詩というものに興味はなかったけれど
小説よりもはやく読めるからという
たゞそれだけの理由から
二十歳になる頃までには
たいていのものは読んでしまっていた
日本の現代詩というのも
世界の有名なものも翻訳で
なぜかワーズワースやポオが好きだったので
それらは高校の英語力で挑戦しながら原文を買って少しは読んでみ たが
けっこう難しかったし
だいたい
ひとりの詩人のたくさんの詩をいっぺんに読もうとすると
なんだか絶望的になるほどつまらなくなる
けっきょくすべては読み終えないまゝに
原文は放り出してしまったが
青春など疾うに過ぎた頃になって
たとえばワーズワースの『プレリュード』の凄さに瞠目させられた
だがいったい
ぼくは今なにを語り出しているのだろう
ここまで記してきたことが言いたかったわけではなく
そろそろ詩というものとのつき合いをやめようと思っている
そう言いたかっただけだというのに
じぶんにとって
じつは一度も価値を認め得たことのないものを
そろそろ本当にやめる
やめ切る
そう言いたかっただけのことなのに
あゝ
そうだ
二十歳の頃までになんとなく
だいたいの有名どころの詩というのは読んでしまっていたけれど
とうとう
ひとつとして素晴らしい面白いものには出会わなかったし
その後さらに多くを読んできた現在でもおなじ
とうとう素晴らしい詩には出会わなかった
このことを言いたかったのだ
数行や
数句や
とびとびに何行か
それらが素晴らしい詩ならいっぱいあるのだが
まるごと一編が素晴しいものなんて
まったくなかった
出会わなかった
だから文学の研究者とやらが
誰だれのこの詩はたいへん完璧な傑作であるなんて書いていると
この人は他の詩人たちのあれこれを読んでいないのか
読み込めていないのか
生れながらの視界狭窄なのか
なんて思って気味が悪くなったものだった
たゞそれだけのこと
詩には興味がなかったし
たゞ早めに一編を読み終えられるのが小気味よくって
けっこう読んできたんだったなというだけの
書きつけ
そうしてぼくはもう
今後
いっさい詩は読まないし
詩とは関わらないと書き付けておく
というだけのこと
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