2020年10月29日木曜日

たぶん、水都ゆららはプールに戻らない  1

1 私、水都ゆらら


 誰もいない真っ暗なプールの中に、水都ゆららは生まれた。

 気がつくと水の中にたゆたっていた。

ずっとそのままでいてもよかった。

水から顔を出し、水の外に上がったほうがもっとよい、と感じた。

 プールから出ると、明かりのない巨大なプール室は真っ暗で、水の中にいるのとかわらない。

 違うのは、水の中では感じられなかった自重が全身の筋肉にかかってくることだった。

 いつか、これは辛くなるかも、と思った。

 いつか、プールの水の中へ帰り、完全に水に戻ってしまうかも、と思った。

 だが、今は我慢できる。自重よりも強い力が全身に通っていて、今はそれが私だと感じている。

 私は水都、と名前が来た。

 プールの水の外では名前が要る時がある、という思いがなぜかあって、その思いがこの名を呼んだのだ。

 そうなんだ、私は水都っていうんだ。

 名前を呼んだ思いが、下の名も必要な時がある、と呟いていた。

 すると、ゆららという名が来た。

 ゆららは、すぐに水都にくっついて、水都ゆらら、となった。

 私、水都ゆらら。

 上の名と下の名がくっついた水都ゆららは、小さな鏡のように彼女を写した。

 プール室から外に出る重いドアを開けると、空気が冷たかった。

 冷たすぎるほどではなかったが、手から腕にかけての肌を一気にひんやりさせるその冷たさが、今までいたプール室の温かさと、プールの水温の温かさを思い出させた。それらが特別な温かさだったのだ、とわかった。

 外、と水都ゆららは発音した。

 そうして、外が生まれた。

 裸だったので、外の空気の冷たさはすぐに全身に来た。

 外では裸ではいけない、と考える人たちがいる、という思いが来た。

 プールの水の温かさが後ろ髪を強く引いた。

 でも、外に入っていってみる、と水都ゆららは思う。

 外に出る、のではなく、入っていってみる、と思ったことの奇妙さに、水都ゆららは気づいていない。

外に出る、と思う人たちが多くいることを、まだ水都ゆららは知らない。




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