2025年10月8日水曜日

ぶるんぶるん しゃっしゃ

 

 

 

RODOLFO

Chi son? Sono un poeta.
Che cosa faccio? Scrivo.
E come vivo? Vivo.
In povertà mia lieta
scialo da gran signore
rime ed inni d'amore.
Per sogni, per chimere
e per castelli in aria
l'anima ho milionaria.

Giacomo Puccini

La Bohème QUADRO PRIMO

 

ロドルフォ

僕は何者か詩人です。
何をしているか書き綴ります。
どんな生活か活きています。
貧しさの中での僕の幸せは
紳士の贅沢である
愛の詩や賛歌。
夢や空想、
幻想によって
心意気は億万長者です。

ジャーコモ・プッチーニ

『ラ・ボエーム』 第一幕

 

 

 

 

 

10月1日に

初台の新国立劇場で

プッチーニの『ラ・ボエーム』を聴いたが

パオロ・オルミの指揮もよかったし

どの歌手たちもよく

なかなか聴けないような

出色の生き生きした舞台だった

 

文化庁の芸術祭の初日ということで

文化庁長官の都倉俊一が挨拶し

秋篠宮夫妻も観覧していて

(「秋篠宮殿下と妃殿下も御観覧なされ…」

  と

   書き換えておくべきか

   それとも

「畏れ多くも

   秋篠宮殿下と妃殿下におかれましては

   御臨席なされて御観覧あそばされ…」

    

   さらに

   書き換えておくべきか)

演目の関係上か

イタリア人とおぼしき外国人たちも多く

他の国々の外国人も多く

いつもの新国立劇場よりも

ひときわ賑わった雰囲気であった

 

*

 

話を

急転直下

男子トイレの小便器に移す

よろしいかな?

 

*

 

コンサートホールや

劇場や

映画館などばかりか

学校や

高速道路のサービスエリアなども含めて

横にいくつも並ぶ

男子トイレの小便器というのは

ご存じの通り

まことに

けったいな代物である

 

横にいくつも並ぶ小便器の

どれかひとつを

その時ばかり占拠して

男たちが

みずからの男性泌尿器をだらんと出して

濃度差はいろいろあれど

だいたいは

黄色い小便を噴出するのである

 

その光景だけでも

文明社会とはとても思えぬ光景だが

その列のなかに並んで

みずから男性泌尿器を出すひとりとなってみると

左右の放尿者たちのことが気になって

落ち着かないこと

この上ない

 

ちょっと横目をつよく行使すれば

両隣の男性泌尿器も

その先端からほとばしる黄色い液体も

まあ

よく見えること

見えること

 

子どもの時から

なんと野蛮な星に

じぶんは落ちてきてしまったのかと

悔やまれて

悔やまれて

恥ずかしくて

情けなくて

ならなかったものだ

 

男子ひとり

大人になるというのは

男性トイレの小便器を前にして

逡巡なしに

わが男性泌尿器をだらんと出して

黄色い液体をほとばしらせる

勇気と

覚悟と

諦めとを

しっかり持つ

ということをば

意味するのである

のである

 

*

 

さて

この日の新国立劇場は

さきほども述べたごとくに

外国人が多かったものだから

両脇ともに外国人が男性用小便器に向かって立ち

外国人男性泌尿器を

のったり

だらり

と出して

黄色い液体を噴出しておった

 

外国人には

馬や牛のもののように

長い泌尿器を携えておる者も

かなり居ると聞くから

ちょっと

見ちゃおうかな?

などと

思ってしまうのではあるが

そこはそれ

紳士にふさわしからぬ所業ゆえ

あからさまな直視はしないものの

なぁんとなく

雰囲気を目の端っこで

見て取ろうと

しちゃったりする

 

左右のご両人とも

それほど長いものではなかったようで

視覚的に

驚きを

得られはしなかったのであるが

ちょいと

おやおやと

思わされたのは

その後のことであった

 

黄色い液体の放出が終わったらしい後で

ご両人とも

ご自分の男性泌尿器を

ながながと

揉んでおられる雰囲気なのである

 

もしや

泌尿器を性器にちょこっと変えて

軽微な官能の世界に

ほんのちょっと

お入りになろうとしておるのか?

と思ってもみたが

どうやらそういうのではなく

いちおう放出し終わったものの

泌尿器のなかの尿道に残っている残液を

揉みながら

絞り出そうとしているのらしい

 

性器化していない場合は

柔軟な猫さながら

まことに可塑性に富む

ふにゃふにゃのナマコ様のものであるから

なかの尿道に残っている液体は

絞りだそうと思えば

たしかに

絞り出せる

 

ほんの短い時間ながら

お道具に

この所作で水切り作業を施してから

おもむろに

布製の大人用おパンツのなかに

しまい込むのである

 

なあるほど

外国人はやっぱり

こう来るか

 

こうした場面には

海外で

なんども遭遇しているので

知らないわけではなかったのだが

ひさしぶりに

『ラ・ボエーム』上演時の新国立劇場男性用トイレの

小便器前で

思い出したわけである

 

*

 

じつは

こうした外国人の

尿切り所作に

ちょっと

美学的に

心を打たれ直した

 

ちょっと

感心したのである

 

というのも

日本人男性の場合

排尿後は

先端を水に浸けた後の象さんのお鼻よろしく

男性泌尿器を

ぶるんぶるん振って

尿道に残った黄色い液体を

周囲にまき散らすのを

よくやっているし

そうでなければ

両膝を小さく折ったり伸したりして

しゃっしゃと

重力の助けを借りて

男性泌尿器の先っぽから

残尿を外へ垂らそうとする所作を

けっこうながながと

やっていたりするものだから

である

 

周囲の壁に飛んでいって

付着するに違いない残尿の飛沫を思えば

非衛生極まりない

傍迷惑なやりかたであり

だいたい

こっけい極まりなくもある

 

5つも6つも7つも

場合によっては

10も15も並んでいる小便器の前で

5人も6人も7人も

場合によっては

10人も15人もの日本人男性たちが

ぶるんぶるん

しゃっしゃ

とやっている光景は

男の威厳たるものの殲滅収容所さながらで

文化果てたるところ

そのもの

と見えてしまい

まことに

心根寒からしめるものがある

 

この

ぶるんぶるん

しゃっしゃ

に比べれば

もったり

ねちねち

静かに

残尿を揉み出していくほうが

まだしも

文明的

というものではないか?

どうしても

思えてきてしまうのだが

はたして

諸兄のご意見や

いかに?

 





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