ちょっとした小間切れ時間に
ポケットから取り出して
ニーチェなんぞチラ見するのは
けっこう楽しい
なんせ薄いので
誰もが知ったかぶりする
『悲劇の誕生』
思えば
論の展開のしかたばかりか
論旨やら内容も
すっかり忘れていたので
うるわしき
小間切れ時間と逢着するたびに
わが愛すべき
ポケットから取り出して
チラ見
チョロ見
していたら
なんと
その狂愚尊ぶべき
ニーチェは
あのトンデモ論考を
夢と哲学の緊密な関連から
語り出していた
ので
あった
夢の仮象性から
現実の仮象性に話を移していき
夢が仮象だというばかりでなく、
われわれが現にそのなかで生活し存在しているこの現実界の底に、
もう一つまったく別な第二の現実が秘められていて、
従ってこの現実もまた一種の仮象なのだという予感を、
哲学的人間は
いだいてさえいるのである。
そしてショーペンハウアーは、
人間やすべての事物がときどきただの幻影か、
あるいは夢のすがたと思われてくるような素質こそ、
哲学的能力の目じるしだといっている。*
と書いている
これより前のところでは
ワーグナーの『マイスタージンガー』から
ハンス・ザックスの歌う歌詞を引用しているが
ここでは
夢解きこそ詩の仕事だと言わせている
曰く
きみ、夢解きこそ
詩人の仕事だ
人間のいちばん真実な思いは
夢のなかにあらわれる
すべて
詩歌の道は
夢解きに
ほかならない**
*ニーチェ『悲劇の誕生』(秋山英夫訳、岩波文庫、1966)、
**同書pp.30-31を多少変更
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