こころの道草を
たぶん
詩というのだろう
ことばや
いろいろな思いや
感情の
こまごまなども
もともと
道草好きな連中だから
いっしょになって
ひと時のさまよいに
興じてみたりするのだろう
道草するのも
しなきゃならない気になるのも
どうしようもなしに
通るほかない
馴染みの本道があるから
あの大通り
メインストリートがあるから
車と喧騒でいっぱいの
空気の汚れた
あの危なっかしい道があるから
ことばのやつも
思いたちも
感情たちも
じつは四六時中
その大通りのあれこれについて
喜怒哀楽をくりかえし
興奮し
落胆し続けているが
そんな煮えくり返りから
ちょっと逸れて
おい、道草でもしていくべ!
と連れだったり
あるいは
まったくのひとりで
ひゅっと逸れ
小さなさまよいを
する
そこに現われる裏道や
袋小路や
雑草ぼうぼうの空き地だのには
小花が咲いていたり
猫が寝っ転がっていたり
幼児のプラスチックの乗り物といっしょに
古いバイクなどが
なにかの遺産のように
埃をかぶっていたりするが
ときどき
詩のやつめも
はっきりしない姿で立っていたり
かと思うと
やけにくっきり笑っていたり
いつのまにか
こちらのこころに
憑依していたり
―と
それに気づくや
もういなくなっていたり
そんな時
たしかに今
やつめを見たような…
と思いながら
うるさい大通りに戻ると
あゝ
喧噪も
空気の汚れも
たくさんの信号の点滅や
どこかへ急行する救急車のサイレンさえもが
この世の頂点のように
ふかくこまかく編まれた
うつくしさに
奇跡に
見えていたりする
0 件のコメント:
コメントを投稿