有名だった路地である。
芸術や文芸の世界では名の知れた人たちが入り浸っていた。
いつも扉を開け放っている広い飲み屋がある。
店先から奥までが深い。
まわりにも小さな飲み屋がある。
どれも入口を開け放ってある。
広場になっている。
外にも椅子やテーブルを出してある。
いちばん奥に小さな映画館がある。
30人ほどで埋まりそうな部屋がふたつあって、
いつも奇妙奇天烈な映画を日本ずつ上映している。
ひさしぶりに来たのだった。
さっき知り合ったばかりの女性を伴っていた。
ここは昔よく来ていたが、有名なところでね…と
女性に言いながら
その路地のあまりの変わりのなさに驚いて声を失った。
なにもかも本当に昔のままだ。
映画館から広瀬さんが出てきそうだ。
ヘンな山高帽をファッションに被っていた百合ちゃんも
飲み屋の外の丸椅子にいつものように座っていそうだ。
大学の哲学の先生の葉山さんも昼から飲んだくれて
小さい飲み屋の奥の畳の上に転がっていそうだ。
ボロボロでクシャクシャの服を着た詩人の原さんが
そろそろ姿を現わしそうだ。
みんな死んでしまって
あんなに若者のあいだで有名だった原さんの詩も忘れさられたが
この路地広場は変わらない。
どうしてこんなに変わらないんだろう。
そう訝りながらかたわらの女性のほうを見直すと
だれもそこにはいない。
あゝ、あの人もそうか、
とうに死んでしまっていた人のひとりだったか。
それではぼくも
やっぱり
そのクチか。
そういえば、死んだんじゃなかったか、ぼく。
思い出すような
思い出し切れないような。
とうに死んでしまっていた人のひとりだったか。
この路地広場もとうに整理されて
壊され
更地にされて
まったく別のショッピングモールかなんかに
なっていたんじゃなかったか。
それとて
もうだいぶ前の話。
思い出すような
思い出し切れないような。
どれもこれも
あれも
みんなみんな
みんな
とうに死んでしまっていたクチだったか。
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