2020年4月21日火曜日

だわさ。




この数年
意味を醸成しかねない言葉並べをけっこうしてしまったことを
恥じる

詩は無意味でなければならず
詩は不快不協和音でなければならず

あゝ、しかし、
肉体的自己の情報攪乱だけは行えてきたか!

靖国の
(……と口にするだけで
(ビビるやつらを
(ビビらせるの、楽しかったナ
古い貧相な売店や食事場が建て替えられてしまって
今は「attic room YASUKUNI-GAIEN」になっちゃったんだよ
許せる?
しかも値段が高くなっちゃって!

いくらでも馬鹿にできる
あの貧相さやどうしようもなさ
日清日露戦争頃か?というような
あの時代錯誤のわびしい愚かな民のひとときの座り場
ずずずっと蕎麦を啜る音や飛び散る汁のテーブルの並ぶ店が
わたくしの愛した靖国神社だった
あのままで居て欲しかったのだ、いつまでも、いつまでも

(どうして「靖国」が出て来るんだって?
(「靖国」になんの興味もないからですよ
(「靖国」になんの必要もないからですよ
(ボリス・ヴィアンが昔「どうして『北京の秋』って名づけたのか」
(と小説のタイトルについて聞かれた時
(「北京にも秋にも関係がないからさ
(と答えたがこれこそ作家・詩人として見事な回答

わたくしの自由詩形言語配列はつねに文学論である。
他に現代おける詩のありかたがあろうとは思えないんだよ。
詩人Aよ、あなたの人生には興味が持てない
詩人Pよ、あなたの人生はぼくの人生よりつまらない
詩人Kよ、あなた、もっと多量の小説・詩・文学論読んだら?
詩人Hよ、デリダ、ドゥルーズ、フーコー読んでから書きなよ

あほらし
やっぱり読書量だし
やっぱり書きつけ文字量だし
ベースになるのは

あほらし

十九世紀みたいな人生詩こしらえてるんじゃないよ

靖国神社では新型コロナウイルス時代に入って桜の木々が立ち並ぶ領域を柵で塞いでしまって人が入れなくなってしまっているが普通に考えれば寂しい風景ということになるのだろうが俺にとっては滅多にない面白い風景の出現で面白いと思ってるんだわさ。

だわさ。

だわさ。



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