2014年12月18日木曜日

おゝ じぶんは〈ここ〉に〈いま〉に到り



テストが終わると
もう年末は暇だった高校生の頃
寒いが明るく晴れた午後には
家の炬燵に入って
シェークスピアの戯曲をあれこれと
くりかえし読むのも
最大の愉しみのひとつだった
主なものはとうに読んであるのだが
そのページを開き直すと
どれも煌くような個性の登場人物たちが
まるで存在界というものの粘土板に
くっきりと刻みこんだようなセリフを吐いている
たちまちその中に巻き込まれて
また再読しはじめているのだった
ときどき読むのを止めて
炬燵の上の蜜柑をひとつ手にとり
皮を剥いて一房ずつ口に運ぶあいだも
ハムレットやジュリエットや
フォルスタッフたちの台詞は響き続け
晴れた冬の青空を覗かせている窓を見上げては
じぶんは一体どこにいるのだろう?
ここは二十世紀の日本の関東で
ここは…、しかし〈ここ〉とはどこだろう?
しかし〈いま〉とはいつだろう?
などと浮かび続ける疑問に惑っては
おそらく昔のイギリスでも
ヨーロッパのどこかでも
あるいはポーのいた頃のアメリカでも
冬の明るい晴れた日やどんより曇った日
暖炉の前で暖をとりながら同じように
シェークスピアを開いて
読み耽っていたとの確信も湧いてくることに
そのことにこそ心を震わせられて
おゝじぶんは〈ここ〉に〈いま〉に到り
あいもかわらず飽くこともなしに
シェークスピアを読んでいるんだよ
過去の無数のじぶんたちよ
おまえたちは皆〈ここ〉に〈いま〉に
到りついているのだよ
休息せよ、しばし
二十世紀の日本の炬燵という暖の取り方を
無限の旅の途中でともに味わいながら
と思念はめぐりめぐり
外の空の青いあかるさをふたたび見ては
またシェークスピアに
大きな体の動きを放棄して読むということに
頭と心をすっかり架空の世界に任せ
ひたすら読み続けるということに
読むことの不思議さのなかに
没入していくのだった



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