2025年1月2日木曜日

ぼくの友だち 死ななかったところという場所

(2000年作) *

 

 


五体不満足なひとの本が有名になって
とっても売れていて
ぼくの友だちで足が片方ないひとにその話をしたら

彼はもう知っていて
読んだよ、とっても不快だ、と言った


ぼくの友だちは足が一本ないだけだというのに

五体不満足のひとよりも明るくなくって
人生に立ち向かうとかふつうのひとのように頑張るとか
そんな気概がなぜだかずいぶん足りなかった。


あんなに性格が明るくって
なんにでもやる気まんまんで
ああいうのって、つらいよ、ぼくにはあれ、できないんだよ、って、
ぼくの友だちは言っていた。
とっても不快だ、っていう彼のことばも、

すごく怒ってるって感じじゃなくって
じぶんの居場所が、最後の最後まで奪われちゃった、

もうダメだ、もう最後のところもなくなっちゃった、
っていうような、そんな感じだった。
怒りが込み上げて、というのじゃなくって、
最後のちからまでがヒュー、と抜けていくようだった。

 


やっぱり、がんばって、ちからがあって、積極的で
そんなひとたちの世界なんだなあ、ほくなんてダメなんだなあ。
ぼくの友だちはそう言っていた。そうして、
とても不快だ、とってもイヤだ、でも、
どうすればいいのかわからない。どうにもできない。

みんながぼくに言うことは、
がんばれよ、世の中にはもっとたいへんなひともいるじゃないか、って
そんなことばかりで、
そりゃあ、ぼくもわかるよ、

あの五体不満足のひとはほくよりもたいへんなんだ。
でも、ぼくはぼくのこんなこころをどうしたらいいんだろう。
こんなに弱い、積極的になれないこころは

どこからぼくに入ってきたんだろう、
これをぼくはどうしたらいいんだろう、
どうしてこんなにさびしいんだろう、

こんなに暗いこころはどうしてだろう。

ぼくの友だちは
ぼくの友だちで足が一本ないというだけの友だちは
こんなふうにしゃべって、
というか、なんだかことばが考えから離れてペラペラになったような
いくらかは散る桜のはなびらのような感じで
ことばを口から出し続けた。


聞きながらぼくは

ぼくのこころのなかでちょっとまとめをしたのだ。


そうだ、すべてはこころのことだ、

こころの性質なのだ。

そこから来るのだ。
でも、こころの性質は

こころの持ち主本人には変えられないことが多い。
がんばれといわれても怠けろといわれても

そう簡単にはいかない。
どうしよう、むずかしいなあと思って苦々しい日々を送っているあいだに
からだがダメになる時が来る。

そうしてやっと終わるのだけど、
仏教の考えとかだと、

まだまだ生まれかわって続きをやらなきゃいけない、ってんだ。

 


どんなこころを持つかは

けっきょくは

それこそ運命だという気がする。
生まれるときにどんなこころの種を抱えてやってくるか

選べるのだとしたら
生まれる以前にほかのこころがある

ということになって
それはそれでもいいけれども

ぼくらが考えてどうこうできる段階を越えてしまう。
とにかくもこころの種があって
生まれた後それが発芽して成長して環境に影響されて

こころになっていくけれど

ぼくらは幼いとき環境も選べないのだから

やっぱり

どうこうできる状態ではない。
やっぱり

おおまかにまとめると運命ということになりそうだ。
ほかのことばでもいいけれど
とにかくぼくら自身の考えではどうにもできないんだなあ

と思ったり
つぶやいたりしているうちに
からだという船は朽ちていくことになる。

 

 

散る桜の
はなびらのような感じでことばを口から出し続けるぼくの友だちの

話を聞きながら
ぼくはぼくのこころのなかでこんなまとめをしたのだけれど

運命ということばは
ぼくの友だちには

ぼくは言わなかった。


言ったってよかっただろう、

つらいよわい暗いこころのひとには運命ということばは
どっちかっていうと慰めなんだから。
神とか宇宙の意思みたいなとこがあるんだから。
かれはたぶん、うんうん、ってうなずいただろうと思う。だから、
言ったってよかっただろうと思うんだけど
どうして言わなかったんだろうなあ、

わざと言わないでいようと思ったんだ。
どうしてかなあ、よくわからない。

 


ぼくの友だちとそんな話をしたあと何ヶ月も経って
足が一本ないというだけのぼくのその友だちは

ある日
松葉杖でのったりと駅の階段を上がって駅のホームの端っこまで行って

速度を落とさないで走ってくる急行に飛び込んで
おもてむきはそれほどひどい怪我がなかったけれども

うまいぐあいに頭を打って
電車での死に方にしてはけっこうきれいな最期を遂げた


と、そんな想像を

ほんとうに急行がすごい速さで走り込んでくるホームの端で

しながら

しばらくずっと

立っていた

んだ

そう

なのだ。


ぼくはそれを聞いて

やっぱり

さびしい気持ちがしたけれども
それでも

そんな想像をして立っていたらはじめてのように晴れ晴れしたんだ

かれがいうのは

よくわかるようでもあった。


この急行でじぶんは死ぬこともできた、
ぜったいに死ぬことができた、
それなのに死なないでこうしていまここで、

死ぬべきはずだったところで、
じぶんの

あり得た死

想像している。


そう思うと、

死んだということと生きてるということとが

ほとんど
同じだ

感じてきた。

 

なにかいままで
生きていることとか

生きていくということとか

死ぬんだろうなあということとか
そんなことがらについて

考えちがいをしてきていたとわかったような気がした。
ほんのちょっとの考えちがいだけど、
それがわかるのと

わからないのとでは

ぜんぜん

違うような

まちがい。


だからといって

なにもかわらないんだけど
でも

わかったことは

わかったこと。

 


その後で

ぼくもその駅のホームの端っこに行って

急行が
すごい速さで通過していく風のなかで

目をつぶっていたり

してみた。


ぼくの友だちとちがって

ぼくがその場所でわかるべきことは

ないように思ったけれども
でも

もし友だちがほんとうにそこで死んでしまっていたら
ここは

かれが死んでしまった場所

なんだ、

と思って
急行の風を

受けたりして

いた

 


五体不満足の本を書いた明るいひとは

つよくて

ガンバリやで
ぼくの友だちは

よわい頑張れないこころを持たされた運命に

けっきょく
押しつぶされちゃった

ということに

なるのかなあ

などとも

考えた


でも

かれは

けっきょく

そこでは

死ななかったので
駅のホームのその端っこの急行の風のすごいところは
彼、ぼくの友だちの死ななかったところ。


だから、ぼくも
ぼくの友だちの死ななかったところ

という場所を
いまは持っていて
これは

なかなか

手には入らない場所だとぼくは思うので
ちょっと誇らしいような
いろいろ考えるのにけっこう役にも立つような

気がするのだ。

 


© MASAKI SURUGA WORK HEAVEN 2000

 

 

 

*『駿河昌樹詩集』(Dusty Heaven Publications**, Howl Poetry Books,2000)所収

**Dusty Heaven Publications : La Boîte Noire 2-3-26 Jingumae Shibuya-ku, Tokyo, 150-0001 Japan. Phone : 03-5771-5598. E-mail : hvn@gol.com

◆この2025年版では改行のしかたを大幅に変更し、字句修正を施した。







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