テレビで能の湯谷をやっていて、途中からだが
あの声のやりとりを聴き、音曲を聴き、動きを見、動きのなさを
見ているうち、すっかり引き込まれた。
「四条五条の橋の上
四条五条の橋の上
老若男女貴賤都鄙
色めく花衣
袖を連ねて行く末の
雲かと見えて八重一重
咲く九重の花盛り
名に負う春の気色かな
名に負う春の気色かな」
ユヤといえば熊野の文字で覚えていたが、湯谷とも書く。
どちらでもよいのか、時により、 どちらかでなければいけないのか、
私のような者にはわからない。
(詳しい人はいくらでもいるだろう。
(大学院の頃に知りあっていた演劇科の連中には、能・狂言・ 歌舞伎の
(専門研究者が何人もいて、誰もがとんでもないオタクであった。
(ユヤについて安酒屋で話を出せば、 怒濤のような解説が戻ってくる。
(そんな連中が大学の文科というところには蠢いている。
(ふだんはまるで世間には見えてこないが、 じつはこのようなところに、
(文化というものの精髄があり、精巣がある。文化の精虫たちは、
(ふだんはなんのことはない、風采の上がらない顔と成りとで、
(ただ暇そうに本のページを繰ったり、本の山の後ろに
(かならず埃の溜まったりしている部屋で、メモを取ったり、
(取らなかったりしながら、 ぼんやりと夕暮れを迎えたりしている。
(詳しい人はいくらでもいるだろう。
(だから知ったかぶりをする必要はないし、 私以外の物知りたちの見識を
(必要な時には存分に借りればよい、というのが、9年もいた
(大学院での最大の学びだった。
( なにを追及しても大した儲けにはならない文科の研究というのは、
(ちょっと想像される以上に異様な世界で、外や他人から
(求められてもいないのに、なぜだかある事柄にこだわって、 本を集め、
(情報を集め、メモを取ったり、文にしてみたり、 表やグラフにしてみたり、
(なかなか思いどおりに成果が得られなかったり、
(まとまらなかったりするものだから、
(ぼーっと過ごすだけの日々を送ることも多かったりと、
(そんな人々で溢れている。
偶然に見た『湯谷』のシテは香川靖嗣だったようだ。 ツレの朝顔が友枝真也、ワキの平宗盛が宝生欣哉、 ワキツレの宗盛の従者が御厨誠吾。
いちいち、知ったふうに名を上げていくのも気が引けるが、 メモしておくと、(笛)松田弘之、(小鼓)曽和正博、(大鼓) 國川純、(後見)内田安信、(後見)中村邦生、(地謡) 粟谷明生、(地謡)長島茂、(地謡)狩野了一、(地謡) 友枝雄人、(地謡)内田成信、(地謡)佐々木多門、(地謡) 大島輝久、佐藤陽、ということらしい。
喜多能楽堂での公演録画である。
能を見に行ったことも少なくないのだから、 心を動かされたことや引き込まれたこともあったにはあったが、 実際に見に行くと、なぜだか眠くなることが多く、 大いに興味を持って臨みながらも、なぜだか、 どこかで遠ざかってしまう心となることが少なくなかった。
それが、ふと見たテレビの『湯谷』には引き込まれ、 飽きることがなかった。
あゝ、すべてを捨てて、ここに戻ってくればいいのだ、と思った。
香川靖嗣や友枝真也の名演によるのだ、ということなのだろう。
地謡の面々の素晴らしさによるのだ、ということなのだろう。
引き込まれ、飽きることがない、というのは本当に稀なことで、
そんな時間が得られたら、それだけで至福と見なしてよい。
そういう至福の機会を得られた者にとって、たとえば
COVID19による死がなにほどのものか、と本当に思う。
降って湧いたような疫病による劇症肺炎による死への恐怖を
マスコミやSNSの中で人々は延々と語り続けているが、 私のように
『湯谷』を見て、深甚な感動を覚えた者がどれくらい、いるか。
もちろんこれに限る必要はなく、なんであってもよい、 路傍の花でも、
小鳥の鳴き声でも、ちょっとした日の移ろいでもよかろう、
自分が誰かをさえ忘れるような陶酔と自己消滅の時間をたびたび覚 える者に
流行やまいや、ふいの事故などによる死が、 なにほどのものであろうか。
熊野……
平宗盛がよほど愛している愛妾なのだろう、
よほどの執着を男の心から引き出す女なのだろう、
病んだ老母の元へ帰りたいと彼女が頼んでも、宗盛は許さず、
時も春、盛りの桜、花見への同道を強いる。
昔なら、熊野のことを、たんに、 古典の一作を鑑賞用に理解するために
「宗盛の愛妾」 という説明的な薄い理解のみで処理しようとしたであろう。
能をもっともつまらなく鑑賞する対し方といえる。
世の悲喜劇や不条理をさんざん見てきてから能を見るのはよい。
熊野という女がどんな女だったか、そのしぐさ、振舞い、
手の甲から腕、項や頬の色つやや柔らかみ、なにからなにまで
思い描こうとしてしまう、思い描かずにはいられない、
首から胸のあたりの、 思わず指を這わせたくなるほどの女だったろうか、
宗盛が一時も遠くに置きたくないように思う女であったろう、
謡曲はここまでもちろん謡わないが、
当たり前のことだ、聴き手に、 当然のようにここまで思い描いてくれ、
それが謡曲を聴く者の常識であろう、と
じつは数百年もの昔から、我々に、突きつけてきていたのだから。
熊野にしても、花がどうでもよいのではない、
京の花も美しく、去りがたいのである。
宗盛は言う、
「老母の労はりはさることなれども
別の子細はよもあらじ
この春ばかりの花見の友
いかでか見捨て給ふべき」
熊野は
「おん言葉を返せば恐れなれども
花は春あらば今に限るべからず
これは徒なる玉の緒の
長き別れとなりやせん
ただおん暇を給はり候へ」
などとありきたりの理屈を返し、その心情は、 もちろんわかるものの、
しかし、宗盛の言う「この春ばかりの花見の友」の真意が
まだ若すぎる熊野には理解できない
謡曲『湯谷』の興趣はここに極まっている。
いつ逝くとも知れない老母への思いが優先されるのは、 人の世の情として
なによりも優先されると決まっていることながら、
「この春ばかりの花見の友」と言いながら、
そんな熊野の当然の情への不理解を表わすかのように、無理に、
今、この京での、今年のこの春の花見を、
じぶんといっしょに、いっしょに、と強要する宗盛の
非情な詩心にこそ、『湯谷』の恐るべき魂が裂けて洩れ出ている。
『湯谷』で問われているのは、時分の美への態度なのである。
「この春ばかりの花見の友」とは、
一定の型に嵌まった人の情を金科玉条の行動規範として動く俗人に は、
なかなかに理解されぬであろう、
今このように目の前に花が咲き誇っている、
今このようにしか、たまたま生きているじぶんの目の前には、
これらの花が咲き誇ることは、二度とはあり得ない。
このことが、 四季がいつも同じようにくり返すと盲信しているあいだ、
まだ魂の目の開いていない人間もどきたちには、わからない。
この春も、この桜たちも、二度とは来ず、 二度とこう咲くことはない、
この当たり前のことが、なかなか、理解されない。
あまりに多くのものを失ってから、はじめて、春も、桜も、
じつはつねに一回きりのものなのだと、人はわかるようになる。
老母のもとへと急ぐどころか、舞いを求められさえして、
舞っているさなか、
「のうのう俄かに村雨のして花を散らし候ふはいかに
げにげに村雨の降り来たつて花を散らし候ふぞや
あら心なの村雨や」
この村雨を「観音の御利生なり」と喜び
故郷へと向かう熊野なのだが
やがて幾歳月を経た後には
かならずやこの時の宗盛との花見が
二度とくり返され得ない花見だったとわかることになろう。
謡曲『湯谷』の冷酷な美は
そこまでの認識を熊野に与えない時点で
作品時間をあっさり断ち切って幕としてしまうところにある。
認識の至らなさも、また、時分の花だからである。
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