犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの
奥村晃作
一生うだつのあがらないサラリーマンだった父は
たった一度
独立しようとして
田舎に塗装工場を持ったことがあった
春になると
あたり一面に桃の花が咲く田園で
濃い桃色の花から花へ
ぐるりぐるりと歩きまわっているだけでも
飽きるということがなかった
桃源郷などということばを
まだ知らない頃だったが
子どものぼくには
そこは桃源郷そのものだった
ぐるりぐるりと歩きまわっているだけで
まったく飽きない
こんな場所は
めったにあるものではない
工場に番犬が必要だというので
ドーベルマンの子犬をもらってきて
ラッキーと名づけた
工場に連れていく前に
動物を飼えない団地にいったん連れてきたが
散歩させに外に出れば
リードも切れんばかりに
やみくもに走っていってしまうし
家のなかに連れ帰れば
部屋から部屋と駈けまわるし
なんでもかんでも噛み切ろうとするし
あちこちにおしっこはするしで
大騒ぎとなった
工場に連れて行かれてから
ラッキーはぐんぐん大きくなったが
ときどきぼくが工場に行くと
シッポをちぎれんばかりに振って
前脚を持ち上げて抱きついてきた
遊んでくれる人がいないんだなと思い
ぼくが行ったときは
さんざん引っぱられながら
桃の木々のなかをあっちにこっちに
いっしょに走ってまわった
濃い桃色の花の咲いている時期も
花が落ちてしまった後の
やわらかい若葉の頃も
葉の色の濃くなっていく頃も
独立したものの
やはりうまくいかず
父が工場を閉めることになった時
いろいろ整理をするので
それはそれで忙しいようだったが
なにもできないぼくは
ぼんやりと工場のまわりを歩きまわったり
ラッキーの前で腰を下ろして
だらだらとかまってやったりしていた
その頃にはもうラッキーも
以前ほどはしゃがなくなって
黙って小屋の前で座っていたりしがちだった
もう番犬はいらなくなってしまったので
ラッキーはだれか人にあげるのだと聞いたが
なぜだかぼくはそれだけで納得して
だれにラッキーをあげたのか
その後のラッキーはどうなったのか
質問をしないで済ましてしまった
ぼくはまだ人や世間というものを信頼していたので
ラッキーはどこかの家で
あいかわらずうまく生きていくと信じていて
もう成長してきたものだから
以前ほどはしゃいだりあばれたりしなくなったものの
黙って小屋の前で座ったりしながらも
そこそこ楽しくやっていけるのだろうと
信じて疑わなかった
このあいだ散歩していて見たのだが
大型犬が公園のトイレの前でじっとお利口に座って
ご主人さまが戻ってくるのを待っていた
戻ってきたご主人さまが犬をからだじゅう撫でてやると
犬はどの犬もそうするように大喜びして
口を開け舌を出してからだじゅうをぶるぶるさせて
ご主人さま、お帰りなさい!
と全身で表わしていた
あゝ、なんてしあわせに生かされている犬だろう
と思いながら
子どもの頃のラッキーのことを思い出して
ぼくはあんなふうにラッキーにしてやれなかったし
ぼくの家はあんな生き方を許してやれなかったし
ラッキーがどこにもらわれていったかさえ
ぼくは確かめもしないで過ごしてきてしまった!
としきりに思われて
飼い主でこそなかったものの
でもラッキーをいちどは家に迎え入れた子どもとして
ずいぶん情けないやつだった
と思わざるをえなかった
この思いには
長いながいあいだ
対面しないできていたな
と気づいた
対面しないできたことが
ぼくのこころのどこかに蓋をしてきていたんだな
と気づいた
ラッキーはもちろん
とうのむかしに死んでしまっているはずだが
ぼくがちゃんと育てられなかったラッキーの居場所が
この時ようやく
こころのなかの忘れていたところに
ふたたび拓けてきたようだった
そこには犬を住まわせるのがよさそうだ
でも
ほかの犬をではなく
子どものぼくがちゃんと育てられなかった
いまはこの世のどこにもいないラッキーだけを
迎えるのがよさそうだ
そこには
ラッキーでなければいけない
ぼくの犬は
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