2020年3月16日月曜日

ラッキーでなければいけない




犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの
                                                                                             奥村晃作




一生うだつのあがらないサラリーマンだった父は
たった一度
独立しようとして
田舎に塗装工場を持ったことがあった

春になると
あたり一面に桃の花が咲く田園で
濃い桃色の花から花へ
ぐるりぐるりと歩きまわっているだけでも
飽きるということがなかった
桃源郷などということばを
まだ知らない頃だったが
子どものぼくには
そこは桃源郷そのものだった
ぐるりぐるりと歩きまわっているだけで
まったく飽きない
こんな場所は
めったにあるものではない

工場に番犬が必要だというので
ドーベルマンの子犬をもらってきて
ラッキーと名づけた
工場に連れていく前に
動物を飼えない団地にいったん連れてきたが
散歩させに外に出れば
リードも切れんばかりに
やみくもに走っていってしまうし
家のなかに連れ帰れば
部屋から部屋と駈けまわるし
なんでもかんでも噛み切ろうとするし
あちこちにおしっこはするしで
大騒ぎとなった

工場に連れて行かれてから
ラッキーはぐんぐん大きくなったが
ときどきぼくが工場に行くと
シッポをちぎれんばかりに振って
前脚を持ち上げて抱きついてきた
遊んでくれる人がいないんだなと思い
ぼくが行ったときは
さんざん引っぱられながら
桃の木々のなかをあっちにこっちに
いっしょに走ってまわった
濃い桃色の花の咲いている時期も
花が落ちてしまった後の
やわらかい若葉の頃も
葉の色の濃くなっていく頃も

独立したものの
やはりうまくいかず
父が工場を閉めることになった時
いろいろ整理をするので
それはそれで忙しいようだったが
なにもできないぼくは
ぼんやりと工場のまわりを歩きまわったり
ラッキーの前で腰を下ろして
だらだらとかまってやったりしていた
その頃にはもうラッキーも
以前ほどはしゃがなくなって
黙って小屋の前で座っていたりしがちだった

もう番犬はいらなくなってしまったので
ラッキーはだれか人にあげるのだと聞いたが
なぜだかぼくはそれだけで納得して
だれにラッキーをあげたのか
その後のラッキーはどうなったのか
質問をしないで済ましてしまった
ぼくはまだ人や世間というものを信頼していたので
ラッキーはどこかの家で
あいかわらずうまく生きていくと信じていて
もう成長してきたものだから
以前ほどはしゃいだりあばれたりしなくなったものの
黙って小屋の前で座ったりしながらも
そこそこ楽しくやっていけるのだろうと
信じて疑わなかった

このあいだ散歩していて見たのだが
大型犬が公園のトイレの前でじっとお利口に座って
ご主人さまが戻ってくるのを待っていた
戻ってきたご主人さまが犬をからだじゅう撫でてやると
犬はどの犬もそうするように大喜びして
口を開け舌を出してからだじゅうをぶるぶるさせて
ご主人さま、お帰りなさい!
と全身で表わしていた
あゝ、なんてしあわせに生かされている犬だろう
と思いながら
子どもの頃のラッキーのことを思い出して
ぼくはあんなふうにラッキーにしてやれなかったし
ぼくの家はあんな生き方を許してやれなかったし
ラッキーがどこにもらわれていったかさえ
ぼくは確かめもしないで過ごしてきてしまった!
としきりに思われて
飼い主でこそなかったものの
でもラッキーをいちどは家に迎え入れた子どもとして
ずいぶん情けないやつだった
と思わざるをえなかった
この思いには
長いながいあいだ
対面しないできていたな
と気づいた
対面しないできたことが
ぼくのこころのどこかに蓋をしてきていたんだな
と気づいた

ラッキーはもちろん
とうのむかしに死んでしまっているはずだが
ぼくがちゃんと育てられなかったラッキーの居場所が
この時ようやく
こころのなかの忘れていたところに
ふたたび拓けてきたようだった

そこには犬を住まわせるのがよさそうだ

でも
ほかの犬をではなく
子どものぼくがちゃんと育てられなかった
いまはこの世のどこにもいないラッキーだけを
迎えるのがよさそうだ
そこには

ラッキーでなければいけない
ぼくの犬は




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