2026年1月14日水曜日

現代にも国にも国民にも時代にも参加しない生き過ごし方

 

 

  

Le sang païen revient !

Arthur Rimbaud  Une saison en enfer

 

異教徒の血が戻ってくる!

アルチュール・ランボー 『地獄の季節』

 

 

 

 

学生が

こんな短歌を送ってきた

 

みな集う 卒業式の 記念写真 足りない友の 留年を知る

 

句ごとにひとマス空けないで

続けて書くように

と勧めてみるのだが

最近の若い人は

ひとマス空けて書くことが多い

 

続けて書くのと

ひとマス空けて書くのでは

構造は激変する

 

詩の立場からすれば

どちらにも理由が立ち

どちらを選んでもよい

 

短歌の立場に立てば

最初の頃はとりあえず

ひとマス空けることをせずに

続けて言葉を並べることで

歌ではありつつも

意味の切れ目を画然とできる述べ方を

手に入れておいたほうがいい

 

ひとマス空けの短歌は

そのうち

短歌から独立して

独自の短詩になっていくかもしれない

 

朱を入れるというのでもなく

修正というのでもなく

変奏のつもりで

本歌取りのつもりで

学生の歌を

次のように変えてみた

 

みなが集う卒業写真に見当たらぬ友ありてその留年も知る

 

ちょっと古風だが

大急ぎで

数分で変えてみるのだから

そこは許してもらいたい

 

それはそうとして

「卒業式」や

「記念写真」という言葉から

じぶんの大学生時代の卒業式のことを

ちょっと思い出した

 

「記念写真」のアルバムを作る話は

聞いていたけれど

不用と思って参加しなかったし

「卒業式」にも出なかった

「卒業式」の当日に大学には行ったけれど

ホールでの「式」には出ず

いつものジーンズ姿で

校門付近で友人たちとしゃべりながら

「式」をやり過ごし

過ぎ越し

後で卒業証書だけを事務的に貰ってから

パーティーにも出ず

友人たちと集いもせず

帰宅した

 

中学生や高校生でもあるまいし

大学卒業の時点で

「卒業式」に平気で出るなど恥だと思っていた

他にもそういう大学生がたくさんいた頃で

抵抗や反抗というほどのこともない

ふつうの行動様式のひとつだった

世間でのあらゆる「式」や「行事」に参加しないという

この行動様式ないしは非行動様式は

たぶんわたしの核心で

この地上に身体を置いてみている今なおも

変わっていない

 

この世には参加しない

人間どもよ

おまえらの流行や風習や価値観には

一切不参加だぜ

しかし

地球という舞台装置の自然の富は

すべて

いただくぜ

 

こんなポリシーは

わたしより前の世代の

ヒッピーたちのものに近いだろう

 

表面的には現代社会の都会人を装いながら

それでいて一切

現代にも国にも国民にも時代にも参加しない生き過ごし方というの

わたしの思うには

どんな反抗よりも過激なアイロニー行為そのものだ

 

大学卒業からだいぶ経て

今になると

「卒業写真」になど参加せず

立派なアルバムなど買わないで済まして

本当によかった

と思う

 

かさばってしょうがない

断捨離の対象になってしまうだけ

だからだ

 

小学校の「卒業アルバム」でさえ

高校の頃には

もう古色蒼然としか見えていなかったのだから

大学にもなって

「卒業写真」だの

「卒業アルバム」だの

馬鹿じゃないのか?

なにを甘えているのか?

そう思って参加しなかったのは

本当に

正解だった






0 件のコメント: