音楽を聴く、
という
音を鼓膜で物理的衝撃として捉えて
それが神経で脳へ伝達される、
と想像する
しかし
伝達されていく音の情報は
脳のどこかで
もう一段階の翻訳径路を経るのではないか?
音とはまったく違う
別の記号システムに変換され
それを感知することを
本当は
音楽を聴く
などと
われわれは呼んでいるのではないか?
ティボー・ガルシアとアントワーヌ・モリニエールのギターによる
バッハのゴルトベルク変奏曲の
第13変奏曲の演奏を聴きながら
また
こんなことを思った
Bach, JS: Goldberg Variations, BWV 988: Variation XIII (Thibaut Garcia & Antoine Morinière)
https://www.youtube.com/watch?
チェンバロ演奏が好きなので
この曲は
さまざまな演奏家のものを
さんざん聴いてきたが
ギター演奏も
このように弾かれると
いかにも
この曲にふさわしいと感じられる
30年近く前
ピアニストのガールフレンドがいた
ショパンを主に弾いていたが
わたしはその頃
ショパンには飽きていて
バッハやバロック全般に熱中していた
渋谷の道玄坂にあったヤマハのショップへ
ショパンの楽譜購入で
つき合ったことがあった
店内には
いくつかピアノが置いてあり
客は
自由に弾いて試すことができた
ショパンばかり練習している彼女に
ちょっと試すつもりで
「バッハなんかも弾く?
ゴルトベルクなんか、弾ける?」
と聞くと
手近のピアノに向かい
椅子に座りもせず
ゴルトベルク変奏曲の最初の曲であるアリアを
もちろん
楽譜など見ずに
最後まで弾いてしまった
まだ
道玄坂にヤマハがあった頃のことで
前後数十年にわたり
渋谷を
知り尽くしていた頃のことだった
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