2026年1月21日水曜日

歌集 風塵消光抄


短歌草紙「行」第三号 平成八年七月(1996年7月)所収

 


 

 

戦争を報じる紙面に鼻よせれば早春の草の鮮烈の香よ

 

歌枯れて今日は女の胸欲しとうずきつつ水を飲む水を飲む

 

果物の腐敗の臭い地に満ちて幸福と呼ぶべきもの多し

 

虹鱒の虹消えて夕飾おわる頃ジュディー・ガーランドかける淋しき友よ

 

極楽という言葉そのごつごつとした音憎む 憎むこともよし

 

雨降ればやわらぐほどの苛立ちを硬く保ちてきょう雨期に入る

 

歳重ねる度捨てていく明晰という若年の虚栄のひとつ

 

乾き切るまで眺めても飽かぬ糞をそのままに発つアフリカ高地

 

罵りてその極まりを過ぎてよりいずこの河の華の記憶か

 

みな夜へ入りゆく流れほとりにて待つべきものもなき神田川

 

行く先の渋谷には深く落葉してひたすらに暗き幽谷なきや

 

あくがれる魂のつらさとわれなりて夕べ敷居に黒く立ち居り

 

くれないを黄を山河に散らす風()を散らさぬかまだ散らさぬ

 

抱くという思いの粗さ鎮むべく石持ち上ぐる夏川の端

 

ぞんざいに拭かれてありし黒板の深山の岩のごと緑なり

 

五指に満たぬ回想のなかに母はあれひとり焼く肉の音の楽しさ

 

西空をふと西方の空と呼ぶその一瞬の灼紅の胸

 

こころついに踊ることなき再会のあいだ揺曳やまぬ虚子の句

 

あたらしき肉欲しと思う硬質の衝動として湯に浸るなり

 

どぼろくをなみなみなみと注ぎし後この静かなる秋の(かいな)

 

十一月凝結しゆく血溜りの色して花を落とさぬカンナ

 

美しき髪と目を持つ娘あればと思えり老いとこれを呼ぶべし

 

秋川のおもての澄みて水泡の鮮明にながき命なるかも

 

熟れず落つる柿の実の音かたくしてつらきことある秋の心は

 

様々なる意匠の枯れていく気配美しき雨渋谷過ぎけり

 

春雨のかなた島影しろく立ち購敗はなべて遠き茫々

 

闇うすきあかときわれら寝ぬる部屋の薄やみとしてきみを抱くかも

 

水揺れる一瞬の世界河骨の黄ほどの笑みの輝かしさよ

 

風ふけば柳の糸を髪として名を名乗れきみは春野みどりと

 

はつなつの木の下閣に香り持つ(ししむら)のきみをひたすらに欲し

 

 


 


 

  [初出]短歌草紙「行」第三号 平成八年七月(1996年7月)

  (編集発行人:駿河昌樹 発行場所:東京都世田谷区代田1-1-5  ホース115-205

 




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