2023年11月20日月曜日

ペリシテ人という硬い石

 

 

 

サウルは言った

「今夜ペリシテ人に追い打ちをかけ、

明け方まで略奪を続けよう。

一人も生きたまま残してはおくまい」

      サムエル記上14-36

 

 

 

 

石を磨くには

べつの硬い石で磨く

 

イスラエル人を強く磨き上げたのは

ペリシテ人の存在だった

パレスチナという名は

この「ペリシテ」から来ている

 

ペリシテ人は「海の民」であり

紀元前13世紀後半から紀元前12世紀前半に

エーゲ海やアナトリア南西部から

東部地中海地方に大挙して侵入した人間の群れをいう

人種的には混成であったらしい

 

彼らの移動によって

アナトリアのヒッタイト帝国や

北シリアのアムル王国

シリアの商業都市国家ウガリットやアララクは

みな滅んでいった

 

「海の民」たちは

エジプトへの侵入を図ったが

エジプト第二十王朝のラメセス三世は

国を挙げての陸海の大戦争を行ない

「海の民」たちを撃退した

 

そうして「海の民」たちは

シリアやパレスチナの海岸地方に定着する

紀元前12世紀中頃までに定着した者たちを

エジプトの文書は「ペレシャティー」と記している

これがペリシテ人であり

彼らは海岸地方の

ガザ

アシュケロン

エクロン

ガト

アシュドド

という

五つの都市国家を征服し

ペリシテ人の都市国家に作りかえて

相互に同盟を結び

今度はカナンの内陸部へと侵攻していった

これまでのカナンの都市は

この時に破壊された

 

ペリシテ人がカナンの内陸部に侵攻する時期に

西部の山岳地帯から

逆方向で

カナンの平野部へと侵攻していった者たちがいたが

これがイスラエル人だった

 

カナンで激突することになる

紀元前のこの二つの群れは

現在のイスラエル人とも

パレスチナ人とも異なっているが

イスラエルの名と

パレスチナの源であるペリシテの名が

はやくも紀元前12世紀から11世紀に衝突することになったのは

興味深い

 

イスラエルにおいては

信仰するヤハウェ神が

そもそも「奴隷の家から解放する」神であり

人間が人間を支配することを認めない

反王権的性格を持つ神であったので

民族として形成された後も

数百年は王制を採用しなかったが

ペリシテ人に対抗するために

それまでの自給自足的

かつ氏族社会的な共同体構造を

強い権威で統率する集権化に変容させて

社会構造の組織化や

階層化

分業的多様化

などを推進する必要に迫られた

 

というのも

ペリシテ人は強力な軍隊を持っていて

職業軍人からなる重装歩兵を編成しており

鉄の武器や戦車軍団や弓兵を軍事力の軸としていたためで

イスラエル人は

こうした圧倒的なペリシテ人の軍事力の前に

度重なる敗北を経験し

神との「契約の箱」も奪われ

最大拠点にして聖所のシロも破壊された

 

こうしてイスラエル人は

王制の採用へと向かっていくことになるのだが

そう簡単に進んでいくわけではない

サムエル記では

王を求める民衆の要求を「悪」と記しており

王を求めることが

イスラエルの唯一の本来の支配者ヤハウェを退けることとして

認識されている

王は民を搾取し圧迫するものである

とサムエルは指摘して民に警告しているが

これは政治学の永遠の大問題が

すでに古代イスラエルにおいて

明確に認識されていたことを物語っている

王国以前のイスラエルは

中心的権力を形成してしまうことを意図的に回避しようとし

氏族社会においての権力分散や

平等主義的秩序を維持しようとしており

分節社会(segmentary society)

無頭制社会(acephalic society) と呼ぶべき社会理想像を

持っていたことが

現代の古代イスラエル研究では語られている

 

もちろん

分節社会(segmentary society)

無頭制社会(acephalic society) を理想とした

王国以前の古代イスラエルの精神が

そのまま現代のイスラエルの振舞いを規定しているなどと

能天気に考えてみたいわけではない

サムエルの警告にもかかわらず

イスラエルはベニヤミン族のサウルを初代の王の座に就かせ

サウルは臣下にダヴィデを持ったことで

有能で人望のある次世代への旧世代の嫉妬と妨害の物語が始まり

古代イスラエルはまったく別の問題圏へと突入していくからだ

 

ベツレヘムの羊飼いの息子ダヴィデの能力を恐れて

サウルはダヴィデを殺そうとしたため

ダヴィデはなんと敵側のペリシテ人の地へ亡命し

そこで傭兵となって土地を与えられる

ダヴィデはこの後

いったんイスラエルのうちのユダ部族の王となり

ダヴィデ側の将軍ヨアブがイスラエル王国の将軍アブネルを殺し

すでに戦死していたサウルの息子エシュバアルも暗殺されることで

ユダ王国とイスラエル王国の王を兼務することになる

 

古代イスラエルのこの頃の面白いところは

ふたつの国を統一したりせずに

あくまでふたつの国のままで王だけを共通の王とした点にある

40年におよぶダヴィデの治世の後に

息子のアドニヤとソロモンとの権力闘争が起こり

かつてヘト人ウリヤの妻だったバト・シェバの息子

ソロモンが勝って

残酷な粛清の時期を経た後に

経済的・文化的な繁栄が謳歌されるソロモンの治世が来ることになる

ソロモンはエルサレムの拡張工事や建設事業を進め

エルサレム神殿を建て

軍事的にも歩兵戦隊中心から

戦車隊中心の戦術に変更していく

 

ソロモンの死後には

王国の分裂が来ることになるので

古代イスラエルは

次々と

歴史的にも

物語的にも

政治形態的にも

現代にまで伝承されるかたちで

さまざまな

人類的課題を発生させていくことになる





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