論語の為政篇にこうある
子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。
子曰く、
「政を為すに徳を以てすれば、
譬えば北辰のその所に居て、
衆星のこれを共(めぐ)るが如し」
貝塚茂樹の訳では
このようになっている
先生がいわれた。
「政治を行なうのに道徳をもととしたら、
まるで北極星が天の頂点にじっとすわって、
すべての星がこれをとりまきながら動いているように、
うまくゆくにちがいない」 *
夢想家だった孔子の
これもまた
美しく
悲愴な夢というべきだろう
書かれたものとしては
快い読み物であり
人びとに愛され
論語が読み継がれる理由となる
一節といえる
しかし
政治の領域には
とりわけ
「徳」だけは
「徳」こそは
存在し得ないのだから
夢として語ったのでなければ
孔子のこの政治論は
ほとんど狂気に等しい
ラ・ロシュフーコーの
ただひとり賢者であろうとするのは
大いなる狂愚である
を思い出させられる
おそらく
つねに壮大な夢想を抱え続けた孔子は
たぐい稀な
大狂人であったのだろう
『論語』に現われる
こうした孔子の言葉を
「そのまま孔子の言葉と信じてよいかどうかは、
当然、問題となる」
と疑問を呈するのは
中国古典学の村山吉廣である
彼は
後漢の班固が書いた前漢の歴史である「漢書」の
「芸文志」の文章の一部を
現代ふうに次のように訳出している
「論語」は、
「アレンジ」と訳されたところは
原文では
「相い与に輯して論纂す」とあるそうだが
「論纂」が
討論して編集する
という意味であることから
『論語』という書名が発生したのだという
「芸文志」の時代の『論語』は
現代に伝えられているものとは異なっていて
「古論語」「斉論語」「魯論語」という
三つのテキストがあったという
「古論語」は蝌蚪文(かとぶん)
漢の武帝の時に
孔子の旧宅の壁の中から取り出された
とされる
「斉論語」と「魯論語」は
当時の文字である今文(きんぶん)で書かれ
斉と魯の学者によって伝えられていたので
こう呼ばれている
それぞれ同一ではなく
多少の異同があったらしい
ところが
これらのテキストは失われてしまい
後漢の鄭玄(じょうげん)という学者が選んだテキストに
魏の何晏(かあん)が手を加えたものが
現在伝えられている『論語』の元となったという
このテキストは
外形的にも内容的にも
「魯論語」に一番近い形のものだ
とされている
こうしたことを踏まえた上で
村山吉廣は
このように考えていく
いずれにしても、現在の「論語」が形の上で、
それでは、思想史的に見ると、現在の「論語」
どうして、それがわかるかというと、
それでは、現在の形のものとはちがうにしろ、
もし、成立の事情がこのようであるとすれば、「論語」のなかで、
孔子の言葉でさえ
このように不安定で曖昧なものなら
東アジアの道徳を支えた思想の根幹が
一気に不安定化することになってしまうとも思えるが
これは翻って考えれば
「政治を行なうのに道徳をもととしたら、
まるで北極星が天の頂点にじっとすわって、
すべての星がこれをとりまきながら動いているように、
うまくゆくにちがいない」
という言葉も
孔子という賢人に仮託した
無数の民衆の夢であった
ということにもなりそうで
それはそれで
いっそう印象深く
美しくも
壮絶にも映ってくる
*『論語』(貝塚茂樹訳注、中公文庫、1973)pp.29-
**『中国の思想』(村山吉廣、ちくま学芸文庫、p.29)
*** ibid.pp.30-31.
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