2022年11月7日月曜日

ああいう遊び方 こういう遊び方

 

 

 

森鴎外は萎縮腎で死んだ

 

享年六十

まだまだ

若い

現代だったら

死ぬのなど

まだ

許されない

 

小島政二郎に

「これは死病で、治療の方法がない」*

と言った

 

「こうなったら、人間もおしまいだ」

そう言って

目尻に皺をよせて笑った

 

鴎外は医者なのに

治療や薬の効果を信じていなかった

鴎外ほどの医者だから

というべきか

小島政二郎に語ったところでは

「薬には病気を直す力はない

病気を直すものは人間のヴァイタル・フォースだ」

「薬は多少その補助をする程度に過ぎない

しかも、薬には副作用がある」

だから

鴎外自身

「曾つて薬を服用したことがない」

 

「風邪など

じっと寝ていれば直る

アスピリンなんか飲む必要はない」

 

「外科的疾患は別だ

内科的疾病は

大小に拘わらず安静にしていれば必ず直る

僕は二十前後の頃胸をやられた

三十台の時コレラに掛かった

二度とも

薬を用いず

ただ安静にしているだけで直している」

 

萎縮腎にかかると

頻繁に尿意を催すという

夜中に目覚めると

晩年の鴎外は

しばらく

そのまま起き続けて

「元号考」の原稿を書いた

 

「この上

病が進むと

足に浮腫が来る

それが最後だ」

 

医者としての冷静な判断で

鴎外は

こう語っていた

 

浮腫が出て来るまで

帝室博物館総長兼図書頭の任にあった

 

図書寮の坂を

ノロノロと

這うように登っていく鴎外の姿が

職員に目撃されている

 

右の足を引き摩るようにして

前へ出す

次に左の足を同じように

引き摩るようにして

前へ出す

気息奄々という言葉を

絵にしたら

こんなだろう

職員は思ったという

 

図書寮には

厖大な未整理の書籍があって

山と積まれていたという

晩年の病軀を抱えて

時間も体力も失われていく中で

それら書籍の整理が

鴎外の気にかかっていた

 

「図書寮の倉の一つに

十二畳くらいもあろうか

そこに

諸外国から寄贈された本が

床から天井までギッシリ詰まっている

どんな本がそこにあるのか

何十年来代々の長官が

誰あって一指を染めた者もない

勿体ない話だ

そこで

自分が率先して整理に当ろうと思い

ドイツ語

フランス語

漢文等

自分の読めるものは自分で読み

他はそれぞれの語学者を煩わしてこれを読ませて

一通りの目録を作ろうと思っている」

 

これが

鴎外という人だった

 

小島政二郎は

こう嘆いている

 

「陸軍の衛生学をやらせれば

人並以上にやりこなすし

医務局長も勤まるし

美術院長も勤まるし

六国史校訂委員長も勤まるし

博物館総長も勤まるし

図書頭も勤まるし

揚句の果に図書寮の蔵の掃除まで引き受けたり

「帝諡考」や「元号考」の執筆に時間を取られたり

新詩社流の和歌を作るかと思えば

常磐会詠草のような三十一文字も作れる

――させれば何でも出来る先生が

私には飽き足らなかった

やればすぐ出来るのがイケないのだ

つい気軽に引き受けられる」

 

つねに

「ただただ時間を惜しまれて

しじゅう何か仕事を」していたという

身のまわりは質素で

小島政二郎が鴎外宅の観潮楼に招かれて

いっしょに食事をした時は

「御飯は半搗米

おかずは竹の子

その外二皿ぐらい

何か付いていたが

要するに

質素なものだった」という

しかし

「先生は

竹の子が好物で

殆ど出盛りには毎日召し上がる

と言っていられた」

 

食べ終えると

鴎外は

自分で食器を洗ってしまう

 

「食後にお茶を飲みながら

先生は

茶碗や皿や

箸も

みんな奇麗に手早く洗ってしまわれる

先生のお膳の上の皿小鉢は

どれもこれも

舐めたように奇麗だ

それが実に手早い」

 

「これはいつか永平寺へ行って

坊主の食事の仕方を見て

覚えて来たのだ」

と鴎外

 

風呂も入らなかった

という

 

「興に乗って

先生は御自分の入浴法を

畳の上へ手で茣蓙を敷き

手でバケツを二つ置きなどして

話された

先生は入浴されないのだ

お湯で体を拭くだけ

それでいて

垢一つない

そう言って自慢された

湯も水も

畳に一滴もこぼさないと言って

そのことも自慢された

日清日露両役の戦地における経験が

そのまま習慣になったのだ

とも言われた」

 

実用一点張りの

まったく

無駄のない生活ぶりだったが

小島政二郎は

もっと生活上の無駄をしてほしかった

と言う

 

「漱石が南画や書を楽しんだように

荷風が日和下駄を穿いて

東京のそこそこを漫歩して楽しんだように

先生にもぼんやりと

何もせずに

遊んでいる時間がほしかったと思う

(…)先生の和歌や俳句がまずいのは

当たり前である」

 

私などは

鴎外の全著作は

それこそ

漫歩であり

遊びそのものである

と思う

後期の史伝も

他人にはいかめしく見えても

遊び

史伝の対象に選んだ人物たちが

いわゆる有名人でなく

歴史に大きく関わる人物たちでなかったのが

はっきりと

それを示している

史伝の文章は

切り詰めた名文からなると見られるが

よく見れば

あれらの文章には揺れがあり

遊びがある

 

ああいう遊び方というのも

あるのだ

 

『舞姫』から始まって

鴎外の文章が

漫歩であり

遊びでなかった時が

あるだろうか

私は思っている

 

今どき

小島政二郎の文章を

好んで読んでみるという人も

少ないだろうから

今となっては古本屋でしか入手できない

『鴎外荷風万太郎』から

ところどころを引っぱって

私も

すこし

遊んでみた

 

こういう遊び方というのも

あるのだ

 

 

 

 

*鴎外に関する小島政二郎からの引用は、すべて『鴎外荷風万太郎』(文藝春秋新社、1965)による。






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