2022年11月17日木曜日

吉岡実の書きつけた一行に

 

 

 

具体性はすでになく*

 

という

吉岡実の書きつけた一行に

おととい

七里ヶ浜あたりを

ひとり

歩いていて

救われたようだった

 

そのあたり

市川純江さんとむかし歩いて

浦の苫屋

と呼びたいような

漁師の粗末な物置小屋に入って

歩き疲れた純江さんが

うつ伏せに寝て

薄い生地の夏のスカートのにじり上がるままに

たぶん

誘っていたのだろう

それほどまでに

あれほどまでに

でも

そのままに

疲レタ?

ズイブン歩イタモノネ

デモ

モットモット

行クンダヨ

鎌倉駅マデ行ッテ

電車ニ乗ッテ帰ルンダモノネ

話しことばで

距離をとり続けて

 

何度も

何度も会って

純江さんの家にも行って

いつも

話しことばで

距離をとり続けて

 

具体性はすでになく

 

具体性はすでになく

 

あの頃

子宮の病気で

毎月

大学病院通いをしていた純江さんは

私立高校の教員になると言って

故郷に帰って行ったが

たまに来る

便りには

病気はあいかわらずで

東京の大学病院まで

毎月

出てくると

あった

 

便りが絶えたのは

いつだったか

 

具体性はすでになく

 

具体性はすでになく

 

べつに

困惑してもおらず

なにか

思いつめてもおらず

ただ茫洋と

いよいよ

とりまとめようもない

歩く影となって

七里ヶ浜あたりを

ひとり

歩いていて

 

なにかの備忘のため

小さな手帖に記しておいた

吉岡実の一行に

救われたようだった

 

救われるべきことが

なにか

あったわけでも

ないようだし

救われたのか

どうか

わからないのだが

 

それでも

救われたようだった

 

具体性はすでになく

 

という

吉岡実の書きつけた一行に

おととい

七里ヶ浜あたりを

ひとり

歩いていて

 

 

 

 

*吉岡実「聖あんま語彙篇」(詩集『サフラン摘み』1976所収






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