2025年10月21日火曜日

今までは人のことだと思ふたに

 

 

 

 

母方の墓のある蔵前の榧寺には

江戸時代の狂歌師で戯作者の石川雅望の墓がある

狂名は宿屋飯盛だった

 

墓参りに行くたび

宿屋飯盛先生の墓前でも手を合わせてくる

 

テレビドラマで

江戸時代の蔦屋重三郎の話をやっているので

今年はなんとなく

宿屋飯盛先生の同時代人たちの

江戸のおふざけ文化や批判精神が

いまのケチクサイ日本の空気のなかにも

ちょっとは

混じり入ってきているかもしれない

 

とはいえ

江戸を超えていたかもしれない

昭和の終わり頃や

平成のはじめ頃の諧謔精神の横溢には

比ぶべくもないが

 

 

無意味に厳し過ぎる松平定信の政治についてクサして歌った

 

世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといひて夜もねられず

(蚊ほど=これほど)

(ぶんぶ=文武)

 

四方赤良(太田南畝)の作だったかどうか

確証はないようだが

たぶんそうだろう

と思っておくのは妥当な気がする

 

ユーモラスなおふざけ口調で

このように社会批判を行うというのは

日本語のみならず

言語表現の通常運転というべきもので

時の世の支配層や富裕層におべっかを使うような

歯の浮くような美辞麗句や

お上品ぶりや

品行方正ぶりなど

本来の言語活動からハズレまくりの

幇間どもの口ぶりと言うべきであろう

 

四方赤良は75歳で死んだようだが

死ぬ四ヶ月前の歌は

 

生きすぎて 七十五年食ひつぶし かぎり知られぬ天地の恩

 

というもので

しっかりとアホな自己への刃を向け続けている

 

死ぬ間際の最期の歌は

次のようで

最期の最期まで

自分をも笑い飛ばしている

 

今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん

 

なにかというと

メソメソとチープなお涙ちょうだい感傷路線や

きまじめ路線や

道学先生路線に陥りやすい

われらが醤油くさいニッポンブンカにあっては

平安や中世の短歌とはずいぶん違う

こんな底なしのおふざけ精神やユーモアセンスこそ失わずに

たくましく

自分も他人も

国とやらも

ジンルイとやらも

限界ありまくりの偏狭な感受性とやらも

しょせんは宇宙のなかのカビの繁茂を超えられない思考力とやらも

もちろん

想像力だの創造力だの

なにかと偉がる「くりえーしょん」だのも

すべてを笑い飛ばしつつ

おっちんで

行きたいもの

 

 




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