ときどき
詩とはどういうものか
間違ったものを
詩だなどと
言い張ったり
見せあったりしている輩に
真っ正面から
教えてやりたくなる
童話集
ということになっているけれど
宮沢賢治の
『注文の多い料理店』の
序
なんかは
丸ごと
詩
なのだ
ときどき
ふり返って読んだら
もう
他のものなど
しばらく読まないでいいくらいの
詩
なのだ
わたしたちは、
氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、
はたけや森の中で、
ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、
みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、
どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、
あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、
これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、
あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日
宮沢賢治
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