2025年10月5日日曜日

削ぎ落とす

 


 

 

自分の書いた

古い文章をひさしぶりに読み直してみて

 

よく書けているけれども

日本のこころ

とか

言いたいなにかを

わかったふりを

必死に

自分に対して

したかったのだろうなあ

たぶん

 

などと

昔むかしに

死んでしまった兄だか弟だか

だれかを

思い出してみるような

気になっている

 

こんな文章を書いたのは

いったい

誰なのだろう?

26年も前に

 

いっぱし

大人になったつもりで

成熟した

思考ができているつもりになって

 

誰?

いったい?

きみは?

 

端的に批評すれば

小林秀雄を必死に気取って

その気取りが

模倣が

板に付いた感じの

頃の

作文じゃないの

さ?

 

小林秀雄を削ぎ落とすのも

石川淳を削ぎ落とすのと同じように

蓮實重彦を削ぎ落とすのと同じように

いったん柄谷行人を経由して

さらに遅ればせに遡って

吉本隆明をクレンザーとして使ったように

難仕事だった

ランボーやバルザックやドゥルーズやル・クレジオを削ぎ落とすのに

デュラスやアニー・エルノーが

必要だったように

 

現代詩を削ぎ落とすのに

ウォルト・ホイットマンが必要だったように

ヴィクトル・ユゴーが必要だったように

蘇軾や白居易が必要だったように

万葉から勅撰二十一代集までが必要だったように

 

 

 

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日本のこころ  1999.6.5



 ひさしぶりに国立劇場で勧進帳を見た。

 富樫が関の通行を許可したあと、義経が弁慶の機知に感謝し、労う。ことばはむしろ少なめで、主従のこころとこころの間で伝えられ、受けとめられるものが舞台を領するその場面で、斜め前の婦人が何度も涙を拭いていた。眼鏡をはずしては拭い、掛けてはまたはずして、拭う。劇は劇場という場に発生するのでなどなく、観客のこころのなかにだけ発生する。劇場という空間だけを拡大してなされる演劇論が、立論はしやすくとも、どんなに空疎か、個々人のこころという、だんじて一様に扱えない真の舞台をずいぶんと薄っぺらに見て、芸術論や芸術鑑賞の心理を説くことが、どれほど多くのものを損なうか。そんなことを考えて、その婦人のハンカチの動きを見た。
 おかげで、多少、気は散ってしまい、涙が込みあげるなどということはなかった。

 それでもよかった。勧進帳は何度も見たし、そのつど役者たち個々の味に接したし、目頭を熱くするような情動を今回持つに到らなかったからといって脳裏をめぐる過去のさまざまな舞台を同時にこころのなかに見ることは、やはり楽しかったのである。

 帰りの道すがら、婦人の涙を拭う姿はこころに消えず、勧進帳のあの場面で涙するのは、どういうことだろうなどと、愚かといえばずいぶん愚かな疑問を持った。むろん、こころが動いたから泣くにきまっているのだし、なにでこころが動くかは、ひとにより、経験によるだろう。培われてきたこころのありかたや、琴線の張り様によるのだ。わかりきったことだ。だが、こんな答えがほしくて抱いた疑問ではなかった。あの婦人はなぜ泣いたのかという、この疑問自体のほうが、よほど答えの体を成しているではないか。答えというのは、真相のほうをたしかに向いている思いのことをいうのであって、ことば巧みに、分析的に説明することとは違う。正しいと見えるものが間違うのは、こうした思いの向きの、微妙な、あるいはあからさまなずれがあるからだ。

 なぜ泣いたのだろうと、ずいぶんぼんやり考えながら、五月のすこし蒸し暑い午後の繁華街を抜けた。パチンコ屋ののぼりを眺め、 焼き鳥屋の店員の白い帽子を眺め、髪の毛を染めてサングラスを長髪に乗せ、女の子の品定めに興じる若者たちのあいだを抜けながら、わたくしたちは、わたくしたち日本人は、どんな考えを持ち、 どんな個人的な信仰を持ち、教養を持ち、好みを持とうとも、けっきょく皆、死ねば日本のこの空気に戻っていくのだと考えた。若い頃なら苛立ったに違いないこの考えに、不思議にこころは平静だった。勧進帳を見て涙を流すこころも、勧進帳に流れ込んでああいうかたちに作品化されたこころも、劇場に坐ってちょっと退屈なような、半分いつも眠いような気持ちになる、その根底にあるこころも、皆、この日本の空気を故郷としている。それを認めたところからしか、わたくしたちの生活ははじまりえないのに、頭はたびあるごとに、 それから逃れようとしている。いや、逃れるのが正しいことであるかのように教えられ、慣らされてきて、そうして、それが進歩ででもあるかのように考えている・・・・・

 あの婦人が、個人的な経験の疼きから涙したなどと考えるのは、 わたくしたちが馴染まされてきた近代の愚かな思考法にすぎまい。 涙を流すべき場面があり、そこで正確にあの婦人は反応したまでだと思いやる感受性を、わたくしたちがはなはだしく欠いてしまったまでのことなのだろう。泣いていたのは、日本のこころというものではないか。ああいうところで、あのように泣くというのが日本というものだったのではないか。過去のものでなどなく、廃れようもない、考えようによっては、絶望的なまでに不変の心身のかたち。

 日本のこころは変わらず、変わりようもないのに、それをとらえる理知が、杓子定規の外来物のままになっている。その杓子定規が世の中につっかえたままになっている。この定規にも、これで測られた世の中にも、果てまで厭きたわたくしのようなものには、あの婦人の涙する姿は新鮮だったのだが、思い返すと、国立劇場の建物はどうにも杓子定規に見えていたようだった。帰りがけに見たパチンコ屋や焼き鳥屋は、杓子定規からはずれていた。通俗の、場合によっては、俗悪ともいえるそんな光景が、不易の日本のこころに、 たしかに通じていると感じられてならなかったのだが、これはわたくしの間違いなのかどうか、わからない。






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