2018年11月8日木曜日

風体の悪くもない御婦人の吐息


 
Oui! telle vous serez, ô la reine des grâces,
            Après les derniers sacrements,
Quand vous irez, sous l’herbe et les floraisons grasses,
Moisir parmi es ossements.
                                    Charles Baudelaire Une charogne

そうとも! このようにあなたもなるだろう、おお優美さの女王よ、
臨終の秘蹟も受け終わって、
肥え茂る草花の下に降りてゆき、堆みなす骨の間に、
あなたも黴て腐るとき。
シャルル・ボードレール『腐屍』(阿部良雄訳)



ひどく雨が降っている日だからか
映画館のどの列も
めずらしく空いている

よさそうな列に着くと
はじめ
端っこに陣取ることにしたが
どうせならと
真ん中に移動してみる

前列にも人がおらず
アタマに邪魔されることもないので
こりゃあ
ツイテいる日だ
ちょっとうれしい

スクリーンの端っこや
天井のしつらえを
あちこち
ぼんやり眺めて待ち
ようやく
はじまりのベル

それが鳴り終わった頃
ふいに
あたりにひどい臭気が立ち込めた
んん……?
と臭いの種類を推し量るに
歯周病の
ちょっと進んだ段階の
あの腐敗臭

うしろの列の
やはり中央あたりに
いま来たばかりの
豊かな髪の毛をカールさせている
風体の悪くもない御婦人の
吐息なのであった
ちらっと見ただけだが
ちょいとインテリな眼鏡をかけ
元気そうで
人あたりも悪くないだろうと見える
ごくふつうの中年の御婦人

着いたばかりで
すこし息も荒くなっているのか
ちょっとハアハアしているが
そのたびに
こちらに歯周病臭が
モワーッと来る
ボワーッと来る

いまから
端っこに席を移すのも
なんだか
あからさま過ぎて
どうしよう
どうしたもんだか
余はたちまち暗澹たる気分に陥るのであった…


結論
(小説じゃないので急ぎます
(小説の場合だってスタンダールなんかはよく端折ります
なぜだか
映画上演中は
うしろの御婦人の歯周病臭は漂って来ず
ごくふつうに快適に過ごせました
なぜでしょうね?
なぜかしら?

慨嘆
歯周病臭を周囲に半径数メートルほどでまき散らす御仁は
あわれなことに
悪そうな人でないことが多く
家族がはやく教えてやって治すように進めてやればいいのに
と他人事ながら要らぬ心配をさせられたりする
家族がいないと
そうもいかないだろうが
なぜか歯周病臭をひどくさせる人は
奥さんや旦那さんといっしょだったりする

一般的注意
だいたい
中年以上の人はほとんどが歯周病菌に侵されており
症状の程度が違うぐらいのことだそうで
誰にとっても人ごとではない
なに、俺には虫歯は一本もないぞ
などと言っている人が
歯周病で歯を次々失っていくこともずいぶんあるらしい

文学的課題
圓地文子は小説『妖』で老年男女の総入歯どうしの接吻を描いたが
ひどく進んだ腐臭ふんぷんたる歯周病の男女どうしのディープキス
いずれは描いてみたいものと思うておる





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