いそがし過ぎるので
ガザとか
イスラエルとか
ユダヤ人とか
パレスチナとか
あのあたりのことにばかり
こちらの意識を
集中させているわけにも
いかない
とはいえ
イスラエルの異常さについては
人類史的な精神医学的問題と思うので
あれこれと考え直さざるを得ないし
いろいろと調べざるを得ない
つかの間だが
地球に潜入して
この星の特性や人類の研究をする任務を持つ者の
最低限のつとめ
ひとはすぐ
ユダヤ教の性質や
タルムードの奇矯さなどに
ユダヤ人の思考や行動の特性を求めようとするが
紀元前15世紀頃からの
彼らの祖先が被った激しい過酷な歴史変動について
彼らがたぐい稀な記憶を潜在意識の中に保持していることにこそ
原因はあるのではないか
と思える
少なくとも
アッシリアやバビロニア
さらにペルシアやエジプトなどの
巨大軍事国家による
絶えざる圧力と
それによる滅亡や離散などの経験をしっかり見ないと
21世紀におけるイスラエルの行動様式は
まず
分析できない
ヨーロッパの歴史を
イギリス史をものさしにしながら見ると
視点を安定させられるように
古代オリエントの激しい興亡の歴史は
イスラエルという小国をものさしにすると
整理しやすくなるところがある
アッシリアからも
バビロニアからも
過酷な扱いを受けてきたイスラエルには
歴史の爪痕が
くっきりと
生々しく残されている
天才指導者キュロスⅡ世のペルシア帝国は
なかなか寛大で賢明な扱いをしてきたが
それでも
イスラエルが従順に支配下に下ったからのことだし
エジプトからは
冷酷一方というわけでない
複雑な扱いを受けてきた
風のように現われて
大ペルシア帝国を滅ぼしてしまう
アレクサンドロス大王の東征が
当然のことながら
シリアやパレスチナにも
及んでいたのを確認し直すところまで来ると
ガザのあたりについての印象も
こちらの意識の底で
さらに大きく変容しはじめる
ペルシア戦争の時に
アテネの神殿をペルシアが破壊したことへの報復を理由に
アレクサンドロスⅢ世は
コリント同盟の盟主として
ペルシア遠征に乗り出した
約37000人のマケドニア・ギリシア連合軍を率い
ヘレンスポントス海峡を渡り
グラニコス川のほとりでペルシア駐留軍を破る
そうして
その年のうちに
小アジア全土を征服してしまう
アレクサンドロスⅢ世は
シリアの入口のイッソスの戦いでダレイオスⅢ世を退け
シリア・パレスチナ海岸地帯を南下し
この時にこの地域のほとんどの都市を無抵抗のまま服従させるが
ティルスとガザは抵抗してきたので
戦って征服することになった
その後
ガザからすぐにエジプトに侵入し
メンフィスに無血入城する
アレクサンドロスⅢ世は
ペルシア支配からのエジプトの解放者とされ
エジプト人から讃えられて
ファラオの称号を与えられたり
アモン神の子と讃えられたりした
アレクサンドロスⅢ世は
地中海側に
港湾都市アレクサンドリアの建設を命じるが
これをうけて
オリエント各地に
同じ名前の都市建設がなされていくことになる
現在のガザの
どのあたりの道をどのようにたどって
エジプトとの国境の
どのあたりをさらにたどって
アレクサンドロスⅢ世は
エジプトに侵入していったのか?
現状を伝える多くの写真や
映像を見ながら
たぶん
今の世界で
わたしひとり
アリストテレスの弟子の
アレクサンドロスⅢ世の紀元前333年の姿を
かの地の
ひかりや埃や瓦礫や
血や
死体や
叫喚のなかに
望見しようとしている
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