2023年4月3日月曜日

まるで静けさやさっぱりさであるかのように

 

 

 

一時代を画す…

一時代を画した人…

という枕詞・序詞的な言い方があって

それって

ほんとうはどんな意味なんだろう?

とつぶさに考えてみると

いつもいい加減な印象にばかり流されていく世間というものが

妄想を曖昧に共有しあった結果の

歴史認識において無責任極まりないまとめ文句に過ぎない

とわかる

 

そんな枕詞・序詞をつけるのに

数十年ほどぴったりだった人たちが

このところ次々死んでいって

世の流れの根深いところから

どうやら世の中は変質していく感じだな

と感じる

 

そんな人たちの棲み処だった

ひとつの“文化”っぽい

もわもわしたはっきりしない空気に

ぼくは一度も属して来なかったし

そんな人たちの“文化”っぽいもわもわを

いま根こそぎ一掃して

新たな“文化”っぽいものを形成させ

そこに棲みこんで

今後の何十年を牛耳っていこうという人たちにも

ぼくはやはり属さないでいくだろう

大自然のありのままを損わないように

建築するよりも放浪を選んだネイティヴ・アメリカンたちや

数千年も大自然を破壊せず

階級差社会を作らずに生きたらしい縄文人たちのほうにこそ

ぼくはいつまでも属して生きていき

死んでいくだろう

 

それにしても

ちょっと変に感じるのは

最近物故する有名人たちの死の発表が

実際の死から

だいぶ経った後なのが多いこと

はやくても数日後

一週間後ぐらいのことが多い

そうして

すでに近親者たちによって葬儀は済まされ

納骨まで済んでいるようなことが

ずいぶん多くなった

 

波風立たせないように

静かに去っていく感じで

それはそれでいいのではないかとも

もちろん思う

かつての有名人の葬儀の

あの大騒ぎぐあいがどれほどが大変だったか

それも知っている

 

しかし

有名だった人が死んだ際の

周知や葬儀やその後のあれこれにまつわる一連の流れを

ひょっとして

しっかりと支える体力が

社会や個々人から失われてしまっているのではないか?

と感じられてならない

 

一見合理的で

モダンで

さっぱりしていて

静謐っぽくて

よくなっているかに見えるようなことが

衰退や虚偽の仮面であることも

現代では多い

 

政府や

社会の各所の運営ぐあいや

政治や社会への民衆の根源的な無関心ぐあいだけでなく

人間ひとりひとりの奇妙な脱力っぷりが

まるで

静けさや

さっぱりさであるかのように

各所に露呈してきているように感じる





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