2023年11月7日火曜日

熱心党やティシャベアブやユダス=マカバイオスや


 


 

 

われわれの憎悪があまりにも激しい時、

その憎悪はわれわれを、

憎んでいる相手よりも一段劣る人間にする。

                                      ラ・ロシュフーコー

 

 


 

ハマスによるイスラエル攻撃

それがイスラエル側の企みに連動していないという確証は取れない

という事件から思い出されるのは

ローマの総督によるパレスチナ統治が行なわれていた頃に

ユダヤ人たちのなかに作られた

熱心党(ゼイロータイ)というテロ組織のこと

 

熱心党は

山に作った要塞から下りてきては

ローマの官吏を襲撃したり

村や町に出没しては

ローマ側につく者たちの家財を略奪したり

容赦なく殺害したりしたものだった

 

熱心党の刺客たちは群衆にまぎれ込み

匕首でローマ人たちやその協力者たちを襲っては

群衆に紛れて姿をくらました

ローマに協力的な大祭司でさえ暗殺された

もちろんローマ官憲はそのたびに

報復のために取り締まりを強化したので

パレスチナ各地で全面的な反乱の様相を呈していった

 

ローマに統治されていた時代のユダヤ人たちの熱心党は

どうしても

イスラエルに支配されている現代のパレスチナ人たちのハマスに

二重写しになる

 

その後にユダヤ人は

ローマの支配に対して二度「ユダヤ戦争」を起こして抵抗するが

第一回ユダヤ戦争(66年-70年)ではウェスパシアヌスに鎮圧され

エルサレム神殿(第二神殿)を破壊されてしまう

60年ほど後になって

ハドリアヌス帝がエルサレムをアエリア・カピトリナと改名しようとし

エルサレム神殿跡にユピテル神殿を建てようとし

割礼を時代遅れの野蛮行為として禁止しようとしたことに反発し

みずから「バル・コクバ(星の子)」と称して

救世主を自認するシメオンという男が反乱を起こしたことで

131年の第二回ユダヤ戦争が起こることになるが

この時はひとたびはエルサレムをユダヤ人が奪回するものの

数年後にはユダヤ人の反乱拠点が堕ちて

ローマ軍に鎮圧され

バル・コクバを含めた10万人のユダヤ人が殺された

135年にはローマによってエルサレム神殿跡が徹底的に破壊され

これによってユダヤ人はパレスチナから追放され

メソポタミア地方やローマ帝国内の各地に四散して行き

いわゆるディアスポラ(離散)の憂き目に遭うことになった

 

ハドリアヌス帝はユダヤ教とユダヤ文化の根絶を図り

ユダヤ教指導者たちを殺害し

ユダヤ暦を廃止し律法の書を廃棄した

属州「ユダヤ」の名を廃し

ユダヤ人に敵対するペリシテ人の名を取って

属州「シリア・パレスチナ」とし

パレスチナの名が現代まで続くことになる

 

ユダヤ人の反乱拠点が堕ちて

バル=コクバら10万人のユダヤ人が殺された日も
135年にエルサレム神殿跡が徹底的に破壊された日も

同じティシャベアブ(アブの月の9日)だったという
「ティシャ」は「9番目の」

「ベアブ」は「アブ月の」ということで

ヘブライ語ではתשעה באב と書く

 

この日には

ユダヤにとって歴史上の五つの悲劇が起こったとされ

上述のユダヤ戦争敗北に関わるふたつの出来事のほかに

モーゼがカナンに遣わした偵察者が

カナンを荒れたひどい土地と報告して神の怒りを買った日でもあれ
ソロモン王の建築したユダヤ第一神殿が

紀元前586年に新バビロニア王国によって破壊された日でもあり
紀元70年にユダヤ第二神殿がローマ帝国に破壊されたのも

この日だった

 

4世紀には

ユダヤ人は年に一度

エルサレム滅亡のこの日に

旧神殿の壁にすがって祈る事が許されたが

これが「嘆きの壁」の由来となった

アブの月の9日のティシャベアブに起こったことについて

さらに言えば

もっと近い時代でも
1290年にはイギリスでエドワード一世によって

すべてのユダヤ人が英国から追放され
1306年にはフランスからのユダヤ人の追放
1492年にはスペインからすべてのユダヤ人追放がなされている

偶然というにはあまりに出来過ぎていて
ユダヤ人にとっては

忘れようにも忘れられない嘆きの日となっている

ほかにも
ハマスに二重写しになって見えてしまうものとして

いわゆるマカベア戦争を主導した

ハスモン家のユダス=マカバイオス(マカベウス)の姿もある

これは

時代的にずいぶんと遡る

 

紀元前538年頃

ユダヤ人は

ペルシア帝国のキュロス2世によってバビロン捕囚から解放され

ペルシアの公用語アラム語の影響下に

アラム文字系統のヘブライ文字を使用するようになったりして

しばし安寧の文化的な発展期を過ごすが

ペルシア帝国が滅亡すると

アレクサンドロスの帝国や

プトレマイオス朝エジプトや

セレウコス朝などに支配される時代に入っていく

 

ヘレニズム時代のセレウコス朝は

ギリシアのゼウス信仰を強要して厳しくユダヤ教を弾圧したので

ここでハスモン家のユダス=マカバイオス(マカベウス)が立ち

マカベア戦争を起こして政治的・宗教的自由を獲得することになる

現在のパレスチナ側のハマスに

紀元前6世紀のユダヤ人のマカベウスが

重なって見えてきてしまうのだ

 

非常に長い尺度で歴史をふり返ってみると

このように

敵がこちら側のイメージをとって見えてきたり

こちら側が敵のイメージになってしまっていたりする

 

ユダス=マカバイオス(マカベウス)は

ユダヤの英雄として語り継がれることになり

その頃とはなんの関係もないような現代でも

じつは

これに関係するものが

世界中に広がって用いられている

ヘンデルが作曲した

オラトリオ『マカベウスのユダ』がそれで

あの中の合唱曲

「見よ、勇者は帰りぬ」は

授賞式や表彰式や卒業式で演奏される

定番の音楽となっている

 

https://www.youtube.com/watch?v=8p1BedwyFKY

 

https://www.youtube.com/watch?v=7e06JEupzvA

 

 





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