この世のしくみがわかっていないと
なるほど
喜怒哀楽など
してしまいそう
この世のしくみといっても
どうすれば儲かるかとか
どうすればしあわせになるかとか
そういうしくみではなくて
この世というまぼろしが
どのようなまぼろしとしてできているか
ということ
なにをしてきても
してこなくても
なにを思いわずらったり
気づかったり
大事に思ってきても
ほら
死という位相替え
あれを境に
一瞬にすべて消滅してしまう
愛とか意識とか神とか
それらは残るなんて
嘘っぱちを言っているひともいますが
まっかな嘘です
なにひとつ残らずに
一瞬にすべて消滅してしまう
なにかをしてきたことと
してこなかったこととは
すっかり同じことになってしまいます
思いわずらった内容も
思いわずらいとともに
気づかった内容も
気づかいとともに
大事に思ってきた内容も
大事という思いとともに
一瞬にすべて消滅してしまう
ひとによっては
してきたと思っているその思いや
してこなかったと思っているその思いや
思いわずらってきたというその思いや
気づかってきたというその思いや
なにかが大事と思ってきたその思いが
死の敷居をまたいだ後でも
まだちょっと残るばあいもある
でも
大丈夫です
思いというものには
自浄作用というか
オートクリーニング機能があって
死の敷居をまたぐと
強力に稼働し始めますから
思いが後を引くといっても
せいぜい数時間ほどの残像です
どの思いも
おのおの
死の敷居をまたぐと
じぶんたちがまぼろしでしかなかった
はじめからじつはなぁんにもなかった
と自覚しますが
その自覚も思いですから
それも
すみやかに
きれいに
消え去っていきます
ほんとうに
なにひとつ残ることのない
うつくしい
消え去りぶりなのです
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