2018年2月20日火曜日

詩人



ジャームッシュの『パターソン』*はよかったが
詩人と呼ばざるをえないひとが
どうして詩人としか呼ばれざるをえないか
たとえば
この花がどうしてこの花で
どうしてあの花ではないのか
ありえないのか
いろいろな批評や研究のようにわずらわしい理屈など重ねず
時間の流れのなかに
ほわんと鮮明に見せてくれていたのが
よかった

詩人としか呼びようのないひとというのは
毎瞬さまざまなものが意識に押し寄せ続けるこの世のしくみに対しては
やっぱりよい存在のしかた
やっぱり的確な意識の使い方をしていると
思い直させられ再確認させられるところがあって
よかった

ウイリアム・カーロス・ウィリアムズで有名な
パターソン市に住んでいる市営バス運転手
その名もパターソン
が主人公で
これだけでもう詩神話的な人物設定なのだが
ノートに詩を書き溜めるだけで
詩集にまとめて出版しようなどという気の全くないところが
詩人の最高のすがたになっている

ジャームッシュの批評精神ははっきりここに出ている
まだ若く最高の活動期にある詩人が
じぶんで詩集を出版しようなどと思っては駄目なのだ
じぶんの詩をふり返り推敲し直し選択し編集して本にするなどの
一連の行為は詩作とは全くちがう運動で
それらに精神をふりむけた時にもう彼は詩人ではなくなってしまう
ジャームッシュの慧眼はすごいものだと思わされる

もちろん後世の読者としては本がなければ困るのだが
書き留められた詩から詩集出版への過程には
つねになにか予想外の突発的な事故や椿事がなければならない
書物の中で最高度の存在であるべき詩集というものは
詩人が必死に出そう出そうとしては絶対にいけないもので
ことの成りゆきから出版されてしまう事態に至るのでなければならない
詩集には詩人の思惑を超えた画竜点睛の伝説がどうしても必要で
そうしてこそ人類にそれらの言葉の束が残る奇跡が起こる
何冊何十冊出そうが人類の流れに深く染まっていかない本ばかりだ
書物の中で最高度の存在である詩集というものは
そのような身ぶりをせず別のアリュールを帯びていなければならな

主人公パターソンの詩帖はある晩
飼っている犬にこまかく食いちぎられてしまって
それまで書き溜めてきた詩はぜんぶ花吹雪になってしまう
さんざん妻からコピーしておけと言われながら
その気なしにいい加減な返事をし続けてきたぼんやりパターソンも
この時ばかりはさすがにショックを受ける
けれども彼が本当にもう一段上の詩人レベルに抜けるのはこの時
じぶんの秘密の詩帖にだけ書き溜めてきた天性の詩人が
それまでの作品をすべて失って
なおもこの世の中のひかりの中に居続ける時
純度100パーセント詩人がふいと顕現してしまう
それでも市営バス運転手の彼はいつものように出勤し
いつものように街を茫洋望洋と歩き
さまざまなあたりまえの光景を見聞きし続ける
書いたものを失ってしまっても詩人は詩人
たぶん書いても書かなくても詩人は詩人
数十年に一冊だか一世紀に数冊だかの割合で残っていく詩集だけでも
人類史上ではすでにずいぶんな量になっているけれど
そうした詩集があろうがなかろうが生まれつきの詩人たちがいて
そのうちのひとりは市営バスを寡黙に運転していたりする
彼らとおなじひかりの中に詩人でなど全くない人たちもいて
詩人素ゼロのひとたちさえ中にはいっぱいいるという豊饒さに
気づいてみると
それはそれで
いい感じもするよね…
とジャームッシュは呟いている
たぶん

映画の最後
パターソンがグレートフォールズの前のベンチに座っていると
日本から来た詩人なのか
文学の先生だかが隣りに座る
演じているのは永瀬正敏
眼鏡をかけた日本人は鞄から
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの『パターソン』の訳本を出して見せる
街のことも『パターソン』のこともアメリカの詩のことも
いろいろ知っているのがわかる
日本人に「詩人か?」とたずねられて「ちがう」と答えたパターソンが
それでもいろいろと詩のことを知っていて
好きな詩もいろいろあるのに気づき
日本人はパターソンが生来の詩人であるのを直観的に理解する
パターソンに白紙のノートを渡し
書け!
とは言わないものの
書くことを促して去っていく時に
Aha…と言い残すが
後で白紙のノートをぱらぱらめくりながら
パターソンも
Aha…とつぶやく
詩人どうしの最高のコミュニケーションをAha…としたところに
ジャームッシュの詩の理解の非常な深みがある
禅や武士道に通じた彼なら
あたり前といえばあたり前の締めかただったかもしれない

もちろん
ぱらぱらめくられる時の
白紙のノートこそ
どんな詩集にも優る最高の詩集であることも

それを手にしながら
Aha…とつぶやくことの
目もくらむような豊饒の瞬間の
この世のひかりの中にあるひととしての
確認も

Aha
                                                            





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