自分の書いた
古い文章をひさしぶりに読み直してみて
よく書けているけれども
日本のこころ
とか
言いたいなにかを
わかったふりを
必死に
自分に対して
したかったのだろうなあ
たぶん
などと
昔むかしに
死んでしまった兄だか弟だか
だれかを
思い出してみるような
気になっている
こんな文章を書いたのは
いったい
誰なのだろう?
26年も前に
いっぱし
大人になったつもりで
成熟した
思考ができているつもりになって
誰?
いったい?
きみは?
端的に批評すれば
小林秀雄を必死に気取って
その気取りが
模倣が
板に付いた感じの
頃の
作文じゃないの
さ?
小林秀雄を削ぎ落とすのも
石川淳を削ぎ落とすのと同じように
蓮實重彦を削ぎ落とすのと同じように
いったん柄谷行人を経由して
さらに遅ればせに遡って
吉本隆明をクレンザーとして使ったように
難仕事だった
ランボーやバルザックやドゥルーズやル・
デュラスやアニー・エルノーが
必要だったように
現代詩を削ぎ落とすのに
ウォルト・ホイットマンが必要だったように
ヴィクトル・ユゴーが必要だったように
蘇軾や白居易が必要だったように
万葉から勅撰二十一代集までが必要だったように
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