2019年2月22日金曜日

一瞬の時間も唯一無二であり……


 
空腹を、駄菓子やジャンクフードで、あるいは、今ならば、添加物や保存料満載のコンビニ食品やスーパーの総菜や弁当などで、安易にお手軽に満たして済ますような食生活を続けていけば、やがて健康面でなにが起こっていくか。これは、誰にとってであれ、想像するにさほど難くはない。しかし、イメージや映像、音楽、音響などへの空腹を、インターネット上で容易にいくらでも触れられるもので、いわば、店屋物ならぬネット物で済ますようにしていく場合には、どうか。イメージや音の場合なら問題はないのか。足と金と時間を使ってどこかへいちいち出かけて行ったり、重い画集を書庫から取り出して、大きな頑丈なテーブルの上で開いてみるような手間を省く場合、イメージや音から摂取され得る栄養価にはなんらかの変動は起こらないか。
一瞬の時間も唯一無二であり、たとえ転生しようとも、二度とくり返されることはない。口から食道を通り胃に落ちていくものも一期一会であり、目に触れるイメージ、鼓膜を震わせる音もすべて一期一会であるとすれば、あまりに容易に得られるもので済まして本当によいのか。
江口老人も六十七年の生涯のうちには、女とのみにくい夜はもちろんあった。しかもそういうみにくいことの方がかえって忘れられないものである。それはみめかたちのみにくさというのではなく、女の生のふしあわせなゆがみから来たものであった。江口はこの年になって、女とのみにくい出合いをまた一つ加えたくはない*……


*川端康成『眠れる美女』



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