2024年12月3日火曜日

広瀬川

 

 

 

告白しておかねばならないが、この跳躍をするかどうか、躊躇してしまう。

未知のなかへと、無限に落ちていってしまうのではないか、恐いのだ。

アンドレ・ブルトン『狂気の愛』

 

 

 

 

ネットやSNSというと

テレビや新聞などの旧メディアのみに慣れた者たちの

老人染みたなじりの対象だが

ネットにもSNSにも

写真!や映像!や

なんと多くの!無数の!

文字!文字!文字!文字!の集積!

 

文字もすべてイメージであり

表象なのだから

ネットもSNSも古代より伝わる大部の魔術秘伝書であり

細かな呪文の刻まれた魔法陣であり

もはや一枚に纏められ得ない重層的かつリゾーム的な曼荼羅で

イメージや表象の狩人たちには

一瞬たりとも見逃せない水流の表面や内部のごとき

豊かさの現場であるといえる

 

その流れのなかに

目を

指を

心的エネルギーをも

差し入れて

今日も写真や動画や文字の数々を漁る時

少なく見積もっても

ごく控えめに語ろうとしても

表象や記号や観念のフィールドワーク実践が

営々と続いていく

 

広瀬川白く流れたり

時さればみな幻想は消えゆかん。

われの生涯(らいふ)を釣らんとして

過去の日川辺に糸をたれしが

ああかの幸福は遠きにすぎさり

ちいさき魚は眼にもとまらず。

 

萩原朔太郎は

自然風景と彼の思念と感情を繋ぐ半導体としての

彼の表象メデイアのひとつの

広瀬川を

こう歌ったものだが

消え行っても

消え行っても

新たに流れ来る幻想というものや

流入と流出のそうしたシステムや

かつて定義した「幸福」が

いくら遠くに過ぎ去ろうとも

なおも

白く流れ続ける広瀬川メディアの前に

立ち続ける

べつの「幸福」を

じゅうぶんに文字表象に落とし込む労は

ついに

とらなかった

 

日本近代の

圧倒的な体力不足が

彼をして

そうさせているのだ

 

ただの

体力不足

 

ただの

発展性のなさ

 

ただの

冒険心の欠如

 

ただの

野次馬根性の

希薄さ





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