2017年12月2日土曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)6


    3 リュリュ (続き)

 私は一度も彼女と遠出などはしなかったが、駅から《ブラック・ウィドウ》までや、この喫茶店から十分ほど歩いたところにある彼女のマンションまでを共に歩いたことは何度かある。マンションに行く道の途中に、夜も車の通りの絶えない国道があって、その上を陸橋が架かっていたが、彼女がそれを昇り降りするのには時間がかかった。腰のところで体を右に倒すようにして、左足を一段ずつ上げる。上がったところで、左足をつけて、右足も同じ段に上げるのだが、右足は悪くないので、こちらのほうはあっけないほど簡単に上がる。そこで、また左足にかかる。これのくり返しで、はじめは見ていて、いかにも辛そうだった。
 「たいへんだね」などと言うと、
 「それほどでもないのよ。時間はかかるけどね」と必ず答える。はじめのうちは、私に心配をかけまいとしてこう言うのだろうと思ったが、次第に私自身もそう考えるようになった。そして、こういう歩き方や階段の昇り方は、大変なのではなく、彼女らしさの現われなのだと思うようになった。
 陸橋を渡り終わるまでに、彼女の足では五分から七分ほどかかる。《ブラック・ウィドウ》からマンションまで十分ほどだと書いたが、陸橋からマンションまでは三分から五分ほどで遠くはなかった。私ひとりの足でなら、一分ほどで行ける距離だった。
 そのマンションは十五階立てで、遠くからもよく見えた。夜にひとりでリュリュのところを出て帰路をたどる時など、私はよく振り返って、闇の中に屹立しているこの鉄筋コンクリートの塊を眺めた。各階の通路に並ぶ白い蛍光灯の列が明るく夜空の中に浮き上がっていて、その中の二階のある一部屋にリュリュが住んでいると思うと、なにか少し胸の締めつけられるような、奇妙な寂しさを覚えるのだった。秋の夜など殊に寂しく、蛍光灯の列に白々と明るく浮き上がるこの巨大な現代の蟻塚が彼女という存在の一部を成しているのだと考えると、そのたびに、なにかを決定的に喪失したような気持ちになった。私の足はひとりでに早まる。カバンの中の読みかけの本の物語を思い出したりして、気を散らそうとする。それでも、またうっかり振り向いたりすると、寂しさに襲われるのだった。そういう場合の寂しさは、まるでリュリュ自身にまた出会ったような印象で、私には、リュリュから離れなければならないから寂しいのか、それともリュリュその人に寂しさがあるのか、時々わからなくなった。たしかなのは、その寂しさを私が好きであるということだった。
 リュリュのアパートメントは、6畳ほどのダイニングキッチンと8畳ほどの部屋とからなり、それに大きなユニットバスが加わる。それだけのさっぱりしたものだったが、家具が少ないので広く感じられた。ダイニングにはふたり用の食卓があり、8畳間には低いテーブルと、箪笥がひとつ片側の壁の端に置かれている。箪笥の脇に黒のカラーボックスが横に置かれていて、厚めの女性雑誌が10数冊、ハードカバーの翻訳小説が数冊、英語のペーパーバックスが3冊、英和辞典が1冊あった。英語の本は、シェリー夫人の『フランケンシュタイン』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の英訳、ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』。翻訳小説は、プルーストの『失われた時を求めて』の最終巻と「ソドムとゴモラ」の巻、セリーヌの『なしくずしの死』、ポオ全集全3巻、ヘンリー・ミラーの『南回帰線』、ダンテの『神曲』、ネルヴァルの『オーレリア』だった。
 たしかに物が少なかったのだが、部屋を広く感じさせるなによりの理由となるものは、テレビやステレオがないことだった。レコード(その頃はCDもビデオもまだなかった)もなければ、カセットもない。外の世界との繋がりを示すのは、そう多くもない本と雑誌だけで、あとは毎日出勤したりする自分自身の体と心だけなのだった。
 装飾もなかった。壁になにか飾りがあるわけでもなく、ポスターが貼られているのでもない。装いから見ると、あきらかに非凡な美的センスを持っているのに、住まいにはそれを少しも発揮しようとしていなかった。できるかぎり、なにも置かず、飾らず、去る時には容易に去れるように、とでもいうような心持ちが見えた。実際、リュリュはそう考えていた。
 「だって、ヘンだと思わない?」とよく私に言った。
 「人間なんて、死ぬ時はすべて置いていかなきゃいけないのよ。それなのに、仮の住処を飾るなんて、ヘンよ。清潔にはしておいたほうがいいと思うけど、飾るなんて、異常だわ。異常なことが、世の中の常識になっちゃっているけどね。死を思わないからよ、みんな。いつか死ぬんだろうけど、その時はまだ来ない、まだ考えなくていいと思っているんだわ。明日にも明後日にも死ぬかもしれないのに。そう考えれば、あまり家の装飾には熱を入れなくなるでしょうにね。死は確実で、いつ来るかわからない、そう思ったら、むしろ心の装飾に気を使うようになると思うんだけど。自分の外に起こることと心とをもっと噛みあわせようとするはずじゃないかしら。だって、結局、生きることって、そういうことだから」
 今の私なら、いくらでも反論ができるだろう。たとえば、死が確実で、いつ来るかわからないからこそ、家を、身を、人は飾るのだ、と。飾ることはいつも無駄なことだけれど、その無駄な努力の中に、私たちは、なにか生の手がかりを見出そうとしているんだ、と。人間なんて、誰であれ、宇宙に放り出された盲目の孤児のようなものだ。文化なんて、孤児どうしの中での慰め合いにすぎない。これは確かすぎることだろうが、ものを飾る人たちがこのことを知らないというわけではない。たぶん、わかり過ぎているからこそ、辛すぎるからこそ、自分たちのどうにもならない弱さを本当に知っているからこそ、飾るのだ…
 今の私なら、すらすらと簡単にこんな反論をしてみせることだろう。もう、弱さは恥ずべきものとも思っていないし、克服すべきものとも思っていないから、飾るということについて、人生論者の厳しさを抜きにした見方ができるし、装飾の図柄や色彩の美しさそのものに、以前よりも素直に驚くこともできる。いろいろなものの価値ということについてだって、もっとニュアンスに富んだ見方ができる。
あなたは、まだまだ若いんだな…
リュリュに、今なら、こう言ってやることができる。今の私にとって、彼女がずいぶん若くみえるのも当然のことだ。彼女はあの頃、まだ三十一歳だったし、当時の私から見ればいくら年上でも、まだ自分の未熟さと必死に闘っている頃だったはずなのだから。私は、もう、とうに彼女の年齢を越えている。心の中で、私に今なお説教を垂れるリュリュだけが、永遠に三十一歳のままなのだ。
 リュリュに会った頃、私は十九で、彼女と親しむ間に二十歳になった。彼女のほうは、三十から三十一に。私が二十一になろうとする頃、彼女は三十二になろうとするはずだった…

 (続く)


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