、こういったことを問わないではいられないばかりでなく、こういう問いを考えることこそが、わたしにとって、なにか、最も重要なことのように思われるのだった。
なぜ、ここにいるのがシルヴィでなく、この娘なのか。
なぜ、この娘の名が「シルヴィ」でなく、あそこにいるシルヴィの名がこの娘のものでないのか。
なぜ、シルヴィがフランス人でなければならないのか。
なぜ、この娘がイギリス人として生まれたのか。
なぜ、わたしたちが同じ時にこの地に集まらねばならなかったのか。
そして、なぜ、わたしはシルヴィに惹かれ、この娘にも惹かれるのか……

 娘がずっといっしょにいてくれるので、わたしは幸せだった。
しかし、シルヴィがいっしょにいてくれないので、わたしは不幸でもあった。
一体、どういうことなのだろう?
シルヴィはわたしにとって何なのだろう?
何であるべきなのだろう?
そして、この娘は何なのか?
何であるべきなのか?
埒もないこれらのことを、くり返しくり返し、わたしは考え続けた。
「シルヴィか、この娘か」といった二者択一の問い、あるいは「好きなのか、そうではないのか」といった類の問いにわたしは何度も陥り、焦って、はやく決着をつけようとした。
時には、やみくもに一方を選んでみよう、と内心で思ったりもした。
『どうして、どちらかを選ぼうとなどするのだろう。どちらをも投げ出したらいいじゃないか。まったく、孤立して超然とでもしていたらいいじゃないか』
そうも考え、こういう態度をも何度か採ろうとした。
しかし、結局、わたしはいずれの態度にも落ちつくことができなかった。
シルヴィといい、この娘といい、いずれもわたしの深いところの関心を惹くなにかを持っていた。
感性の欲求を第一義として、つねにそれを満たすように行動する性質を生まれつき持っているわたしとしては、彼女たちの魅力に抗することは不可能だった。
同時に、そういう魅力に対して超然とした態度を採るということの魅力にも惹かれるのだった。
わたしの態度は、ほとんど、一瞬一瞬違っているようなものだった。今、シルヴィに傾いたかと思うと、次の瞬間には娘に傾く。そして次には、その両方に背を向けてひとりになろうとする、といった按配だった。

 やがて、ゲームは終わり、夕食も終わった。
 礼拝の時には、例のあの友人、――わたしの眼差しをはじめてシルヴィの眼差しへと導いたあの友人と一緒だった。
彼はドゥニーズを好いていた。彼女に日本の硬貨をプレゼントしようとしていた。わたしは彼にいくらか硬貨を貸した。同伴することを求められた。
 ドゥニーズが礼拝堂の中ほどの席に着いたので、わたしたちもその隣りに腰を下した。
ドゥニーズの向こう隣りにはシルヴィが座っていた。つねに行動を共にしている親友同士の彼女らなので、これはごく当然のことだったのだが、ドゥニーズの向こうにシルヴィがいるというこの現実は、匂い立つような鮮烈さで、この時のわたしの感覚の肌に突き刺さってきた。様々な事柄について未経験過ぎる青少年がよく心の中で経験するように、抽象的に深く思い描いてみたことのある、遭遇したこともない傷の痛みというものを、ついに、空想でも夢でもなく、物質的な動かし得ぬ存在感として投げつけられたかのようだった。「シルヴィには近づきたくないんだ」とわたしは彼に小声で言った。
 十円玉や五円玉や一円玉を示しながら、それがイギリスのお金やフランスのお金でいくらに当たるかを、彼はドゥニーズに説明した。説明にはやや手こずっているようだった。彼はそれらの硬貨をドゥニーズの手に(わたしから見えれば、いくらか無理やりに)握らせようとした。ドゥニーズは、はじめ、彼の気持ちを解さなかったらしく、なかなかそれを受けとろうとはしなかったが、それでも、やがて手にすると、彼に礼を言って、貰ったばかりの硬貨を隣りのシルヴィに見せた。
「まいったよ。ドゥニーズは分数がわからないんだぜ。十円が一フランの何分のいくつだって説明しても、ちんぷんかんぷんなんだもの。フランスって、数学を学校で教えないんじゃないかな?おかげで、説明に手こずったよ」
 こちらに向き直った彼が言った。フランスの教育についてはわたしも知らなかったが、それでも、日本より質の高い教育が行われているといった紹介の文章や、具体的ないくつかのフランスの教育方法についての記事を読んだことがあったので、きっと、ドゥニーズがたまたま数学嫌いだったのだろう、と思った。
「さっきの君の様子はおかしかったよ。ドゥニーズがちょっと迷惑そうでもあった」とわたしが言うと、
「そうかなあ。もっといっぱいあげるべきだったかなあ」
 と彼が言うので、
「いや、そういうことじゃなくってさ……」
 と言ったものの、それ以上は言わなかった。硬貨であれ何であれ、自分の国のものを、これといった理由もなく外国人に贈るということが(そうしたいという気持ちはわからないでもないが、それでも)わたしには、なにか奇妙なものに見えたのだった。
彼にしてみれば、もちろん、立派な理由がありはしたのだろう。彼はドゥニーズを好いていた。理由としては、これで十分だ。しかし、好きな人に自国の硬貨を贈るなどというのは、侘しいことに思えないだろうか。わたしは彼を非難しているのではない。そうではなく、わたしはただ、彼に他のものを贈ってほしかったのだ。自国の硬貨などでなく、せめて、彼自身の硬貨とでも喩え得るものを、ドゥニーズへの贈り物としてほしかった。
時の流れという考えが、やがて、後になってわたしたちに四年経ったと告げる頃、ある春の日にドゥニーズは自ら生命を絶つことになり、その知らせを彼が知るのはその年の秋も終わる頃になるのだったが、今現在、この時点では、もちろん誰ひとりそのようなことを知る者はなく、予想する者さえ居りはしなかった。ドゥニーズとシルヴィは、彼が贈った硬貨の数枚を、撫でてみたり、その表裏の柄に目を凝らしたり、なにか些細な話題を見出しては小さな声で笑ったりしていた。彼はといえば、わたしに話しかけた後でふたたびドゥニーズのほうを向いて彼女たちの様子に気を配っており、わたしはわたしで、内心、シルヴィのことを考えながらも、礼拝堂の中の様々なものに目を移しつつ、礼拝の始まりを待っていたのだった。
……本当に、わたしは決して彼を非難しているのではない。彼の気持ちはよくわかっている。ああいう時の人の心の動きと実際の行動とのずれを、わたしはよく知っている。だが、わたしは、それでも、もしあの時、彼がなにか他のものをドゥニーズに渡してくれていたならば、と思わざるを得ないのだ。
とにかく、なにか他のもの。なんでもいい、とにかく、なにか他のもの。いつでもわたしたちは、こうなのだ。なにか他のものを贈っていたならば、ドゥニーズは、あらゆるドゥニーズたちは、生命を絶つことなどなく、いまだにわたしたちとともに居り、ますます深く通じ合えるようになっていたかもしれなかったのだ。

 礼拝が終わるとわたしたちはすぐに宿舎に戻り、できるかぎりの盛装をした。今夜は、今までとは違って、全員ちゃんとした服装で集まることになっていた。
旅行者であるわたしたちの場合、この旅行中の制服として定められていた青いジャケットと赤いネクタイ、ワイシャツ、薄青いスラックスなどを身につけるしか選択肢はなかったが、それでも、中には、ネクタイを違うものに替えたり、ワイシャツを色物に替えたりして、少しでも個性的な装いをしようとする者もいた。こういう時のために、わざわざ別のジャケットを持ってきていた洒落者もいた。わたしの場合は、制服を決まり通り身につけると、もう、なにもすることがなくなってしまった。しかたなく、髪ばかりを何度も梳かしつけた。手持ち無沙汰なので、ひとりで先に集会室へと向かった。

 時間まではまだ間があるので、わたしは集会室のまわりをぶらぶらと歩いた。
何人かが、出しっぱなしになっていたパッティングの道具を使って遊んでいた
グラウンドはもう薄闇に呑まれ、樹々はすでに色を失って、黒々と点在していた。
太陽が沈むところだった。
日没に集まった様々な色が空に散り、明るいオレンジのような太陽の、濃い輝きを映えさせていた。
グラウンドの隅や集会室の傍ら、木立の下などに深い闇が居すわり、それらの闇の間を弱い風が吹いていた。
 べつに、悲しくはない、とわたしは思ってみた。
冷たい水のような新しく若い夜空には、もう、星がいくつか輝き出ていた。
つい数時間前には、このグラウンドで皆がゲームに熱中していたんだ、という思いが浮かんだが、別段、なんという感慨も、それほどはっきりとは生まれなかった。
目の前に日没とグラウンドとがあって、闇が刻々とそれらを今日という日から消し去っていくということが、この数日来の出来事の思い出よりも、今のわたしには印象深かった。闇の中に沈んでいくこの緑の広がり、いや、昼の光の中では緑であった広がりが、非常に充実したものに成り変わっていくように感じられた。
この最後の晩を、皆から離れて、このグラウンドで、どこかの木の下にでも座って過ごそうか、とわたしは思った。遠くから最後の晩の賑わいをひとりで眺めることのほうが、よほどわたしにはふさわしい気がした。
人の集まるところでは、わたしはいつでも居たたまれない気持ちになる。集まりが終わった時、わたしはいつでも、時間を無駄にした、やはりひとりでいたほうがよかった、と悔やむのだ。
今夜はひとりでいるべきだろう。ひとりでいれば、わたしは充実していられる。新しい欲求も希望も生まれず、わたしは完全に充足していられる……
 だが、今晩は、わたしにはやるべきことがあるのだった。シルヴィという問題にどうにか決着をつける必要があった。彼女がやはりわたしを無視するか、それとも、あの時のつらい態度は一時の気まぐれに過ぎなかったのかを確かめねばならない。そのためには彼女にちょっとした交渉を仕掛けて、彼女の出方を見てみればいい。そうすれば、すべてが決まる。明日からは、せいせいとした気分になるに違いない。ふたたび、いつものわたしに戻れるに違いない。

 集会室に戻ると、もう、ほとんどの人が集まっていた。
わたしの目には、初めて見るような各人の装いのために、誰もが別人のように大人びて見えた。自分は皆の目にどう映っているだろう、あまりにも子供じみて見えてはいないだろうか、あるいは、ぎこちなく中途半端な大人ぶりを呈してしまってはいないだろうか、と不安になった。
しかし、その不安を自覚しながらも、わたしは思った。皆の目から見て、滑稽な格好をしていたとしても、それがどうだと言うのだ、そもそもわたしを注意深く見てくれるような誰かがいるとでもいうのか、と。滑稽な格好をしている人がいるといった程度の認識ではなく、他ならぬこのわたし、他の誰彼ではないこのわたしが、今日はどうも芳しからぬ格好をしている、と、そう認識してくれるような誰かがここにいるとでもいうのだろうか
シルヴィの顔が頭に一瞬浮かんだが、すぐに消えた。いいや、やはり、誰も居やしない。ある場を与えられるたびにいつも行う試み、わたしをわたしの独自性そのままに丸ごと受け入れてくれる新しい人を見つけるという試みは、今回も失敗したのだ。ここでは、わたしは、〈だれか〉以上の何者でもない。いちおう人間であり、頭数の上では必要とされてはいるものの、今ここにいるのは、べつに、このわたしではなくともかまわない。他の誰かでもいい。ここはわたしには無縁の場所なのだ。わたしは拒まれているわけではないが、わたしがここに居ようと居まいと、なにひとつ本質的なことは、ここでは変わらないのだ。
なにをしていいのかわからないので、わたしはしかたなく周囲を見まわす。見まわすというよりも、視線を通して、わたしという者の意味をあたりに拡散する。落ち着きなく、きょろきょろと見まわすことで、人は、無為のまま、つまり、――そう、なにもしないがためにこそ、わたしは見るのだ。それも、漠然と、とにかく時を費やし得るに足る程度に見る。
 ……好きあった相手と一時も離れることなく歓談している人々。今日が最後の晩だというので、しんみりとしているカップルもあった。娘たちは、正装のため、まさしく女性そのものへと成り変わり、彼女たちのつけているイヤリングの輝きや、きれいに整えた金髪の流れや、清楚であったり艶めいていたりもするドレスの着こなしがわたしの目路を流れ、あるところでは留まり、停滞し、ふたたび流れ去っていった。
そういう娘たちは、恋人に寄り添っていたり、たがいの装いについて感想を言いあったり、あるいは、部屋の隅で恋人とキスしたりしていた。
わたしはすぐに手持ち無沙汰になった。自分の傍らに誰もおらず、また、両手が空いていることがつらく思われた。今日の装いには合わないと考えて、置いてきたのだが、やはり、本かノートを携えてくるべきだったと悔やんだ。しかたなく、(わたしはいつも「しかたなく」なのだ)、ふたたび外へ出て、集会室の入口のところで、いかにも外気に当たりに来たかのような様子を装って、ダンスが始まるのを、いや、ダンスではなくとも、なにか、わたしの状態を変えてくれるものが起こるのを待つことにした。

 音楽が鳴り出しても、しばらくは、わたしは中へ入らなかった。ダンスは相手あってのものであるし、ダンスのたびにいちいち相手を求めるあの気苦労に、わたしはもう耐えられなくなっていた。今日は最後まで、まわりに並べられている椅子に座り続けて、友人たちの踊るのを見たり、この合宿中にあったことをいろいろと回想したりして過ごすつもりだった。そうしながら、一方でシルヴィの気持ちを知る方法をさぐり、シルヴィと個人的な一瞬を持てる機会を待つつもりだった。ちょっとでも気を緩めると、そういう考えがすぐに人に知れてしまうように感じられたので、わたしは注意深く心を戒めて、そっと集会室に踏み入った。
 ダンスの輪が音楽とともに廻っていた。入口の近くの椅子に腰を下ろそうとする時、誰かがわたしのほうに歩いてくるのに気づいた。外へ出るのだろうと思って、ダンスの輪のほうにぼんやりと目を開きながら、わたしは足を引いて通路を作った。
しかし、その人はわたしの前で立ち止まると、わたしの腕を突然掴み、引き上げた。
シルヴィではなかった。
あの娘だった。
またしても、彼女だった。
『そうだ、この人がいたんだ』と思った。
彼女は黒い艶やかなドレスを着ていて、肩には銀の紐が掛かっていた。殊のほか、華やいでいた。見違えるようだった。
彼女はなにも言わなかったが、今まで一体なにをしていたのかとなじるようにわたしを睨んで、すぐに踊りの中にわたしを引き込んだ。
その踊りはわたしの知らないものだったので、後ろや前の人たちの足の運びに注意して、せめては人の足を踏まないように、と気をつけた。
時おり、彼女の顔を見ると、目が合うたびに微笑んでくれたので、彼女のなじるようなさっきの眼差しを気にしていたわたしは、次第に楽な気持ちになった。
 なかなか長い踊りだったためか、それが終わると、彼女は「疲れたわ」と言って、椅子に腰を下した。次の踊りはやらないのかと聞くと、ちょっと休みたいという返事だった。
腰かけている彼女を、立ったまま、わたしは見ていた。
見事な装いだった。
奇麗だと言ってやるべきだろうか、と考えたが、数日前、シルヴィにもそう言ったことを思い出した。あの時、シルヴィは本当に美しかった。今でも、もちろん一番美しい、とわたしは思った。
この娘も、今夜はじつに美しい。
美しいというより、着こなしの点で見事だ。
着こなしのこの素晴らしさは、生活に密着した知恵の周到さの美しさのように思われ、そういう現実的な美しさの揺るぎない現われ方が、ともすれば、天上へ逃れて行ってもしまいそうなシルヴィの把握しづらい美しさとはまた異なった、充実した日常生活のものにも似た幸福感を、わたしに与えた。
「きれいだね」という言葉が喉まで出かかっており、その讃辞に嘘はなかったのだが、ふと、これもまた突然に、そのように言うことが、すべて、なにか非常に無駄なことなのだ、という思いが浮かんだ。
わたしは、出かかっていた言葉を呑み込んだ。永遠に呑み込んでしまった。
そうして、ただ黙って彼女の隣りに腰を下した。
一刹那、彼女の首筋に、流れあぐんだ小さな汗の玉が見えたが、その汗の輝きが、わたしの欲情をほのかに燃え立たせた。
その汗を吸いたいと思った。
首筋ばかりでなく、顔の全体にも、殊に、鼻や瞼にも、薄く万遍なく、汗とも油ともつかない膜が伸び輝いていた。胸元には薄く赤みがさし、ドレスの中を満たしているはずの娘の肉体の熱気がそこから洩れ出て、今にもわたしの鼻や口に、そして、胸の内へと達するだろうと思われた。
おそらく、ここに、手を出せば確かに物体として掴むことのできる現実的な幸福があった。ここに娘の体が確かにあり、息づいていて、汗ばんでいる。その汗がわたしの体を誘う。なにひとつ嘘はなく、幻はない。なぜわたしは掴まないのだろうか。
シルヴィ?
シルヴィにまだ未練があるのか?
シルヴィをこそ、このような実体として掴みたいというのか?
いや、そうではない。
少なくとも、それだけではない。
シルヴィとは謎なのだ。肉体としてや、女としてよりも、まず、シルヴィは謎としてある。
わたしはその謎を解かねばならない。それがわたしの為すべきことなのだ。シルヴィとは一体なんなのか。わたしにとって、シルヴィとはなにを意味するのか……
 次の踊りをわたしたちは見送った。踊りの輪が広がったり縮んだりして、音楽とともに廻っていくのを見ながら、「この次は踊るの?」と娘に尋ねた。彼女は首を横に振った。踊らない理由を聞こうと思ったが、面倒に感じられて、止めた。
 その踊りも終わると、彼女のところへ別の娘がひとり来て、わたしを連れていっていいかと聞いた。彼女は快諾した。娘が他に彼女にどう言ったのか、小声だったので全部はわからなかったが、「べつに、そんなに疲れているわけじゃないのよ」と言っていたのは聞こえた。それから、わたしのほうを向いて、「もちろん、あなた次第だけど。…でも、踊ってらっしゃいな」と、三日月のようにきっぱりと口を開いた微笑みを作って、言った。
わたしは踊りの輪に加わった。その晩の最初の踊りをわたしと踊ることだけが、彼女にとっては大切だったのだろうか、とわたしは考えた。
 はじめの踊りと違って、それ以後の踊りは、内まわりの女子の輪と外まわりの男子の輪が、曲の一節ごとに、それぞれ逆方向にまわりながら進行していくものだった。そのため、ひとつの曲の間でも、相手は次々と替わった。
何度目かの曲の時、いつの間に加わったのか、例の娘がわたしのところへ廻ってきたこともあった。もちろん、曲とともに踊りの一節が終わって、次の一節へと時間が移る時には、彼女とわたしの手は離れたのだが、この踊りの輪の中に両者が加わっているかぎりは、やがてまた近いうちに、わたしたちは手をとり合って同じ旋律の中で生きることができるに違いなかった。
一節が終わっては、また次の一節がはじまり、一曲が終わっては次の曲が続いた。踊りの輪のように、すべてが絶えず過ぎ去っては戻ってきた。腕時計の秒針のように、また、長針のように、ふと気づくとさっきの場に戻っているのだった。
だが、短針のように進んでいくものもあるのは確かだった。短針もまた、いずれは同じ場に戻ってくるはずなのだが、その時にはわたしはすでに異なった時間の中に生きていて、今ここにあるものは、なにひとつ、わたしに残されてはいないだろう。踊りはいつか終わる。あと何回か曲が替われば、それで終わりになる。そうしたら、今日という日も完全に終わる。すべてが終わってしまう。
旅行もやがて終わり、秋からは、ふたたび、朝の満員電車や午後の眠たい教室がわたしの日常となるだろう。せっかく脱け出してきた世界へ、わたしはふたたび戻らなければならない。行程が終わるとともに、出発点に戻らなければならない旅。先に行けば行くほど、かつてのしがらみに確実に戻っていく脱出。ふたたび戻らざるを得ない日本の、それもごく個人的な日常が、出発前と全く同じ姿でやがてわたしを包み込むのだと思うと、手相の重要な線の断切点を指摘されたような不快感に眩暈がするようだった。
日常はどこかしら変わってくれている必要があった。変化が日常の側にないのならば、こちらがそれに変化を与え得るものを持って帰らねばならなかった。どのようなものを持って帰ればいいのか。どのようにすればいいのか。
そういうことまでは、非日常の真っ只中にいる現在では、よく考えるわけにはいかなかった。現在のこの情景、この空気のすべてを、まず、強烈なさまのまま吸い尽す必要があるからだ。これらは、いずれ、日常を変えるためのエネルギーとなるだろう。思い出という蓄えは、耐えがたい日常に風穴を開けることができるからこそ、また、その場合にのみ意味があるのだ。
しかし、それでは足りない。それは消極的な自己防衛の手段に過ぎない。風穴ではなく、より大きな穴を開けて向こうへ這い出すためには、もっと強い手がかりが必要だ。その手がかりとは何なのか。どれを手がかりとすればいいか、今考えることはできないとしても、せめて、なにに目星をつけたらいいのか、わかりはしないだろうか。
 もうどれほど踊ったか知れないが、何回目かの曲が終わった時、ちょうどその時にわたしの相手になっていた女の子が、休むために輪から抜けた。ひとりではむろん踊り続けるわけにもいかず、他に適当な人も見つからなかったので、わたしも抜けて、近くの椅子に腰を下した。
椅子は、この集会室の四辺の内壁に沿って並べられていて、ちょうど、踊りの丸い輪を四角く取り囲むようなぐあいになっていたが、ふたたび音楽が鳴り出して輪が動き始めると、今まで見えなかった向かいの椅子の並びが、踊る人たちの動きの間から、ちらちらと見えるようになった。
そうした隙間のひとつにたまたま目を留めた時、わたしはそこにシルヴィの姿を見出した。

 長い間、わたしはシルヴィを意識し続けた。音楽は次々と替わり、踊りの輪は、わたしの前を、わたしとシルヴィの間を、すでに幾度廻ったか知れなかった。
その間、わたしは座り続けたままだったが、わたしにとって彼岸にもあたる向かいの椅子の並びにあって、シルヴィもまた、立ち上がる気配を見せなかった。踊っている人たちの動きの隙に彼女の姿が見え隠れすることや、室内がやや薄暗くなっていることもあって、シルヴィがどのような顔をしているかは、わたしのところからはわからなかった。そして、顔のさまを掴めない以上、彼女の心の状態など知る由もなかった。
「最後のダンスです。皆さん、いよいよ最後ですよ」
 声が上がると、ざわめきが起こった。近くにいた引率の教師がわたしに、「さあ、最後なんだから、きみも踊ったらどうだい?」と言った。 
 それに頷いて、わたしはようやく立ち上がった。壁づたいに歩いてシルヴィのところまで行った。
音楽が鳴り出し、崩れていた踊りの輪がかたちを取り直した。
シルヴィの前にわたしは立ち止った。
彼女は片手で顎を支えて、俯いていた。純白の服に赤いスカート、その上に黒い大きな前掛けをつけていたが、これは彼女の郷里の衣装であると見えた。
シルヴィは顔を上げた。わたしは彼女の目を求めた。
視線と視線がたがいに長い渦のように回転しながら、しっかりと絡み合って動きを止めた瞬間、たとえ一刹那であれ、わたしはシルヴィの時間を確かに掴みとめたと感じた。昨晩の就寝時の決意、今日という最後の日のために設けたわたしの目的が、すべて、この一瞬のうちに成就されたと感じられた。わたしがシルヴィの眼差しを捉えているばかりでなく、シルヴィもまたわたしの眼差しを捉えていた。
シルヴィは、この一瞬にあって、逃れようもなくわたしを見つめていた。
わたしは勝ったのだ。
シルヴィというこの謎は、もう、わたしから離れられないに違いなかった。この一瞬の彼女の眼差しを心に持ち続けるかぎり、シルヴィはわたしのものであり続けるに違いない。
わたしの心には余裕が生まれた。
すべては終わり、しかも、成功はわたしの手中にあった。
もう、後はどうなってもかまわない。
シルヴィがこれからどういう態度に出ようと、それらすべては座興ほどの意味も持たない。決定的な出来事はすでにつくり上げられてしまったのだ。
わたしは微笑みを浮かばせた。片手を差し伸べて、声をかけた。
「踊りませんか?」
 シルヴィは首を振って、その気がないことを示した。首を振るだけでは足りないと思ったのか、顎を支えていた手を離して、二三度軽く振った。
わたしは、静かに、なにも言わずに彼女の前を離れた。
体裁を保つために、近くにいた他の女の子にも声をかけてみたが、ここでもわたしは断られた。
「ごめんなさい。わたし、もう疲れちゃったの」
とその女の子は言い、心持ち、肩を持ち上げる素振りをした。
微笑んでそれに頷くと、わたしは向き直って、ふたたびシルヴィの前を通り、戸外へと出た。

 外は肌寒かった。薄雲が空を覆っているらしく、ところどころにしか星が見えなかった。
あたりを歩いてみると、敷き詰められた小石が足の下で音を立てた。その音が、聞こえてくる踊りの曲や部屋のざわめきなどとは、全く異質なものに感じられた。
 冷たい風がふいに立って、わたしの腕と体との間を静かにすり抜けて行った時、どことも知れぬ夜の街で、女性を抱きしめて街灯の下に立ち尽している自分の姿が、突然鮮やかに心の中に浮かび上がった。
厚い毛の外套の中にその女性とともに包まって、夜の寒さに耐えながら、わたしたちは長い接吻をしているのだった。
時おりちらつく街灯の焔が、寒さをいっそう募らせるようだった。夜気は湿りを次第に増し、まもなく冷たい雨か雪が降り出すかと思われた。雪ならばともかく、雨や霙が滲み透るのを防ぐことはできないだろうと考えながら、わたしは外套の濃紺の生地に時々目を走らせた。
わたしたち二人は、平らな石の敷き詰められた街路の上に立っていたが、そういう歩みやすい道を、まもなく、ひとり離れることになる、とわたしは予感しているようだった。
 幻はすぐに消えたが、集会室の向かいにある礼拝堂の前の階段に腰を下して、わたしは、この幻のイメージを何度も反芻した。
幻の中でわたしが抱いていた女性が、シルヴィでもなく、あの娘でもなく、これまで会った他のどんな女性たちとも違うことは確かだった。
その女性の顔をはっきりとは覚えていなかったが、現実に出会えばすぐにそれとわかるほどに、彼女の本質を掴み得てはいた。シルヴィのようにわたしにとって決定的ななにかを持つ新しい女性が、やがて現実に現われるかもしれない。そう考えることで、わたしは幻の反芻をやめた。
 後になってわたしは、この幻を、突然甦った前世の記憶の一端だと信じるようになった。幻の中の女性についてのわたしの神話は、崩れるどころか、より堅固になった。前世で結ばれていた間柄なら、たとえふたたび結ばれることがないとしても、現世でもなんらかの特別の関わりを持たざるを得ないに違いないと思われたからだった。



(第二十四声)

 うまくごまかしたようだな。
だが、おまえが実際はどんなに切ない心でベッドに入ったか、わたしにはよくわかっている。
時間が経つのは早いものだな。
夢に慰められることもなく、早くも次の朝が訪れ、この地を去る日がとうとうやってきてしまった。すべては終わり、決定的な出来事はすでにつくり上げられてしまったとおまえは語ったが、声よ、全くその通りだ。なにひとつ派手なかたちでは現われなかったが、愉しみも悲しみもすべて過ぎ去り、おまえたちと違って、わたしはもう、なにもこれといった経験はしないだろうし、時が流れゆくのを身を裂かれる思いで見守るほどの情熱も持たないことだろう。

 朝食と礼拝を終えると、同室の友人たちとともに、わたしはすぐに宿舎に戻って荷物の整理を始めた。
衣類を取りまとめ、ひとつひとつ丁寧に畳んでトランクに収め、さらに、自分なりに細心の注意を払って所持品の確認を終えると、わたしはトランクを閉じ、鍵をかけた。ついで、いくらか念を入れて制服の青いブレザーを身につけ、髪を整え、ティッシュペーパーで簡単に靴の埃を掃った。
そこまで終わってしまうと、わたしには他に、もう、これといった用事がなかったので、ひとたび鍵をかけたトランクをふたたび開き、その中を整理し直して時間を潰した。
同室者の大半は、手早く整えた荷物を持って、早々に部屋を出ていた。出発までの時間を、少しでも長くガールフレンドたちと過ごそうというのだった。
ひとりで宿舎に留まっていても仕方がないので、わたしも出発の三十分前頃には外へ出て、皆が集まっている女子宿舎の前まで荷物を持って行った。

 サイン帳が手から手へ渡ったり、握手をしてまわる人たちが立てる声や、親しくなった人たちが取り交わす会話などで、これまでになくざわめいているところへ来てみると、予想はしていたものの、自分がこの喧噪とはあまりに縁のない人間なのが、痛いほどに感じられた。
しばらく、この喧噪の中に留まっていたが、ひとりだけサインも頼まれなければ、握手も歓談も求められない気まずさに居たたまれなくなって、そこを離れ、場を移した。
 わたしが外へ出た頃には、すでにバスは来ていたようだったが、出発を潔く受け入れる気配は人々の間にはまるでなかった。
予定されていた出発の時間が過ぎた。
十時半をまわった頃、これ以上はもう遅れるわけにはいかないと言われて、ようやく皆、バスに乗り込むことになった。
わたしのように、これといった新しい確かな交流に恵まれなかった者は、それぞれの感慨を心には持ちつつも、言われるまま、すみやかにバスの中に入って腰を下したが、この合宿中になんらかの幸せに恵まれた人たちは、最後の抱擁やキスに忙しかった。
わたしは、ただただ時間がはやく経ってくれるのを望みながら、彼らが自ずと大仰に演じる別離のさまを見続けた。
イギリスの女の子が数人、わめきこそしないが、時おり短い袖で顔を拭いつつ、頬に赤い筋ができるほどに涙を流して、恋人にハンカチを振っていた。すっかりしょげ返って俯いている者や、目を押さえてバスから遠ざかっていく者もあった。それとは一見対照的に、タイヤに足をかけてバスの窓のところまでよじ登り、大声で誰かに話しかけては笑う、賑やかな娘もいた。
バスの中では、誰もが、一時も笑顔を絶やすことなく、別れの場を盛り上げようとしていた。
わたしとて、それに抗ったわけではない。今日ここで別れていく人たちとは、おそらく、たがいに二度と会うことはできないだろうし、もし誰かと会うことができるとしても、この十日間のような条件の元に会うわけにはいくまい。誰もがそう思っていたはずだった。
 バスには乗ったものの、ほとんどの者がなかなか座ろうとせず、窓にもたれて手を振ったり、頷いたり、ウィンクしたりしていた。発車する際に危険だから、各自自分の座席につくように、とたびたび注意がなされたが、それに従う者は少なかった。
バスを取り巻いていたイギリス人たちが、やがて、急に数歩退くのが見えた。エンジンが響きを立てて、発射時のあの最初の大きな振動に、うしろ髪を引かれたように席に押しつけられた時、バスがとうとう動き出したのだとわかった。「ああ、……」という声が口々に上がり、どよめきとなった。手を振っていた人たちは、痙攣したように、いっそう激しく手を振った。掌がガラスに擦れて、叫び声のような音を立てた。
手こそ振らなかったが、わたしも立ち上がって後ろを見た。道路いっぱいに広がって、手やハンカチを振っている人たちの姿は、すでに遠かった。
そういうさまを目路に収めながら、他の人たちに対して、わたしは内心、優越感に似たものを抱いた。今頃になってまで、未練がましく手を振り続けて嘆く人たちとは、わたしは明らかに異なっているはずだった。
昨晩のあの成功をわたしは信じていた。すべてはきっぱりと終わったと信じていた。わたしの心を引き留めるようなものは、もう、なにひとつ残ってはいないはずだった。

遠ざかっていく路上で、誰かが、両手を大きく振りながら、何度も飛び跳ねているのが目にとまった。
と同時に、予想だにしなかったことが内部に生じた。
ふいに、わたしは思い出したのだ。
昨日の日中、住所と名前を書いて渡してくれるようにと、あの娘に頼まれたにもかかわらず、それをわたしはすっかり忘れていたのだった。
ああ、……と、さっきの皆の嘆声に遅れて、わたしはひとりで声を洩らした。
なにかがわたしの中で崩折れていくようだった。娘の昨日のいろいろな仕草や微笑みがいっぺんにわたしの中のどこかから湧きあがって、口や目から溢れ出るようだった。
彼女が来ないからいけないんだ、とわたしは考えた。
しかし、わたしたちと同じように今日ここを去って、家へ帰り、明日からまた働くのだと娘が言っていたのを思い出して、ひょっとしたら、皆がバスのところに集まっていた時、彼女は荷物の整理でもしていたのかもしれないと思った。皆から離れてぼんやり座ってなどいないで、あの時、彼女を探すべきだったのだ、と思った。

路上の人たちの姿はどんどん小さくなっていった。
もう、どうにもならなかった。
他になにか忘れたことがありはしないかと思い、記憶を探った。シルヴィのことが思われた。なにかの縁で、シルヴィとはふたたびなんらかの交流を持ち得るような気がした。しかし、シルヴィの名に伴って、粉をはたいたような白い墓標が頭に浮かんだので、今度会う時には、彼女は墓の下に横たわっているのではないかと思った。
きっと、そうに違いない。わたしの手を永遠にくり返し擦り抜けていくのが、彼女のわたしに対する関係であるに違いない。
しかし、どうして白い墓標がふいに浮かんだのか、わたしにはわからなかった。しかも、それはひどく懐かしい思いをわたしに抱かせたのだ。
しかたなく、〈墓〉という絶対の交流不可の状態を思うことによって、わたしの内奥がシルヴィをどうにか思い切ろうとしているのだろう、と考えることにした。わたしは無理にもシルヴィの心象を心のどこかへ押し込み、それとどう関係があるとも知れぬ白い墓標の心象をもかろうじて捨て去って、『いいんだ、シルヴィのことは終わったんだ。決着がついたんだ』と自分に呟いた。
しかし、そう呟いてみると、実際にはなんの決着もついていないことが判然としたように感じられた。シルヴィにもあの娘にも住所を聞かなかったし、娘には名前さえ確認しなかった。なにひとつ、じつは決着がついておらず、しかも、もはや決着のつけようもないのだった。
後ろの窓からはもうなにも見えなかった。バスは角を曲がり、見えるのは、次々流れていく道と、その両側の森と、時おり枝々の間に開ける空だけだった。
みんな自分の席に着き、無言で、流れる外を眺めたり、もの思いに沈んだりしていた。
わたしたちは、オックスフォードを周って数日後にロンドンに戻ってくることになっていたが、すでに何人かは、そのロンドンで与えられる自由時間を利用して、ウィンクフィールドをもう一度訪れる計画を立てていた。
わたしの場合は、ふたたび合宿所を訪れたからといってどうなるわけでもなかった。あの娘は今日発ってしまうのだし、シルヴィにしても、再会したところでどうにもなるまいと思われた。そう思うと、いっそう悔やまれてならなかった。
ある曲がり角でバスが速度を落とした時、そこに立っていた標識にWinkfieldという字を見出したように思って、とっさにわたしは、膝の上に乗せていたカメラを手に取ってシャッターを押した。その字を写真に撮ることによって、なにか悔いを少しでも晴らせるように感じたからだった。
しかし、わたしは誤っていた。そんなことをしても心が晴れることはなかったし、その上、これは日本に帰ってフィルムを現像してからわかったことだが、標識にはWinkfieldなどとは書かれていなかった。写真屋からたくさん袋を抱えて帰ってきて、机に広げて見ていくうちに見出した一枚の写真には、Windsorまで何キロと書かれた標識が写っていた。
だが、その写真は、あの時とっさに写したにしては、驚くほど鮮明に、いくらのブレもなく被写体を捉えていた。わたしの写真を見る人は、家族でも友人でも、誰ひとりこの一枚に注目することはなかったが、それでもわたしは長い間、この写真を見るたびに、よくこんなにもうまくはっきりと撮れたものだと、ひとりで感心していたものだった。



(第二十五声)

 ……こうして、すべてが始まったのだった。
先行した声よ、わたしとおまえの間には深い隔たりがある。
その終わりにあたっているとはいえ、おまえはひとつの物語の中におり、わたしは永遠にその外にある。
やがてシルヴィに手紙を書いて、彼女がどうしてあのプール脇の小道でわたしに冷たい素振りをしたのか、その理由を訊ねようと決意するまでの間、わたしは、物語から放逐された作中人物さながら、わたしを受け入れてくれる新たな物語を心のうちで求めながら、与えられた時間、与えられた場所の中を彷徨っていたものだった。
帰国して、残り少ない夏休みを家で過ごさねばならなくなってからも、わたしは猶も漂泊を続けていたということができるだろう。家に着いた日の翌日から、ふたたび日常の生活を始めなければならなかったが、高校生であるわたしにとって、その日常とは、まず、とにかく済ましてしまわなければならない夏休みの宿題というかたちで訪れた。積極的に日常に戻るつもりならば、なによりもこの宿題にまず手をつけるべきだっただろう。
だが、わたしはなかなかそれに手をつけなかった。すでに物語は終わってしまっていたにもかかわらず、わたしは日常の中へと拡散していくことを拒んで、失われた物語の内へと、どうにか舞い戻ろうとしていたのだった。戻ることが不可能だとしても、これ以上あの出来事の時点から離れないために、せめて、川の流れの中に立ち留まる杭のように、時の流れに抗して留まっていようと努めた。なにひとつ手につかなくなり、ぼんやりとして時を過ごすことが多くなった。
 八月も終わりに近いある日、わたしはいよいよ翌日から宿題に取り掛かることを決めた。感想文を書くためにある本が必要だったので、午後、家からやや離れた大きな書店へと自転車で向かった。
必要な本を買い終えると、書店でいつもそうするように、並んでいる本をあれこれと見てまわった。
文学書のところへ来た時、わたしはたまたま、何十もの巻より成る世界文学集のうちの一冊、〈名作集〉という巻を手に取った。
〈名作集〉という題から、この本がいくつかの短編や中編によって構成されていることが予想されたが、その頃のいささか自失した状態から脱け出すためには、比較的短い小説をいくつか読んでみることもよいかもしれないと思ったため、手に取ってみたのだった。
目次を開けると、真ん中に『ドリアン・グレイの画像』とあるのが、すぐに目に入った。その他に八つほどの小説が収められているのを漠然と確かめて、わたしは目次を閉じようとした。
が、その時、なにか、頭の奥にまで突き通るような文字を見た、と感じた。
ふたたび目次を開き、その個所を見た。
そこには『シルヴィ』という小説の題名が印刷されていた。
まわりの空気が音もなく一変したかのようだった。それまでわたしを自失させていた霧のような何かの一部が突然晴れ渡って、わたしの外見とわたし自身との間に道が開けたかのようだった。
字に合わせて、わたしは、シ、ル、ヴィ、とゆっくり発音してみた。その刹那には、これが、十数日前までわたしを悩ませ続けた娘の名と同じものかどうか、はっきりとはわからなかった。というのも、それまでの間、わたしは、じつのところ、彼女の名を「シルビー」と発音し続けていて、日本語で表記する場合でも、やはり、「シルビー」以外に書きようがないだろうと漠然と思ってもいたからだった。
だが、わたしは彼女から貰ったサインの綴りを覚えていた。確か、Sylvieと書かれていたはずだった。
わたしは本の中に小説の原題を探った。そして、作品のお終いのところ、
「お気の毒なアドリエンヌ!あの人は聖S……の尼僧院でなくなったのよ……一八三二年頃に」
という、この作中人物のシルヴィの言葉の後に、〈原題 SYLVIE. Souvenirs du Valois〉と書かれているのを見つけた。わたしはこの本を買うことに決めた。

 その頃のわたしは外国文学を読むこともほとんどなく、ネルヴァルも知らなければ、『シルヴィ』という作品の存在も知らなかった。本にはネルヴァルの肖像が出ていたが、彼の禿げあがった頭や、満月のように丸いいささか滑稽な顔が、ひどく生まじめな面持ちを表わしているのを見ると、正直なところ、わたしはいくらか幻滅を感じた。こんな男に勝手にシルヴィという名を使われては堪らないと思った
彼の作品もまた、わたしには馴染みにくく感じられた。見た目にはそれほど奇抜な方法を取っているわけでもなく、どちらかといえば、読み進みやすく書かれていると思われたが、最後まで読み終わった後で、統一したイメージを頭の中で纏めようとすると、どうしてもそれができないのだった。これは、後にウンベルト・エーコがハーヴァード大学ノートン詩学講義で分析することになる『シルヴィ』の構造性と小説的達成に、まだ近代小説における実験の進化過程に馴染み切れないでいた高校生のわたしが振りまわされたためだが、それと同時に、この時のわたしの身勝手で放縦な読み方にも問題があったに違いない。
作品の中にシルヴィという名が出てくるたびに、わたしは、いまだウィンクフィールドにいるはずのシルヴィを思い出して、わたしのそのシルヴィの姿で作中のシルヴィという名を満たそうとし、ネルヴァルが描いた物語とイメージの展開のしかたに絶えず否を唱え続けていたのだった。
ネルヴァルの名作はわたしにとってはひとつの資料であり、止めようもなく流れ去るわたし自身の物語への見込み薄い回帰の祈りであるに過ぎなかった。そしてまた、ウィンクフィールドでの出来事も、いまやそれが完全に終わってしまっている以上は、もはや同様にひとつの資料であり、また、祈りに畳みかける数知れぬ形容句に過ぎない、というべきだった。
 ロンドンでの丸一日の自由時間に、どうしてウィンクフィールドを訪れなかったのか、とわたしは何度も悔やんだ。合宿中の生活を、閉ざされたひとつの物語として過去に流してしまわずに、それを生かしつつ、そこから出て新しい物語を作るためには、あのロンドンでの自由時間こそが最後の機会だったからだ。
何人かがウィンクフィールドでふたたび楽しい時間を過ごしている頃、わたしは、昼食として裏町で食べたサンドイッチにあたって激しい腹痛に苦しみながら、大英博物館の構内のベンチに三時間ほど座って休息を取っていた。着飾ったインド人夫婦がわたしの横に座って、自分の子供たちに博物館のパンフレットを示していろいろ説明しているのを見続けながら、これ以外はどうしようもないんだ、とわたしは強いて思おうとしていた。ウィンクフィールドに戻ることをせず、たとえ一日とはいえ、ロンドンという新鮮な空間の中へ入って行くこと、自らそちらのほうを選ぶこと、これ以外には為しようはないんだ、と思ってみるのだった。
だから、その翌日、ヒースロー空港で、荷物を調べていた初老の係員に「イギリスは楽しかったですか?」と聞かれた時にも、わたしはすかざす、「ええ、とっても」と答えたものだった。
「日本人ですか?」という彼の問いに、「そうです」と言うと、係員は、「わたしはイギリス人ではないんです。ハンガリー人なんです」と言った。「ああ、そうですか」と頷いて、彼の仕事が終わるのを待った。彼はスーツケースを詰め直しながら、「旅行に悔いはなかったですか?」と、微笑みながら、荷物から顔を上げて聞いてきた。「いい旅行でした」ととっさに答えたが、わたしにしてみれば、それ以外に言いようがないのだった。
すべて終わって、わたしに荷物を渡す時、ぶ厚い眼鏡の奥からわたしを見つめながら、
「わたしはハンガリー人なんです」
とふたたび彼は言った。
「わたしはハンガリーの人間です。ハンガリーを知っていますか?ハンガリーで何があったか、知っていますか?わたしの言うことがわかりますか?」
わたしは何度も頷いて、
「わかります。ハンガリーも知っています」
と言いながら荷物を受け取ると、それっきり、彼に背を向けて離れた。
飛行機の座席に着いてから、「わたしの言うことがわかりますか?」という係員の言葉は、彼の英語をわたしが理解できるかどうかという意味ではなく、なぜ彼があのように、自分がハンガリー人だとわたしに言うかわかるか、という意味だったに違いないと思った。
漠然としか知らないことだったが、わたしは歴史の本で見たハンガリー動乱のことを思い出した。彼は、そのことに端を発する自分というひとつの独特の運命の現状を、わたしに仄めかそうとしたのではなかったか。
後になって、古代に存在したというある大陸で、さまざまな国が入り乱れて戦い合ったことを語る、その大陸で前世を生きたと自称する奇妙な青年と友人になっていろいろ語り合う機会を持った時、わたしはよく、この時の空港の税関吏のことを思い出したものだった。そして、それにあわせて、この時の旅行のあれこれをもいっしょに思い出すにつけて、後のわたしが持つようになる考え方や感じ方や行動の仕方の萌芽の多くが、すでにそこに見出されるように思ったものだった。

九月に学校が始まって間もなく、ウィンクフィールドの礼拝堂でドゥニーズに硬貨を贈ったあの友人が、たまたまシルヴィから住所を聞き出してメモを取っていたことを知り、その住所を教えてもらって、わたしはすぐシルヴィに最初の手紙を出すことになるのだが、そんなふうにして、わたしがシルヴィとの長い長い文通を始めることになる日の数日前、八月の最後の日、新たな展開が待ち構えているなどとは知るよしもないわたしは、夏休みもついに終わり、明日からいよいよ、否応もなく、逃れようもない本当の日常が始まることを思いながら、すでに秋の領域に空気が浸され始めていたとはいえ、まだまだ暑い、茹だるような日中を、北向きの部屋の風通しのよいところに寝転んで過ごしていた。
というのも、わたしはあいかわらず夢想の中に生きていて、手を付けたとはいうものの宿題は一向に捗らず、知らぬ間に机に肘をついてぼんやりし始めるので、日中はむしろ、寝転んで夢想に浸り切っていたほうがむしろ得策だろう、浸るだけ浸れば、この自失状態からも存外はやく脱け出せるかもしれないと考えるに到ったのだった。
わたしは開かれた窓の下に頭を置いて、横になっていた。長い間、目を瞑って横向きになっていたが、向きを変えて、仰向けになった。
それまで畳に接していた片方の腕や脇腹のあたりを団扇で仰ぎながら、ふと空のほうに目をやると、真っ青な空に小さな白い雲が浮いているのが見えた。
その白い雲を見ながら、わたしは、印象深かったイギリスの甘い薄紫色の雲を思い出した。
そして、それに続いて、あるいは、それとほとんど同時に、気づいたことがあった。
それは、ウィンクフィールドの空に浮いていた薄紫色のあの雲が、どこかから幻のように出てきて、また幻のように消えていくというのではなく、今、まさに今現在、横になっているわたしのちょうど頬のあたりに、確かに、まったく物質的に存在しているということだった。
それはわたしの額の外に、額とぎりぎりのあたりに、やや耳寄りのところに、宙に飛んだ大きな水の球のようにどろどろと絶えず流動していて、ちょうど、どこかで聞きかじったあの太陽の話、太陽における水素とヘリウムの交代のように、外側の部分と内側の部分との交代をくり返しながら浮かんでいた。目にはそのように見えるわけではないが、そのように浮かんでいるさまがはっきりと感じられた。
そしてわたしは、今さっき、イギリスの雲を思い出した時、あれはじつは、思い出したのではなく、このようにあの風景が存在し続けていることに、わたしの側で気づいたということだったのだ、と思い到った。
さまざまな他の風景や情景、たとえば、あの最初の晩に手を差し伸べた時のあの娘の顔や、食堂でわたしに「ごめんなさいね」と言った時のシルヴィの微笑んだ顔、あるいは落ちてくるバレーボール、沈む陽、「わたしはハンガリーの人間です」という低められた声、日本語の詩集を見てはしゃぐイギリス人たち、見送りの中で何度も飛び上がって手を振っている人、アーサー王の円卓、「どうしてこの人にはまわさないの?」、「いいの、彼はしないでいいの」、最後の晩に差し伸べたわたしの手の微かな震え、いくつかの日本語を教わってわたしから離れて行った萌黄の服を着た娘、通り抜ける風、俯いて編み物をするシルヴィの背の服の皺、走り出したバスのはじめの振動、……それらを、思いつくかぎりのそれらのすべてを、わたしは次々と確かめてみた。
だが、いくつかを除いて、それらは、薄紫の雲のように現実性に満ちて甦ってくることはなかった。それなりの真実味はあるにはあったが、まさに今存在している、今現在起こっているといった迫真性はなかった。いわば、せいぜいのところが、思い出の真実味しか得られないのだった。
ある過去が、現在もそのまま存在し続けているということに気づいたりすることができるためには、その過去にとってのなんらかの条件の整うことが必要であるに違いない、とわたしは考えた。薄紫の雲と、その後確かめたいくつかの情景の場合、きっとそうした条件が整ったに違いなかった。それがどのようなものかはわからなかったが、わたしのほうで意識的に整えることのできるものではないのは確かなようだった。
わたしは、ふたたび、薄紫の雲を見続けた。こちらから用意することができないのならば、こちらの都合に関係なく消えてしまうだろうと思われたので、できるだけよく、この現実に浸っておこうとした。
雲は、よく晴れてはいるが、やや霞がかった空に浮いて流れている。その空は、ごく薄くだが、やはりいくらか紫がかっていて、総じて青紫の印象がある。
目を下げると、空の低いところに、これもまた薄紫がかった長い雲が、いくつも群れのようになって流れている。
微風がある。
もっと目を下げると、眼界に広い緑のウラウンドがひらける。
あまり人はいないようだ。
これは何時だろう。
わたしはどこにいるのだろう。
わかった。
クレイジー・パッティングをやった時だ。
多くの人たちがあの時、合宿所から出て外へ行っていた。わたしは手持ち無沙汰の時間を潰すために、友人とパッティングをやったのだった。
それが終わって、わたしは今、芝生の上に横たわっている。
あの時にはそれほどには感じなかったが、今見ると、イギリスの夏の空と雲はじつに美しい。しかも、心を和ませてくれる。

このようにふたたび当時の現実を生きながら、なにひとつ失われることはないのだ、とわたしは気づいた。
時は流れる、という考えには誤りがある。なにひとつ流れ去りはしない。ある状態が消えて、新しい状態に変わるのでなく、むしろ、ある状態しかなかったところに、新しい状態が加わるのだ。人間の感覚には、次々生まれるその新しい状態にのみ感応していく能力しかない。古い状態は消えたのでも失われたのでもないが、人間の感覚がそれらを、消えたもの、失われたものと捉えることによって、この世の中が成立している。逆に言えば、人間がそのように感じることによってのみ、かろうじて成り立ち得るのが、この世の性質であるに違いない。
ほとんど、一瞬のうちにこういったことを考えめぐらして、ふと気づくと、半袖の薄着で寝転んでいるのには、やや肌寒くなってきているのがわかった。見る見るうちに空が雲に覆われ、冷たい風が、強くあたりを払うようになった。
それでもしばらくは目を瞑って、芝生の上に横になっていたが、やがて、さっき一緒にパッティングをやった友の、
「おい、こりゃ、雨になるよ」
という声が聞こえた。
見ると、今にも降り出しそうな気配になっていた。
わたしは立ち上がって、宿舎に向かって友人とともに急いで歩いた。
途中でぽつぽつと雨滴が体を打ち始めた。走って宿舎の玄関に入り、風にあおられてカーテンのように踊る雨脚を入口からしばらく眺めていたが、そうしながら、今、芝生に横たわっていた時、暑い夏の日中に自分の家で、やはり寝転がっている情景を、まさに現実そのものとして生きていたのを思い出した。
まさに現実そのものとしてそれを生きていた以上、わたしはあの時、同時にふたつの異なった現実を生きていたということになる。
同時にふたつの異なった現実……?
本当だろうか?
ちょっと、……いや、全く違うのではないか?
待てよ、わたしは今、いったいどこにいるのだろう?
ウィンクフィールドの宿舎?
いや、違う。
しかし、雨に追われて駆け込んだのだ、ウィンクフィールドの宿舎だ。
――違う、そうではない。
しかし、確かに雨は降っていた。
激しい雨だった。
強い風が、時々、わたしの顔に横ざまに雨をしぶかせた。
到着した時には、わたしはびしょ濡れだった。
到着した時?
どこに?
宿舎ではない。
わたしは友人とともに、――いや、友人ではない。
では、誰とともに?
合宿所の中の舗装された道を走って、――いや、舗装された道ではない。
空は雲に覆われていた。
その通りだ、低く、重く、雲は垂れ込め、強い風を受けて、次々と空を走って行った。
嵐のようだった。
長い嵐だった。
頭の先から足の先までずぶ濡れになって、わたしは嵐の田舎道を歩いていたのだった。
その道の傍らで、裸の青ざめたひとりの娘を見つけた。
赤革の鞄をそこに残した。
裸の娘を抱きかかえて、道を急いだ。
白い医院に向かった。
裸のまま雨に打たれている娘が、わたしの腕の中でどんどん縮んでいった。
医院に娘とともに到着した時には、彼女は乳飲み子ほどに縮んでしまっていた。
開いていた医院の入口から入った。
暗い廊下を駆けた。
診察室に駆け込んで、医師に娘を手渡した。
看護師がわたしの肩に手を置いて、わたしを廊下へ連れ出した。
彼女は後ろ手に扉を閉めた。
わたしは、すぐそこにあった長椅子に座った。
わたしの額に手をあてて、顔をしかめると、看護師はどこかへ行ってしまった。
わたしは、……そうだ、わたしは医院の廊下の長椅子に座っているのだ。
座り続けたままだった。
長い間どうしていたのだろう?
居眠りしていたのかもしれない。
まだ熱がある。
だが、疲れはだいぶ取れたようだ。
平常ではなくても、さっきよりは熱もかなり下がったらしい。

立ち上がってみると、少しふらふらしたが、十分歩けるので、わたしは診察室に近づいて、ドアのノブを握ろうとした。
が、思い直して、やめた。
きっと、わたしが眠っている間に、ほとんど乳児といってよいほどに小さくなっていたあの娘は、息絶えてしまったに違いない。そう思われたからだった。
居眠りとはいっても、なにかずいぶんと長いこと眠ったように感じられた。
すでに、娘は遺体安置室にでも移されているのではないか、とわたしは思った。
たとえ、すでに死体となってしまっていたとしても、医師や看護師がいないところで彼女に会ってみたいと思い、わたしは向きを変えて、廊下を壁づたいに歩き出した。
少し行くと、地下へ降りる階段があった。そのあたりの壁を掌で撫でてみるうち、ちょうど手にひとつスィッチが触れたので、それを押してみると、階段の上に月明かりほどの光量の電灯が点いた。
階段を下まで降りていくと、扉がひとつあり、その表には「特別室」と書かれていた。
遺体安置室に違いない、とわたしは思った。
扉のまわりを探したが、この部屋の明かりのスイッチらしいものは見当たらなかった。
しかたなく、わたしは把手に手を掛けた。
開いてみれば、階段の明かりでも、どうにか中が見渡せぬものでもなかろう、と考えた。
把手を廻し、わたしは一気に扉を開いた。
すると、――光。
……なにが起こったのか、わからなかった。
光。
光。
たゞだゞ、光がそこには満ち来たっており、最初の一刹那には、それが長方形の白い壁のように見え、次にはその壁が、じつは微細な光の粒のようなものの集まりと見え、その粒のひとつひとつが尾を引いて、途方もない速度でわたしのほうへ、まるで、向こうから膨らんでくる巨大な風船の表面のように押し寄せて来るところだった。
予期しなかった、この途轍もない激しい光の怒涛に、わたしは目を瞠った。
そして、……

「気がつきましたか?」
 その声のほうを向くと、看護師が窓の傍らに立って、一方のカーテンに手を掛けながら、顔だけこちらに向けているのが見えた。
 看護師はすぐに向き直ってカーテンを束ねて結わえると、わたしのほうへやってきた。もう一方のカーテンもすでに結わえられており、広い窓は全開されていた。長い間は見ていられないほど眩しい空が、その向こうに広がっていた。その空の輝きに満たされているこの部屋は、どうやら病室で、わたしはといえば、ベッドに寝かされているらしかった。
「ひさしぶりの上天気ですわ。一昨日の夜、長く続いていたあの雨が止んで、今日、ようやく雲がすっかり消えました。あなたは三日間も眠っていらしたんです。でも、いい日にお目覚めになりましたね」
 看護師がそう言って軽く笑うのを聞いて、もう、今ではいちいち思い出すこともできないが、これまで起こっていたことはすべて夢だったのだろうか、とわたしは考えた。
「娘は、あの娘は、――いや、シルヴィだ、シルヴィはどうしました?助かりましたか?それとも、あれも夢ですか?」
「夢?きっと、なにか夢を見ていらしたんですね。長い間眠ってらしたんですものね。あの赤ちゃんはシルヴィっていうんですか?あの子なら、大丈夫、助かりましたよ。元気になりました。心配なさらなくて大丈夫です」
 それを聞いて、ひと先ず、わたしはホッとした。が、同時に、そうなると、一体どこまでが現実で、どこまでが夢だったのだろう、と不安になった。ひどく心許無い気がした。その上、今の看護師の言った「赤ちゃん」という言葉が、懐中に投じておいた鋭い針のように気にかかった。
「シルヴィは赤ちゃんじゃありませんよ。わたしと同年代の娘です。いや、女性と言うべきかな。とにかく、ちゃんと成長した体を持った女性だったんです。ところが、ここに連れてくる間に、どうしてかわからないのですけれど、どんどん縮んでしまったんです」
 やや慌てた口調で一気にそう言うと、他になにをどう言えばよいか考えるために、いったん口を閉ざして、看護師を見つめた。
 看護師は軽く驚きを表わすと、微笑みながら、ベッドの端に軽く凭れて、
「どういう経緯があったのかわかりませんが、現在のところは、あれは、――失礼、あの人は、確かに赤ちゃんですわ。……きっと、長いこと雨の中を歩いていらしたんで、頭の中で幻想を作り出してしまったんでしょう。あれだけ熱があったんですもの。……ただ、あの雨の中で、赤ちゃんを裸のまま連れてらしたのは、今思えば、ちょっと妙なことでしたわね」
「そうです。それですよ」
 とわたしは少し強い声で言った。
「裸のまま倒れていたんです。ポプラの並木の道の傍らに。裸でですよ。見つけた時には、もう青ざめていて、死んでしまっているのかと思ったほどでした……」
 看護師は微笑み続けていた。わたしの顔のあちらこちらに、おそらく、目と口に代わる代わる瞳を移しながら、ゆっくりとくり返し頷いた。
その瞳を見つめながら、目の美しい人だ、とわたしは思った。目ばかりでなく、顔立ちも、白衣の上から見てとれる体の線も美しい人だ、ということに気がついた。首のあたりで切り揃えた彼女の髪に、殊に、わたしはしばらく注意を惹かれていたが、その髪は、次第にわたしのところへと近づいて来た。そして、それが項を滑って揺れたと見えた時には、彼女の額はわたしの額に上から合わせられていた。
すぐ目の前に降りて来ている耳に向かって、小声で、
「妙な体温の測り方ですね」
と呟くと、彼女は掌をわたしの胸元に置いて、なにかの合図でもするように、指先で鎖骨をやさしく叩いた。やがて、その指先の数本が喉へゆっくりと滑り、顎まで辿りついて止まった。なにかに逡巡でもするように、指たちはしばらくそこに留まって息づいていたが、やがて、それらはわたしを離れ、彼女も体を起こした。
「……もう大丈夫です。すっかり熱も引きました。脈も正常です。肺のほうは異常はないようです。食べることもできるはずですから、今、食事を運んできましょう」
 そう言って、何事もなかったかのように、看護師はベッドから離れようとした。
「ちょっと、待って」
 わたしは彼女を引き留めた。が、言おうとしたことの内容が親密なものに過ぎるような気がして、口ごもった。
「いや、べつにいいんです。ちょっと、……」
 と言うと、
「ちょっと?なんですか?」
 と彼女はわたしの言葉を追った。思いのほか、彼女が真剣にこちらを見つめているので、しかたなく、
「いや、本当になんでもないんです。ただ、どうして、さっき、あんな冗談をあなたがしたのか、と思って、……ほら、あの、額で体温を測るような……」
 すると彼女は、
「冗談ではなかったんです」
 と流れるように言った。
「どこかであなたにお会いしたような気がしたものですから。それに、あなたと、……とにかく、わたし、……そんな、冗談などではなかったんです。でも、奥様がいらっしゃる以上は……」
「奥様って、……誰の奥さんです?どういうことです?」
 わたしは驚いて訊ねた。結婚していないわたしにとっては、この言葉はどういう意味も持ち得ないはずだったが、この時は、自分が忘れていた自分自身の過去を他人に抉り出されでもしたように感じた。
「あ、そうでしたわね。まだお話していませんでしたわね。女の方がお待ちになっていらっしゃるんです。今、外にいらっしゃいますわ。病室へどうぞ、って何度もお勧めしたのですけれど、外で会いたいからとおっしゃって、どうしても中へはお入りになりませんの。あの方、奥様だとお見受けしたのですけれど、違いますかしら?」
「いや、わたしは結婚していないんです。妻なんかいませんよ。他の患者さんか誰かの……」
「でも、今、この病院にいらっしゃる患者さんはあなただけです。他には、院長とわたしと、それから、あの赤ちゃんがいるだけですから、間違いありませんわ」
 看護師は、それでは、その女性はわたしの恋人ではないか、と、やや悪戯っぽい目で聞いてきたが、わたしは、それも即座に否定した。妻も恋人も友人も、わたしにはいなかった。男女を問わず、昔はたくさんの知己があったが、長い間の不通が、そのすべてをわたしから奪い去ってしまっていた。旅に出る頃、わたしは自分の感情や考えを表に表わすことの無意義を嫌って、ものを言う機会が少しでも失われるのを望んでいたものだったが、今から思うと、わたしの望みは、旅の道程でいつの間にか実現されていたのだった。
 やがて看護師は、朝食を運んでくると、わたしをベッドからやや離れたところにある小さなテーブルに着かせた。彼女が朝食を取りに行っている間に、わたしはベッドを下り、寝巻を脱いで、きれいに洗濯され、よく乾かされてあったわたしの衣服を身につけておいた。はじめのうち、少しふらついたが、体はすでに十分に回復しているのがわかった。
 食事は、病み上がりの人間にとって無理のないごくあっさりとしたもので、それでいて、甦りつつある食欲のやわらかな好みを適度に満たし得るものでもあった。病院臭さは微塵もなく、品のよい料理屋の特別の軽食のようだった。盛られたもののうちのどれもこれも、皆、口溶けのよい穏やかな味わいを舌にもたらした。
「後で、また別のものを食べなければいけません。とにかく、今は、食べることです。もっとも、この食事だけでもかなりの栄養を取ることができるはずです」
 看護師は事務的な口調で言った。
 わたしは彼女の言葉に頷いただけで、黙って食べ続けた。彼女もそれっきり口をつぐみ、後はじっと、わたしが食べるのを眺めているようだった。
 ものを食べることは性に深く関わると感じられるので、わたしはつねに、なにか食べているところを人に見られることにかなりの恥ずかしさと気まずさを覚える性質だったが、この時は、そういう負の傾きが心には現われなかった。わたしは無心に近い状態でただただ口を動かし、芋虫の体のように動く消化器官の調子に総身を合わせて食物を溶かしていった。外で待っているという女性のことも、この時はすっかり忘れ去っていた。
 食事が終わって、しばらく、ベッドの上に転がって目を瞑りながら休息していると、食器を片づけに行っていた看護師が戻ってきて、
「さあ、玄関まで参りましょう。まだ外にいらっしゃるんですから」
 と言った。
 この言葉で、わたしはようやく、その女性のことを思い出したが、玄関まで行くということ、外へ出るということが、突然、ひどく煩わしいものに感じられた。
「どうしてここに入って来ないんでしょう?」
 とわたしは訊ねてみた。むろん、答えを望んでの質問ではなく、質問のかたちを成した不満だった。
「それは、あなたがご自分であの方にお尋ねになればいいことじゃありません?」
 看護師は言って、横になっていたわたしに手を差し出した。その手を握って、わたしは起き上がり、ベッドからふたたび下りた。
 廊下はまっすぐ玄関へ通じていた。かならずしも大きいとは言えないこの田舎の医院の廊下にしては、それは意外にも長いものに感じられた。外が明るいにもかかわらず、この廊下は時の巡りから切り離されているかのように薄暗く、ひんやりとしていた。さすがに今は明かりを点ける必要こそなかったが、物の色がぼんやりとするだけの暗さが全体に万遍なく通っていた。廊下のいちばん向こうがそのまま玄関になっていて、両側に全開されているその入口に、光の壁のように明るい戸外が望まれた。そこから効率悪く入ってくる光が、床や壁に、あるいは天井に、ところどころ古い泉の冷たい水のように滲み広がっていた。

玄関まで導いてくると、看護師はわたしをそこに置いて、廊下を少し戻り、ある部屋に入っていった。外に踏み出さずに、玄関の脇に凭れて、看護師が入って行った部屋のほうを見ながら、わたしは待った。しばらくすると、彼女は、見た目にやわらかそうな白い布に包まれたものを抱いて、部屋から出てきた。
わたしのところへ来ると、
「ほうら。すっかり元気になったわ。今眠っているけれど」
と、これまでになく打ち解けた言葉づかいで言って、こぼれるような笑顔を浮かべながら、それをわたしに示した。
シルヴィだった。
確かにそれは嬰児で、まさしく嬰児らしい顔をしてもいたが、しかし、同時にそこには、はっきりと、わたしの知っているあのシルヴィの顔立ちが見てとれた。
「これが赤ちゃんだと言えますか?小さいけれども、これは、わたしの目にはまさしく成長したシルヴィそのものです。娘ざかりのシルヴィそのものですよ」
そう言いながら、わたしはこの顔に眺め入った。
看護師もまた、首を深く傾けて同じ対象に見入りながら、
「これは赤ちゃんの顔ですわ。あなたはあまり赤ちゃんをご存じないようね」
と言って、一時、その眼差しでわたしの瞳を抉った。わたしは外のほうへゆっくりと向き直り、入口近くの柱に手を掛けながら、
「いや、あなたがシルヴィを知らないだけのことですよ」
と言って、
「さてと、外へ出てみようかな」
と逃れた。
看護師と話している間に、いつの間にか、かなり外の光にも目が慣れてきていたようで、玄関から踏み出した時には、それほど眩しくも感じなかったが、それでも少しの間は、軽く目を細めていなければならなかった。だが、それは、光そのものの眩しさのためばかりでなく、風景のせいもあったに違いない。玄関から出たわたしの目に飛び込んできたものは、まず、無数の白い墓標であり、その向こうに広がる若い明るい緑の草原であり、さらには、遠く地平線のあたりに起伏を作っている深い森であり、また、飽和を超えて大空のどこかから雫となって滴り落ちるかと危ぶまれるほどに深く濃い、空の青の輝きだった。
墓標の群れの白さを、わたしの目はおそらく光と取り違えて、感覚に眩しさを思わせたのに違いなかった。目や感覚がこの風景に馴染んでくるに従って、わたしは、はじめの印象や、さっき病室の窓から見た印象でつくり上げていた今日という日についての思い込みを、正さざるを得なくなった。
外の様子に馴染んでみると、眩しさというものがじつは全くない、と感じられた。青く輝いていると思われた空は、実際には、青というよりは紫から濃紺に近い色で、しかも、到るところで色調に斑が見られた。輝きは、確かにそこにはあったが、めくるめくほどのものではなく、むしろ、奥行きのある幾層も深く入ったところからの重い輝きで、感覚的な眩しさとは関わりのないもののようだった。病室で窓から眺めた時には、さぞ鮮やかな太陽が天心を領していることだろうと思われたのだが、太陽の姿はどこにも見られなかった。地上の光を支配する空がこういう状態である以上、大きな白い墓地も、緑原も、森も、真夏の日中のようにつややかに息づいて見えるということはなかったが、しかし、今、それらはわたしの目に、夜陰に自らの光で浮かび上がる幽霊のような生々しさで、各自のかたちや色を生きているように見えた。墓は漆喰さながらに白く、草原は緑、森は黒、あるいは深い緑色を帯びて横たわっていた。けっして夜ではなかった。空には雲ひとつなかった。全体の印象としては、明るい日中よりやや明度の落ちた大気が風景の中を漂っていると感じられる程度で、強いてこの時間に呼び名を付けるとすれば、黎明とか朝まだきという言葉が、感覚を宥めるには最もよい言葉だっただろう。だが、東の空が明らんでいるわけでもなく、太陽がどこかに浮いているわけでもないので、その呼び方はあくまで一時のごまかしに過ぎないのだった。空も大地も明るく、暗く、輝いており、浮き出てもおり、吸い込まれるような静かな闇がすべてを領しており、また、光があらゆるところに満ち満ちてもいた。
「今日は本当にいい天気です」
 と看護師が言ったので、わたしは、
「まだ太陽が出ていないようですね。夜明け前ですか?それにしては明るいが……」
 と言ってみた。看護師は頷きもせず、なんらかの心持ちを顔に表わすこともせずに、
「長い間、太陽は出ていません」
 と、さっきの打ち解けた様子とは、また、がらりと変わって、いくらか厳かな調子で語った。
彼女はわたしよりも玄関に近いところにシルヴィを抱いて立っていたが、今、その彼女の顔を見た折りに、わたしの目は、その彼女の後ろの玄関をも捉えた。看護師の言うところを信じれば、もう数日も前のことになるのだが、嵐の中を、シルヴィを抱えてこの医院に駆け込んだ時のことを思い出した。そして、あの時わたしが入った入口は、今、ここにある入口とは違っていたのに気づいた。あの時は、墓地もなにも目に入らなかったし、もっと簡単な構えだった。そう看護師に話すと、
「ああ、それは裏口のことです。裏口からあなたはお入りになったんですわ」
 と教えてくれた。
それを聞くと、なにか、すべての準備が終わったようにわたしは感じた。なんのための準備かわからないが、とにかく、もういいのだ、もう大丈夫だ、と思った。
 粉を塗ったような大きな白い石板の墓標や、白い泥で練り上げたばかりのような四角い柱の墓標、十字架、ところどころ崩れているもの、まれに点在する黒っぽい墓石、墓の間に顔を出している鮮やかな若草などに、ひとつひとつ目を移し、わたしの数歩先から始まって、向こうへ、あるいは右のほうへ、左のほうへと大きく広がっているこの墓地全体へと次第に視野を広げながら、
「その女の人は、どこにいるんですか?」
 と聞いてみた。すぐに背後から、
「あそこですよ」
という男の声が響いたので、ふり返ってみると、いつ出てきたのか、そこには医師の姿があった。
わたしは医師に目礼をし、彼が指しているほうに目を向けた。
今までわたしが向いていた方向よりいくらか東よりのほう、というよりは、ここでの方位をよく知らないわたしが東と感じた方角寄りのところに、すでに墓地の中に深く踏み入っている、墓標のものとは印象の異なった白の軽い衣服を身につけた女性が見えた。その女性はわたしたちには背を向けており、しかも、ゆっくりとではあるが、どんどんと墓地の中を向こうへ深く歩み入ってゆくところだった。
わたしがせっかく外へ出てきたのに、どうして行ってしまうのだろうと思ったが、きっと、長いこと待たされていたので気晴らしに散策を始めたのだろうと考え直した。声を出して呼ぶのではなく、その人のところまで行き着いて、連れ帰ろうと思い、わたしは白い墓地の中へ踏み込んだ。が、すぐ立ち止って、確認をするように、看護師と医師のほうをふり向いた。看護師はあいかわらずシルヴィを抱きかかえていて、
「そうです。あの人ですよ」
と言った。医師が顔をほころばして頷いていた。ふたりとも、わたしがあの女性のところまで到り着くことを望んでいると見えた
向き直ってわたしは歩き出した。靴が踏み締める土は、やわらかかったり固かったりしたが、滑ることはなく、足を取られることもなかった。
はじめのうちは、墓石にぶつかったり、囲われた墓の中に踏み込んだりしないように注意しながら、ゆっくりと歩いたが、慣れてくると、その女性の背を見続けながら、墓の間を縫って歩いて行けるようになった。
わたしが歩く分だけ、その女性も遠ざかり、間隔はいっこうに縮まらなかったために、わたしは速さを少しずつ増していった。だが、それに従って、その女性のほうも、わたしと同じだけ速さを増して、歩き進んでいった。
じれったくなって、わたしはとうとう走り出した。すると、その女性も、彼女も、わたしと同じように、ずっとその瞬間を待ちわびていたかのように、ふいに走り出した。彼女の白い服に波が立ち、翻り、長い金髪が手まねきをするように宙を踊った。
このさまを見て、これは本当だろうか、また、夢かなにかではないのかと思ったが、そういう思いも消え去らぬうちに、あっと言う間さえなく、まるでどこかの空気の裂け目に呑まれでもしたかのように、突然、彼女の姿は消え失せた。……

気がつくと、白い墓標の立ち並ぶ大きな墓地の中にわたしはひとり立ち尽していた。
後ろのほうを望むと、はるか遠くに白い医院が小さく見えた。こんな遠いところまで来てしまったというのが、まるで夢のようだった。
弱い風が吹き始めていた。
それにしても、なんて大きな墓地なんだ、と思った。
わたしをここまで導いたあの女性の姿はどこにも見えなかった。
しかし、女性が確かにここまでやって来たことや、それを追ってわたしが来たことの実感を信じて、わたしはしばらくあたりを歩きまわってみた。墓の蔭にでも隠れたのではないか、大きな墓に視野を遮られたために一瞬姿が消えたと見えたのではないか、と思った。
女性を探して歩きまわるうちに、わたしはやがて、墓地の中を横に通う一本の細い道に出た。人がふたりか三人並んで歩くのが精一杯というほどの道だった。
医院の建物は、いくつかの背の高い墓標に阻まれて、ちょうどわたしのところからは見えず、仮に見えたとしても、さっき望んだより以上に小さくなってしまっているに違いないと思われた。医院から望んだ時には、墓地の向こうに草原が見られたのだが、どうやらわたしは、その草原とは違う方向へ墓地の中を彷徨ってきてしまったらしかった。というのも、この道の向こう側にはまだ数限りなく墓標が続いていて、この先、道を横切って歩き続けても、なかなかそれらが尽きそうには見えなかったからだ。
もうわたしには、この巨大な白い墓地がどのようなかたちをしていて、どこをどのように進んできたのか、全くわからなくなっていた。そのために、突然、わたしの前に現われたこの墓地の道は、救いのように新鮮に見えた。
この道は、数日前に歩いてきたあの田舎道に通じているのではないかと、ふと思った。あの田舎道をもっとずっと歩み進んだ場所が、ひょっとしたらここなのかもしれない、とも思われた。
道の中央に立って、その両端を遠く望んでみた。一方の彼方に並木らしいものが見えたが、遠すぎてはっきりしなかった。歩いて行って確かめるにも、いささか遠すぎると思われた。
疲れを感じ始め、寂しくもなり始めたので、墓地の中をどうにか医院へ戻ろうと考えて、その並木らしいものから目を離そうとした時、いくらか自由になったわたしの視覚は、ふと、小さな黒い点を、路上に、並木らしいものよりもずっとこちら側に認めた。
その黒い点に目を凝らすと、それがどんどんとこちらに向かって近づいて来るのがわかった。人のようだった。わたしは道の中央に立ったまま、ずっとそれを見続けた。
いくらも経たないうちに、それが確かに人であることがはっきりとわかるようになった。黒い服を着ており、黒い頭をしているように見えた。はじめ、それは黒髪かと思われたが、もっと近づいて来るに従って、頭の黒は髪ではないのがわかった。それは頭を覆っている黒い頭巾だった。黒頭巾を被った背の低い人がこちらに向かって歩いて来るのだった
「夢を見ていらしたのね」という看護師の言葉が思い出された。
夢?
いいや、違う。違いますよ。それは確かに違う。
やはり、夢などではなかった。
シルヴィを見つけてから、いったん、往来の中央に出て道の彼方を望んだ時のことが脳裏に甦った。
あの時、道には誰の姿もなかった。わたしが予想したように誰の姿も見られなかった。
ところが、それが今ははっきりと見られるのだ。
シルヴィを見つける前にすれ違ったものが、今、向こうから、そのもののほうから、ふたたびわたしのほうへとやってくる。
今や、疑うべくもなかった。
老婆はすぐそこまで来ていた。
それはまさしく、あの時の老婆だった。
同じ黒頭巾、同じ背格好、同じ顔、同じ歩みだった。
シルヴィを見つけることになる少し前にわたしが見たように、今もまた、老婆は、まるで、人間の姿を借りて時間というものが現われる場合にはこう歩むのだと言わんばかりに、取り返しのつかない確実さで足を一歩一歩踏み出して来るのだった
わたしは立ち尽していた。
顔も体も動かすことなく、目だけで老婆の接近を追っていた。
全身に鳥肌が立って、引き攣るようだった。
わたしの傍らまで来ても、老婆にはなんの変化も見られなかった。老婆はただただ歩き続け、わたしに近づき、ほとんど接触しそうになるまで近づき、体にばかりでなく、なにかもっと取り留めのない大切なところにまで、限りなく近づいてくるようだった。
だが、実際には、ついに、肩をわたしの袖に擦ることさえしなかった。
やがて、老婆を捉えるわたしの目路の広がりは限界に達した。視界から老婆の姿は消えた。
 老婆がわたしとすれ違って、他ならぬわたしの背後へと永遠に去っていくその瞬間、わたしは、自分が厚い毛の外套を着ており、片手には畳んだ傘を握り、よく乾いていたはずの靴にはいつの間にかふたたび水が滲み始めていることに気がついた。
恐怖を紛らすためか、それとも、寂しさに目を瞑るためにか、ひょっとしたら、耳が聞こえなかったかもしれない老婆に対して、わたしは、もちろん並木らしいもののほうにあいかわらず向いて体を強張らせたまま、あたかも彼女がわたしの身に起こったすべてを見知っているかのように、こう呼びかけてみようかと思った。
おばあさん、わたしの赤革の鞄はそのままにされていましたか?
あと、あれだけが足りないんですよ。
他のものはすべてもう整っているんです……
 わたしは呼びかけなかった。言葉がまさに舌をついて出ようとした時、自分がおそらく、ひとり者でも孤独でもないことが突然思い出され、思い出されたそのことが、わたしの胸を、夢を、感性を、あらゆるものを激しく締めつけ、絞り圧したためだった。
一刻もはやく並木らしいもののほうへ、鞄のところへと行き着いて、長い間忘れていたことを、あの鞄を開けるということをしてみよう、とわたしは思った。
本当に久しく開けることがなかったので、あの鞄の中になにが入っているか、そして、なぜあの鞄を持って歩いていたのかを正確には思い出せなくなっていたが、しかし、思い出すということより以上のいっそうの明らかさで、それらを予想することができるようだった。
誰であったか忘れたが、とにかく、誰かわたし以外の親しい者によって詰められたあの鞄を開けさえすれば、わたしがいったいどこから来たか、戻る時にはどこへと戻って行けばよいのか、さらに、これからどのように歩いて行けばよいのか、といったことがわかるに違いない。せめて、その糸口だけでも得られるだろう、と思われた。
長い間わたしを待っていた者が、
「あなたの姿かたちはすっかり変わってしまった。顔立ちも肌の色も、そして髪の色も、話す言葉も……」
と言いつつも、なおも十全の理解のうちにわたしを抱擁してくれる幻が、ふと頭に浮かんだ。
もはや、老婆に鞄の有無を訊くことは問題ではなかった。鞄の有無を人に訊いて確かめようとすることを止めて、自らその場所にまず行ってみることこそ必要事だった。
もし鞄が無くなっていたならば、探すことから始めればよい。
この道の向こうのあの並木らしいところが、もしわたしが鞄を置いたあの場所でないのならば、少し回り道をすれば、かならずどこかこの近くに並木道のその場所を見出すことができるだろう。

 こうしてわたしは歩き出したのだった。
声よ、語ることを促した者よ。

念のために言い添えておけば、空がさっきより暗くなったとはいえ、あいかわらず雲ひとつない静かな上天気は続いていた。
つまり、今まさに脱け出ようとするこの物語に、わたしがふたたび以前と全く同じ状態で引き戻されることは、おまえが持ち出してきたあの特有の嵐の条件が欠けているゆえに、明らかに、けっして起こり得ないということなのだった。

(『シルヴィ、から』 終わり)



引用について

本文中、第21声のシセル篇に現われる「待ってる、待ってる、待ってるさ」は、『ランボーの生涯』(マタラッソー、プティフス著、粟津則雄・渋沢孝輔訳、筑摩叢書)によった。
ネルヴァルの『シルヴィ』の最終部分の引用は、筑摩世界文学大系第86巻〈名作集Ⅰ〉に収められている入沢康夫訳によった。




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