2019年2月22日金曜日

「とんでもない。納豆なんて面倒くさくて…」



いちばんの理由は新しい仕事に就いたストレスに違いなく、それまでは実家近くの職場への15分ほどの徒歩通勤だったのが、急に40分ほどの電車通勤となって生活が大きく変化したことなどもそれに加わってくるのだろうが、とにかく体調がよくない、顔にはおできが増えたし…… と聞かされたので、どんな食生活をしているのか問うてみると、いわゆる腸内環境を整えるような配慮をほとんどしていないらしいのが見えてくる。腸内フローラにあたるものはかなり荒れてしまっていると思われ、乳酸菌の摂取などもまったくできていない。他人のこととはいえ、こんな時には、要らぬお節介とは知りつつも、会話の力学に流されて余計な勧めもしてしまいがちになり、「納豆なんかも食べたほうがいいんじゃないの?」などと軽い気持ちで言ってみると、「とんでもない。納豆なんて面倒くさくて…」と返してきた。
えっ? どうして? と聞き返すと、「だって、納豆の発砲スチロール容器やビニールは、いちいち洗って、いちいち分別してゴミに出さないといけないから、面倒くさすぎて食べられない」と言う。驚いて、東京でならビンや缶以外はぜんぶ高熱炉で焼却だから分別はほとんど要らないのだけど、そっちはそんな細かく分別するの? 結局最後はまとめて燃やすんじゃないの? と聞くと、それはわからないという。ゴミを出す時点では分別をしないといけないので、とにかく面倒で、食べなくなってしまうものが多いという。
以前は自分も、ティッシュの箱やさまざまな化粧箱の類をていねいに解体して、まとめてゴミ集積場に出しに行っていたものだったが、ある時、回収業者が運び出している現場に出くわし、紐で縛った厚紙類を「これ、リサイクル用ですよね」と差し出すと、「あ、それ、全部燃やしますから」と燃えるゴミの山に投げ上げられたことがあった。ちょっとショックだったが、紙類でリサイクルされるのは新聞と段ボールだけで、他の紙類は全部焼却するのだという。色印刷された雑誌のリサイクルも一切しない。書籍も焼却。途中段階で自己満足的にいろいろ分別してみるのは出す側の勝手だが、最終段階では全部燃やしますから、中途半端に分別されても、ぜんぜん意味無いですね。
納豆の容器はちょっと洗ったくらいではネバネバが完全には取り切れず、少しでもネバネバがついていると、もう技術的にリサイクルはできないと書いてある記事も読んだことがある。そこが肉のトレイに使うPSP(ポリスチレンペーパー)との大きな違いで、PSPはリサイクルできるが、納豆容器の発砲スチロールは焼却する以外には方法はない。
東京近郊ながら東京23区ではない場所の行政が、納豆容器のネバネバまで徹底的に洗浄して分別ゴミとして出すように市民に強制しているとすれば、失われる個人時間とエネルギーは厖大なものになるはずで、その総量を推量してみようとするだけでも、くらくらしてきてしまう……



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