2022年10月15日土曜日

あれをどれだけいっぱい持てたか

 

 

 

「あの頃がいちばんよかったよなあ」

 とフレデリックが言った。

「うーん、そうかもなあ。あの頃が、いちばんよかったなあ」

 とデローリエが言った。

    ギュスターヴ・フロベール『感情教育』 末尾

 

 

 

あれやこれやについて

大学生が書いてくるコメントなどを見ていると

人間や世間への見方のあまりの甘さや

センチメンタルな夢見ごこちや

論理のおかしさが目について

こんなふうに思ったりしているのか!とか

こんな見方をしているのか!とか

思わされてしまう

 

けれども

そういうのをダメだと思うのは

やっぱり

よくないのではないか

と思うのだ

 

若い頃の

センチメンタルでいられる気分の時期を

じゅうぶん長く

センチメンタルでいさせてやりたい

と思う

 

若かった頃

だれにもまして

ばからしいような甘い思いのなかを

生き続けていたぼくだが

あれはあれで

なににも替えがたい貴重な時間だったと感じる

世の中を

だいたいは性善説で見ていたし

人間はとにかく良いほうに向かっていくと

進歩信仰を持っていたし

きれいな色のものに目がなかったし

面白いかたちや美しいかたちに惹きつけられ通しで

画集や写真集や美術館や野山へと

後から後から時間と労力をつぎ込んだりした

そうして

成長していくとともに

そのつど

心の浮き立つような時期が自分にもめぐってくると

確信し切って

どんな時もパステルカラーの夢を

心そのものにしていた

 

人間というのは

冷笑的になったり嘲笑的になったり

なにについても厳しく批判的に見る現実主義だとかいって

夢や理想や

甘い妄想をとことんバカにしたほうが

この汚濁の世に生きのびていこうとするかぎりは

絶対に勝ちで

歳を重ねるほどに

冷たい霙のように

この認識の必要性は

肌に

体じゅうの筋に

あちこちの神経のいたるところに

食い入ってくるのだが

 

しかし

しかし

それが本当に勝ちなのだろうか

やっぱり

思う

 

花よ蝶よと

甘い夢を追っている時間をふんだんに持てた者のほうが

やっぱり

本当の勝者ではないのか

終末の近づくほど

襤褸を纏い

食にも事欠くようになり

体もぽんこつになってきて

ともに夢を抱く仲間などすっかり失い果てて

アリとキリギリスの

あのキリギリスのように冬を迎えるのだとしても

本当の勝ちとは

若い頃のあの甘いセンチメンタルな夢の

あの大きさ

あのほんわかさ

あれをどれだけいっぱい持てたか

あれをどれだけ継続して持っていられたか

そこにこそ

あるのではないか

 

誰もが

うっかり忘れがちになるが

人間が死んで

この世を去って行く時

ただひとつ

失われずに本当に地上に残り続けるのは

花よ蝶よと追った

甘い甘い夢だ

センチメンタルな心の時間だ

性懲りもなく抱き続ける

世界と人間のこれからへの夢と期待と希望だ





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