2020年12月3日木曜日

地名


数年前に住処がかわって

神保町の古書店のあたりも

家からはつい十五分ほどで行けるようになり

三崎町あたりも

なにかと馴染みになってみるうち

関東大震災の時の

窪田空穂のこんな歌群れに出くわしたことがあった

 

焼け残り赤き火燃ゆる神保町三崎町ゆけど人ひとり見ず

 

焼け残るほのほのなかに路もとめゆきつつここをいづこと知らず

 

飯田橋のあたりに接待の水あり、被害者むらがりて飲む

水を見てよろめき寄れる老いし人手のわななきて茶碗の持てぬ

 

負へる子に水飲ませむとする女手のわななくにみなこぼしたり


とぼとぼとのろのろとふらふらと来る人らひとみ据わりてただにけはしき

 

新聞紙腰にまとへるまはだかの女あゆめり眼に人を見ぬ

 

神田猿楽町に甥の家があったらしく

揺れの収まった二日に

神田とその周辺の界隈を見に来たらしい

 

こういう歌は

少しでもはやく歌集を読み終えようと急ぎがちな時には

あまり心に残らないもので

災害などの記録を文芸に残すのが

存外効果の薄いものであるように感じさせられる

わざわざ時間を割いて読もうとする時

文芸に人が求めるのは災害の記録のようなものではなく

やはり慰安となるような言葉の並びなのだろう

その慰安とは現代のせわしい無情かつ無常な空気の中での慰安で

そういう役に立たないような言葉の並びなど

見ても心には受け取らないでサッと滑っていこうとするような

そんな切羽詰まった姿勢が

どうにも人ひとりの生きざまからは拭い切れないらしい

 

近傍に住むようになって

神保町だの三崎町だの飯田橋だのという地名が

日々の馴染みとなり

そうして

はじめてこれらの歌が目に止まるようになるのだから

情けないとも思うし

こんなものかとも思う





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