2021年3月1日月曜日

平行時間のいくつかの流れの中では

  

1998年8月11日朝

新宿駅へむかうべく

下北沢駅から乗った小田急線車内で

自分にとっての理想を完全に体現した女性に

わたしは出会った

 

30歳ぐらいの年齢で

赤ん坊を抱いていた

人妻なのだろう

しかし

顔も体つきも

身振りやしぐさの雰囲気も

これ以上はあり得ないほどの完璧さで

わたしの理想そのものとなっていた

 

というより

この女性を目の前にしたことで

はじめて

じぶんの内にこういう理想像が眠っていたことに

気づかされたのだった

 

もちろん

声などかけられない

赤ん坊を抱いた若い母親に

これからあなたと生きていきたい!

などとは

頼むわけにはいかない

 

しかし

こういう瞬間が起こったことで

人生の泉から

新鮮な水をじかに汲めた気がした

ときどき気づかされるように

人生はやはり

わたしの読み解けない謎の裏地の上に

縫い上げられているのだ

 

新宿駅に着いて

もちろん

この若い母親の後など追わぬまま

わたしは中央線ホームの先頭のほうに向かい

そこで歌人の坂本久美と落ちあって

ともに東京駅へ向かった

11時30分発の踊り子号185号6号車に乗って

川津温泉のリバーサイド川津へ向かった

石油業界の父を持つ坂本久美は

石油健保の保養所だったこの宿にわたしを

伴ってくれたのだった

 

川津温泉会館まで歩いて

温泉に入ったり周辺を歩いたり

他の日には

下田をながながと歩いて観光したりしたが

わたしは一時も

小田急線内で出会った女性のことを忘れなかった

あの女性の顕現によって

わたしの意識は完全に変質してしまい

それまでの日常には

もう戻れなかった

いっしょにいる坂本久美の姿も

ともに見る伊豆の風景も

料理のあれこれも

温泉の湯の揺れや湯気の流れも

とうの昔に過ぎ去ってしまった過去の

臨場感がありはするものの

思い出を構成する映像の

長いひとまとまりのシークエンスの流れに

過ぎないようだった

 

誰かと待ちあわせすると

よく

このような予期もしない出会いが

わたしの生には起こる

1998年の8月11日の場合

わたしは約束どおりに坂本久美と行動をしたが

そうしないで

出会った未知の人のほうを選んだことも

多かった

 

わたしが放り出した人たちが

平行時間のいくつかの流れの中では

世界のあちこちで

いまだに

わたしを待っていたりする





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