2020年8月15日土曜日

わたしの自由詩形

 

自由詩形

というものは嫌なもので

そろそろ

縁を

切ろう

と思っている

 

自由詩形

では

まったく

なにも

自由に言えた気がしない

 

ロラン・バルトも逝き

あんなにうるさい批評家揃いだったポストモダンの時代が

ろくに理解も受け継ぎもされずに過ぎてみると

創作

というようなことを

平気で言う人が

ボコボコと音を立てるように出てきて

一気に

十九世紀の象徴主義以前に戻ってしまったかのような文芸シーンだ

その頃には大っぴらには使えなかった

自由詩形

アポリネールの苦労や開き直りも思わずに

使いまわす

のが

当たり前の時代が到来してしまった

 

それに

平然と乗っかって

自由詩形

しゃべくりまわしてきた

軽佻浮薄な

わたし

というものもいたわけだ

死ね

死ね

死ね

わたし

 

後で読み返してみると

~かも

~だろうか

~かもしれない

などという

朦朧帰結を多用しているところもあったりするが

わたし

たいていのことについては

すべてを断定的に結論し終えているタイプなので

そういう言いまわしや結び方は

もちろん

ぜんぶ嘘だった

 

自分にしか存在のわからない

ちゃちなエゴと

身過ぎ世過ぎのなれ合いをやってきた痕が

わたし

自由詩形

だった




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