根だけがさまようということもあろう。
ここで色について思いめぐらす古樫亮太朗君という
のに近い名前の人が
根城浜で遺体で発見されたことがあった。もう27年ほど前の
喫茶《ティンカーベル》での
いつも白いウールのガウンのような外出着を着ている気弱そうな
名前は忘れてしまったが、自称詩人とのおしゃべりで
聞いた話によれば。
古樫亮太朗、知らない
根だけがさまようということもあろう。
くつわ虫が雑木林を抜けていく小径に落ちていたのを
拾ったのは、あれは4,5年前の秋
拾い上げると、まだ生きていて、潰されてもいなくて、ちょっと
弱っているだけのようで、教えなければいけない
数学の問題いくつかについてもっといい説明のしかたがないか考え ながら
小径を雑木林から隔てる柵のひとつの杭の上に置いた。
さまよう根はさまよわせておけばいいのだろうが、ふいに
春めいた真冬の週半ばのある日、あと小一時間ほどで出かけねば
ならない気ぜわしい時に、洗面所の前の廊下の宙に、
漂ってきたりしたら、
どうか?
どうするのか?
根だけがさまようということもあろう。
と
つぶやいてやるに限る
さまよう根を尊重してやるのだ。
くつわ虫を、 数学者になりたがっていた峰岸君と捕まえたことはない。
ぼくらの家は近かったので、丘を上がった農場のキャベツ畑で、
モンシロチョウをいっぱい捕まえたり、秋には、
あちこちの雑草の枯れた茂みの中でコオロギを捕まえたり、
夏には4時前に待ちあわせして雑木林の蜜の出ている木々をまわっ て
カブトムシやクワガタを捕ってまわって、 帰宅すると眠くなってしまって
また布団にぶっ倒れたりしていたものだが、くつわ虫は、
いっしょには採ったことがない。
根だけがさまようということもあろう。
ぼくは根だ。
何年も生きてきての、結論。
さまよう根だ。
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