ヴィデーハ国のジャナカ王は
深い哲学的教養を持つ王だったという
多数のバラモンを宮廷に集め
哲人たちとみずから討論を行った
ある時ジャナカ王は
彼のもとに集まっているバラモンのうちで
誰が最もヴェーダに通じているか
知りたいと思い
千頭の牛それぞれの両方の角に
10パーダずつの黄金を結びつけて
褒美として準備し
対論を開始させた
これが『ウパニシャッド』のはじまりであり
ホートリ祭官であったアシヴァラが
弟子に牛を連れていくように促した
ヤージャナヴァルキヤに質問していく
アシヴァラの問うた最初の質問が
死とその超克についてであったことは
『ウパニシャッド』の時代にあっても
死とその超克が最も重要な問題であったのがわかり
親しみが湧くが
このように
まずは真摯に死とその超克を問うところに
曇りの少ないこの時代の精神が見られ
好ましく感じられる
ホートリ祭官アシヴァラは、彼に質問することにした。
「ヤージニャヴァルキヤ殿」とアシヴァラはいった。
「この世にあるすべては死に捕捉されている。
すべては死に圧迫されている。
祭主は、何によって死の捕捉のかなたに解放されるのか」
「ホートリ祭官によって。
火神(アグニ)によって。
ことばによって。
一―祭祀のホートリ祭官は、実に、ことばである。
このことばはこの火神であり、それはホートリ祭官である。
それが解脱、(死の)かなたにこえる解脱である」 *
この後
「この世のすべて」を捕捉するものが
いくつか挙げられ
それらから解放してくれるものを
ヤージニャヴァルキヤは
同じようなかたちで答え続けていくが
それらの回答のしかたを見ていくと
どうやら重要なものは
「ことば」
「気息(プラーナ)」
「思考力(マナス)」
「讃誦」
などであり
宗教的な行法にはお馴染みの
諸要素といえる
「気息(プラーナ)」を入れているところが
アジアならではであり
これは即ヨーガに通じる
中国語圏でも気功などに通じていく
洗礼者ヨハネやイエスが
どうして「気息(プラーナ)」の実践を伝えなかったのか
これを説いた文書は
おそらくどこかに隠されていて
たぶんヴァチカンの書庫に秘蔵されているのではないか
と思われもするのだが
「ことば」を重要視することは
新約聖書に明瞭に記されている
*
人間は誰であれ
ある年齢以上になれば
日々のすべての時間が
すでに前世である
もう30年も生きないかもしれない
もう10年も生きないかもしれない
いや
もう5年も生きないかもしれない
もう3年も生きないかもしれない
と現実感を以て終わりが迫ってくる時になって
こうして生きているこの今が
生まれ変わった後の継続自己から見れば
前世そのものである
と思われるようになる
こう思って
今を生きるかどうかは
きわめて重要で
これによって
生はあきらかに変容する
物質的にはその変容は見えないが
意識の編成や質は変わる
そうして
考え直してみれば
死も
意識の喪失も
いつ何時起こるか知れないのだから
そもそも肉体を持って生まれ落ちた瞬間から
すべての時間は前世であった
とわかってくる
今が前世ならば
どう生きるべきか
どう生きないようにすべきか
これは
ひとりひとりの心のなかで
意外に容易に
見えてくるように思う
今が前世ならば
そういい加減に時を費やすわけには
いかない
と
誰にも
容易に思えてくるだろう
*「世界の名著1 バラモン経典」(中央公論社、1969)
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