昭和はよかった
もっとのんびりしていた
もっと人間的だった
などと
馬鹿のひとつ覚えのように口にする
一群の人々がいる
そんなことは
まったくなかったと思うのだが
気まぐれから
坂本九の歌う「上を向いて歩こう」を
ひさしぶりに聴いてみると
やっぱりそうだ
昭和がよかったなんて
とんでもない話だ
と再確認させられた
歌そのものは
なんとなく
ほんわか
ほんわかしていて
平和でのんびりした雰囲気が
たしかに
ないでもない
けれども
永六輔による歌詞を
あらためて聴いてみると
「ひとりぼっちの夜」に
「涙がこぼれないように」
「上をむいて」歩いている歌なのだし
「しあわせは雲のうえに」
「しあわせは空のうえに」
とも歌っていて
どうやら
ちょっとやそっとでは
「しあわせ」には
手が届きそうにはない
ひょっとしたら
この世におさらばして
「雲のうえに」
「空のうえに」
行ってからでないと
「しあわせ」は手に入らない
かもしれない
ほんとうにのんびりしていて
もっと人間的な時代だったなら
こんな歌詞は出てこなかっただろう
令和に「しあわせ」がないだけでなく
平成にも「しあわせ」はなかったし
どうやら昭和にも
「しあわせ」は
なかったようではないか
ところで
もともと4ビートで作曲されたこの曲を
坂本九が大胆に8ビートにアレンジした歌い方のほうに気をとられ
曲全体に注意を払わないで済ましてしまいがちな
「上を向いて歩こう」は
背景の演奏に注意し直して聴くと
単なる歌謡曲として放っておくには惜しいような
洒落た軽みのある流れが続いていくのに気づく
これは
日本での一流のジャズマンだった
作曲者の中村八大ならではのアレンジで
これあればこそ
「上を向いて歩こう」は
1963年のアメリカの「ビルボード」誌の
Billboard Hot 100(ビルボードホット100)での週間1位を獲得し
1963年度年間ランキングで第10位となったのだろう
中村八大の音楽づくりがアメリカで認められたわけだが
そもそもこの中村八大という人は
1940年の小学4年生の時点で
東京芸大(当時は東京音楽学校)の付属児童学園に通わされて
ピアノと作曲の英才教育を受けていた人だった
戦争が終わると自作のゲルマラジオでアメリカの音楽を貪るように
クラシック音楽のピアノコンサートもしたりしつつ
早稲田大学高等学院に入るとジャズピアノ演奏のバイトも始める
早稲田大学に入ると
後に渡辺プロダクションの創設者となる渡辺晋の勧誘を受けて
ジャズバンド『渡辺晋とシックス・ジョーズ』を結成し
やがて松本英彦、ジョージ川口、小野満と『ビッグ・フォア』
ジャズマンとしての本格的な活動に入っていった
1960年代には「全ての音楽の集大成」である交響曲作曲に打ち
生涯を通して芸術性と大衆性とのあいだで追求を続けた
ジャズマンとしてつねに芸術性に強く惹かれつつも
ジャズの衰退期にはロカビリーやロックへも感性を開き
日本の“新しい音楽”の創設を目指し続けたという
中村八大は1992年に61歳の若さで心不全で死去したが
糖尿病やうつ病に苦しんだ晩年だったという
まだ若い死といえば
かつてともにジャズバンドを結成しナベプロ帝国を創った渡辺晋も
1987年に59歳で死んでいる
彼のほうは頬にできた皮膚癌が原因だが
コバルト治療で左目を失明したり頭痛に悩まされたりして
痩せ衰え老人のように衰弱した59歳を生きたらしい
それでもナベプロ帝国の総帥として
死の間際までゴルフやパーティーに出続けた
経済力でも社会的影響力においても
何不自由ない絶頂まで上り詰めた渡辺晋の人生だったというのに
大学生時代には
日銀勤務だった父が戦後の公職追放の憂き目に遭って
生活費や学費に困窮し
ベースギターを弾いて稼ごうとしたものの
人気は出ても
ついに学費は払えなくなって大学を中退せざるをえなかった
運命によって
細部まで苦楽ないまぜに
巧妙に織られた物語を見せられるようだ
https://www.youtube.com/watch?
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